昨晩は東京の息子(嫁は出張中)が仕事のあと、おっとり刀で一昨日亡くなったマルチーズのコロにお別れに来てくれた。
結果として、夕食は結構賑やかなものとなったが、これもコロが用意してくれたひと時だったのかもしれない。
明け方、夢にコロがでてきた。
夢の中で私は、コロに向かって
そんなところでなにしているの?
と声をかけた。
そこでふと、どうしてコロがそんなところにいるのだろうと目が覚め、コロは棺の中にいるはずなのに、どうしたのかな、などと寝ぼけた頭で考えているうちにまた眠ってしまった。
朝になって、それはコロがお別れに来てくれていたのだということに気がついた。
もうちょっと遊んであげたら、また一つコロとの楽しい思い出を増やすことができたのにと思うともったないことをした。
イギリスのエリザベス女王が96歳で逝去された。
70年の在位中にはそれこそたくさんのことがあっただろうが、それも終わってしまえば、うたかたの夢。
過ぎ去ったことは変更のしようがなく、それはあったこととして受け入れざるを得ない。
ただ、それに対する解釈、すなわち歴史は消したり、作り替えたり、でっちあげたりすることはできる。
焚書はその最たるもので、始皇帝、ヒットラーは歴史を消し去ろうとした。
旧日本軍も敗戦時には関係書類の多くを焼却してしまったという。
消されてしまった歴史は穴埋めをせねばならず、そこには書き換えたものをあてはめることになる。
こうして歴史はそれぞれの人にとって都合のいいように書き直されていく。
解釈の問題といえばそれまでで、実際その時そこで誰が何をどのように考え、何をしたかなどということは、当事者にすらわからない。
誰にでも公平な歴史というものは存在し得ないものの、バイアスを極力排した公正な事実の記録というものがあってくれたらいいのだがと思うが、残念ながらそれはあり得ない。
今朝、息子は仕事に出かける前に、活けてあったあったお花を切り、コロの周りに置いてくれた。
私も娘も出かける前にそうしたので、コロはすっかりお花に埋もれてしまった。
午後、休みをとって家に帰ると供花がまた増えていた。
妻とコロを焼き場に連れて行き、荼毘に付した。
未来は造ることができる
ランキングに参加中。
応援お願いします!