こんな気持ちでいられたら・・・一病理医の日々と生き方考え方

人生あっという間、私の時間もあと少し。
よりよく生きるにはどうしたらいい?

ブログの書き方5・・・話はどの程度まで

2013年06月15日 | 電脳化社会
”ブログの書き方”というタイトル、去年の3月から数度にわたって書いている。その時は、結局のところ、好きな時に、好きなことを、楽しんで書けばいい、という結論に達した。

もちろんそれはそれで一つの結論であったのだが、最近書いていて困っていることがある。ここのところ、話題が大きくなってしまって、どれもこれも収拾がつかなくなっていることだ。
そりゃまあ、コロ健、そんなのいつものことだろう、それでも付き合ってやっているんだから、まああんまり深刻になるな、といわれればそれまでのことなのだが、私は大まじめだ。

毎回毎回、結論が出ないのは本当に困る。
なぜ、話題が大きくなってしまうのか。ということで、考えているときに考えがどうやって広がっていくかを考えてみた。

例えば、今朝。フラットコーテッドレトリバーのナイトの散歩に鶴岡八幡宮まで行ったときのこと、途中で蟻を踏みそうになった、すんでのところで踏まなかったのだが、そこからいろいろ考えがとびはじめた。
蟻を踏まなかった→芥川龍之介の「蜘蛛の糸」のような話だ→(ここでぐっと飛躍して)→私一人が踏みつけなかったからと言って戦争では多くの動物が巻き込まれて死んでいる→戦争は自然破壊に他ならない→人間を殺すのと人間以外を殺すということの違いはあるのか?→戦争で殺された人たちは、そこにいた動物たちとともに抹殺された→ヒロシマ、ナガサキ→誰が殺した?→時計の針は元に戻せない→結局、いつもこの(時間の)話になるのか…。

この辺りで、暑さにやられてナイトがハアハア言い出したので、急いで家に帰った。

人というのはちょっと考え出すと、それが止まることはない。そして、それをブログでやってしまっているから、収拾がつかない。
ではどうしたらよいのか。

連載モノにするか? 
上の話を、(昨日の続き)、でつなぐとしたら次のようになるだろうか。
曜日 カテゴリー      タイトル
月  こんきも       蟻を踏まなかった私
火  読書         芥川龍之介の「蜘蛛の糸」
水  こんきも       戦争という自然破壊
木  生き方について考える 空襲という殺戮
金  電脳化社会      無人戦闘機
土  こんきも       人類の行く末
日  生き方について考える 時計の針は元に戻せなくて
 


うーん、これはこれで、どれもまた結論というか収拾がつかなくなってしまう感が山盛りである。
そもそも、1シリーズごとにタイトルを決めなくてはならない。
この場合、『蟻と私と戦争と』とかか?
だが、そうなるとまずはプロットのようなものをたててからではいけないので、もう病理医が日々あれこれ考える日記ブログの範疇ではない。

さすがにそんな時間的余裕はない。いまでも読書の時間を相当とってしまっている。
とまあ、ここのところ、そんなことを考えていたが、結局ひっちゃかめっ茶菓になってきた。
結論を出して一話完結などというごたいそうなことはこの際やっぱりあきらめた。毎日書いていけば、多少は文章も上手になろう、これまで通りその日その日の話題を、なるべくコンパクトにおさめることを目標としてやっていくことにした。


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