ベランダから見える東の山のスカイラインの手前に大けやきが切り絵のように浮き上がっていた。
私が起き出す6時の空は秋でも同じだったはず、今は春分の三週間ほど前だから、秋分の三週間ほど後の景色はどうだっただろうかと、去年の秋のエントリーを探したら、”起床時間と夜明け時間がだいぶ近づいた。”などいうのがあった。
その日の写真をみると空の明るさは同じでも、紅葉前の大けやきのシルエットは今日のそれとは全く違い、何気なく見ている風景というものもしっかり観察しておかないとその美しさ、不思議さそして生命の健気さというものを見落としてしまう。
そう考えると、写真というものの意義も明確になるし、ブログにそれを載せるというのも、文字だけの記述を補って余りあるものだと、これまた新たな感動を覚える。
朝食を食べながら朝焼けの美しさを娘と話した。
一緒の家にいて、ほぼ毎日顔を合わせるのに、おはようと行ってきますとお帰りとおやすみ以外になかなか言葉を交わすことがない。
子供達が幼い頃は、リビングにテレビを置かないということを通した。
そのおかげだろう、息子も娘もよくしゃべっていたように思う。
今の家に移ったときにテレビを壁付けにしたが、それでも食事の時はテレビを必ず消すということは家族間の不文律として続いていた。
しかしながら、妻と二人の生活になってからは、”共有できる話題”として見る様になっていた。
娘が1年ほどの留学から帰ってきてからも食事中にテレビをつけているのは常態化してしまっていて、ふといけないと思いつつも、そのままになっている。
妻とであれば、相手の考えていることはわかっているつもりなので、テレビがつけてあっても意思の疎通はできているだろうし、消している時間にあれこれ話すこともできる。
そうはいっても、わかっているつもりになっている妻ですら、何を考えているのかはわからないことは山ほどあり、いわんや、子供たちについてはもっとわからない。
何を考えているのかよくわからない人と一緒に暮らすというのは、それが親子であってもある意味不気味だ。
娘が私と話してくれないというわけではなくて、私からの語りかけが少ない様にも思う。
それは息子にしてもそうで、どうも私は子供たちと話すのが下手だと思う。
私自身、自分の人生の尻拭いでおおわらわで、子供たちの生き方に干渉する時間などないし、そんなことをする気もない。
LINEでのやり取りが増えて電話を介してであっても直接相手の声を聞かなくなったというのも会話の減少につながっているのかもしれない。
そんなことを考えていたら親父とはどうだっただろうかと私のことを振り返った。
心配ばかりかけていた私を黙って見守り支えていてくれてありがたかった、と亡くなる前に伝えておきたかったと今さらながら思った。
会話にも努力が必要
応援よろしくお願いします
自分自身が社会人になると父の評価が変化していたのを思い出します。
ただし若い時は自分の事で精一杯なので親の心配などしてる余裕もありませんよねぇ~
自分のことで精一杯、
そうですね、そんなものでしたね。