朝から、モバイルSuicaの調子がとても悪かったせいでいろいろあって、JR東日本のコールセンターに問い合わせたら私のスマホとアップルウォッチが不良だからだと木で鼻を括ったような言い方で説明された。
オペレーター相手に何を言っても埒が明くわけがないので、大人しく引き下がったものの、不愉快な気持ちで一日過ごした、というか今もまだ嫌な気分だが、こんな気持ちでエントリーを書いては読んでいただく方に失礼なので、気を取り直して書くことにする。
それにしてもこういうことがあるたび、つくづく通勤が嫌になる。
今さら鎌倉を出ていく気にもなれないので定年まではこのままでいることにするが、とにかく、通勤のストレスは本当に大きい。
電車がしょっちゅう遅れるのもストレスの一つだが、同乗者のストレスも並大抵のものではない。
マナーの悪さについては、私も若い頃は酷いものだったのでそこは目を瞑るとして、それよりも怖いのは無差別殺人だ。
地下鉄サリン事件をはじめ、車内での殺人、傷害は決して防ぐことはできない。
昨日、7月26日は、相模原障害者施設殺傷事件の日であり、秋葉原通り魔事件の犯人の死刑が執行された日だったそうだ。
どちらも想像を絶する悲惨な出来事だったが、実際に起こってしまうと、それは想定の範囲内のこととなり、次にまた同様の無差別殺人が繰り返される。
私たちは無差別殺人や暗殺といったようなことがこの国では当たり前に起こることだということがわかってきたし、銃乱射事件が起こっていないのは、この国の銃規制が米国より厳しいからというだけで、日本人がタチのいい民族だからではないということも。
電車の中ですぐ隣に座っているごく普通にみえる人が、無差別殺人を計画しているかなんてわからない。
犯行の動機なんていくらでもある。
殺人の現場は、電車の中だけでなく、駅のコンコース、駅前などいくらでもある。
そんなところで、私はその他大勢の人の一人として、心の準備もないまま殺されてしまうかもしれない。
かつては、こんなことを言ったら、
何を馬鹿なことを、被害妄想もはなはだしい
となかば軽蔑の目で見られたかもしれないが、これらの多くの無差別殺人はそれを否定することができないと示している。
日本が安全な国だというのは幻想に過ぎない。
ご冥福をお祈りします
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