病理診断とか病理医のブログをみていたら、ある病理医がこのように回答しているのがあった。
『*この仕事についてよかったと思ったことは?
よかったと思うこと。そうですね。患者の「ムンテラ」をしなくていいこと。人が少ないから才能がなくてもやっていけること。
*この仕事について、しまった!と思ったことは?
一般の人に職業をあかせない。「解剖してる」とは言えないです。看護婦さんと知り合う機会が少ない。』
なんか、すごい、というか、こういうことを平気で言っちゃう神経というのがすごい。医者になって、患者と接しないですむことが”よかったこと”、って、そりゃ、まあ自分の趣味と実益が合致することが、職業としては理想的であるわけで、患者と接しないことがよかったって、じゃあ、なんで医者になったの?この先生、前段ではそもそも臨床医になりたかった、なんて言ってるだけどねえ。
病理診断科で外来をやると、患者さんの切実な思いがよくわかる。病理医は直接は何もしてあげられないけど、病気を理解させてあげることは患者さんやその家族にとっては精神的に、結局は肉体的に大変な利益をもたらすものです。病理外来についても、「診断病理(病理学会で発行している雑誌)」の中でいろいろ言われていましたが・・・
さらに、人が少ないから才能が無くても って、先生の言う才能ってなんですか?卒業した医学部の偏差値?論文の数?それとも診断能力?臨床とのコミュニケーション能力?
病院病理で大事なのは、もちろん後2者なわけで、この先生もコンサルテーション(ほかの先生に相談すること)の重要性は言っているので、というとは、コミュニケーション能力のことか?
それとも、この先生は大学教授を目指しているのだろうか?確かに、教室員の数なんて毎年2人もいればいい方だから、教授レースについては楽かもね。私も、病理に進むことを決めたとき、同級生に、「なんで?えらくなりたいから?」と聞かれたことを思い出す。そのときは、その質問の意味自体よく判らなかったが、そういうことか?とも勘ぐりたくなる。
こういう病理医は、勘弁してくれ。
いずれにせよ、こういった表現をして、病理をくさす病理医がいるから、病理医はますます自虐的になって、引きこもりになって、人気が無くなっていく。
なんで、「病理なんて」的な発言が多いのか、この20年間いつも不思議に思っている。
私は、たまたま患者さんと話す機会が少ないだけであり、才能のうち、大学入試のための受験勉強については、たいしたことは無かったものの、標本を一日中丁寧に見ることもできるし、解剖や外科材料の切り出しもそこそこ上手だし、診断もあまり間違えないで出すことはできる。臨床医とのカンファレンスもそれなりにこなしている。これは、人が少ないからやっていられるのではなく、私の好きな病理医の仕事がこういうものであるからだ。「そんなことは判っている」なんていうなら、そもそも、病理医の仕事を自虐ネタにしないで欲しい。
つづく
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