朝刊に、宝島社の企業広告が載っていた。
川に横たわる樹木希林、横に「死ぬときぐらい 好きにさせてよ」
その見出しの下には、
「人は必ず死ぬというのに 長生きを叶える技術ばかりが進化して なんとまあ死ににくい時代になったことでしょう
死を疎むことなく、死を焦ることもなく、ひとつひとつの欲を手放して、身じまいをしていきたいと思うのです
人は死ねば宇宙の塵芥 せめて美しく輝く塵になりたい それが私の最後の欲なのです」とある。
生きるのが難しいのは昔から誰もが感じてきたことだが、死ぬこともそれほど容易ではない。
だが、上手に死んでいく技術は医療技術に比べて進歩していない。
そんなことが言いたいのだろうか。
私は病理医としての仕事、すなわち病理解剖を通じて多くの人の死出の旅立ちのお手伝いを行ってきた。
癌とか、心筋梗塞とか、敗血症とか、中には病気の本態を突き止めることができなかった症例もあるけれど、その都度いろいろな死の原因を考えてきた。
そして、その結果を病理解剖診断として、現場の医療にフィードバックし、さらには臨床医とともにもっと広く医学界にフィードバックして、生きている人の役に立ててきた。
そのおかげ、すなわち死者の生きた軌跡のおかげで生きる技術は進歩してきたといえる。
死は不可逆的な事象であり、死者が蘇ることはない。
だが、時計の針を戻すことができないのは生者も同じ。
死ぬために生まれてきたのだと考えたら、上手に生きるのを考えるのと同じく、上手に死ぬことも考えたい。
画像診断の精度が上がって、病理解剖不要をいう医者もいるが、果たしてそうだろうか。
それならそれでいいが、それ以上に病理医に求められるものが実はあるような気がする。
それは、医療者としての病理医にできることが、生きるための医学の進歩への貢献とともに、上手に死ぬことができたか(抗癌剤の治療効果判定とかではなく)、というような判断を行うことかもしれない。
では、具体的にはどんなことをしていったらいいのだろう。
続きは明日また考えたい。
余計な仕事か?
元絵のジョン・エヴァレッド・ミレィの絵一度眼にしたら、
忘れられない強烈な印象を残します。
死にゆく刹那を描いているからでしょうか。
狂死のオフィーリア恍惚として死んでゆくことができれば、
何年生きたかは関係ないかも知れません。
全身癌であるといっている樹木希林がモデルである
のも微苦笑を誘いながら考えさせられたコピーでした。
今回はあくまでも病理医の立場から、考えることができたらと思っています。