この度は、わが家の愛犬コロへの、ご丁重なお悔やみをいただきまして、恐れいります。
このブログを振り返ると、コロがどれほど長い間、私と私の家族に寄り添ってくれていたのかがわかります。
そして、命の大切さ、意義をあらためて考えさせてくれました。
家に帰るとコロはやっぱりただ眠っているかのようで、普段と違ったのは声をかけても動いてくれないということと冷たくなっていたということだけだった。
昨日は、コロとお付き合いのあった方が何人かお花を持ってお別れにやってきてくれて、妻と思い出話を語らってくれたという。
エントリーとコメントという形でもたくさんの方からお悔やみの言葉をいただき、ブログの持つ力というものもコロが知らせてくれたように思う。
小さな命の終わりであっても多くの人の心に様々な思いをおこしてくれた。
コロが亡くなって、暗殺された安倍元首相の国葬について考えた。
今日、国会閉会中審査が行われ、安倍元首相が歴代最長の8年8か月にわたって首相を務めたことなどを理由として挙げたというが、強行するのは既定路線だろうから、形式的といえば形式的な議論だ。
非業の死を遂げてから、1、2週のうちに国葬を行なっていたら、こんな議論が巻き起こることはなかっただろうに、国民の悲しみが薄れ、その社会的功績の評価へと移った時点でこのようなことになるのはある意味当然だろう。
亡くなってすぐの頃には葬儀への参列を表明していた外国の要人も、日が経つにつれずいぶん減ってしまったようで、弔問外交に期待はできるのだろうか。
かつて国葬の行われた吉田茂元首相にしてもワンマン宰相といわれたように、毀誉褒貶は激しいが、安倍元首相はもっとだ。
だが、非の打ち所がない清廉潔白な人間など存在しないわけで、そうすると、この情報化時代、全てを隠し通すことはできない。
仮に瑕疵のない人生を送ってきた人がいるとしたら、よほど同質化された狭い世界で生きている人であろう。
岸田首相にしてみたら、まずは盟友安倍元首相の死への深い悲しみがあり、これに多少は弔問外交への期待があっただろうけど、まさか清和会の旧統一教会の問題が露わになり、自民党、公明党、共産党さらには警察を揺るがすような事態に発展するようになるとは思っていなかっただろう。
理想主義的で正攻法でやっている岸田首相は気の毒といえば気の毒だが、このピンチをチャンスとして生かせるかで、政治家としての力量が試されることになる。
弔うとはなにかを考える
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