仕事で使う顕微鏡は双眼鏡で、いつも俯くようにして覗き込んでいるのだが、昨夜は双眼鏡を上に向けて皆既月食を見た。
食は帰宅途中から始まり電車の車窓から眺めた。
鎌倉に帰り着いて改札を出たら、駅前にはスマホを空に向けて写真を撮る人がたくさんいた。
周辺が妙に暗い感じがしたのは、一昨日の晩までの煌々とした月明かりの記憶があったせいだろうか。
皆既食の時間が1時間以上ととても長く、部分食になると地球の影が月に映っているのがよくわかった。
残念ながら天王星は入る時も出る時も確認できず、国立天文台の実況中継で見た。
日本にいる多くの人が楽しんだと思うが、実はこんな自然からの無償の贈り物こそが何よりも素晴らしいショーだった。
私も何枚か写真を撮った。
欅の木を入れようとするとどうしても小さくしか映らないが、月のアップではどこで撮ったものでも大差ない。
このエントリーに選んだのは2機の飛行機が飛んでいたもので、旅客機とは向きも高度も違ったので、あれは横須賀に向かう軍用機だったのだろうか。
レンズの向こうの画像は、月に映る地球の影もくぼみも、顕微鏡の奥の細胞も同じようだった。
6年ほど前に、ある学術書を単著で出した。
累計で2千部近く出ているので、マイナーな領域の医学書としては驚異的なヒットだった。
本を出してからだいぶ時間が過ぎたからそろそろいいだろうが、あの本を書いた頃、私は閑職にあった。
いきさつを語るには、私はまだ現役だし、なにより当時の状況について複雑な思いが残っており、時期尚早だろう。
とにかく閑職というだけあって、執筆する時間が比較的あったのと、そんな立場に追いやられたことに対して奮起したのが良かった。
そのほかにも私の企画を引き受けてくれた編集者さん、その部署での上司、そして家族の協力ほか多くの人の助けのおかげだったのはいうまでもない。
その本だが、今、見返すと色々手直ししたいところがあり、改訂版を出したいと思っている。
そうなるとそれなりに気合を入れなくてはいけないのだが、どうもその気力が湧いてこないので、出版社にそのことを話すのをためらっている。
最大の理由は、今の仕事でそこそこテンパっていて、執筆に充てる時間がなかなか見つからないからで、どこでどう執筆のための時間を捻り出したらいいかというのが最大の問題となる。
忙しいと言ってしまうのは簡単だが、それでも時間は作り出さなくてはならない。
残っているのはこのブログを書く時間、それなりに推敲までしているので、ゆうに1時間は越える。
通勤時間という、スキマ時間を使っているとはいっても、この時間を資料集めと執筆に転用することはできる。
ほぼ毎日拝読しているブロ友さんがおられる。
その方のエントリーのほとんどは、その日の写真1枚と4、5行の記載だが、日々の思いは十分に伝わってくる。
そんなブログに変身できないだろうかと思うが、無理だろう。
モノマネをしたところで、習い性となったスタイルを変えることはできそうにない。
では、改訂版はどうするか、ということになってしまうし、では、そもそもブログの意義とは何かということにまでなり、落とし所が見つからない。
無駄に費やしている時間はまだあるはず
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一昨日の記事からもそのご様子が伺えました。
改訂版を出すための時間が取れない、ということですが…。
ブログを拝見するだけの、何も知らない部外者の考えですが、
ブログって、そんなに大切ですか?
ブログでこうしてお話しして、
時に変なからみをする私が言うのも変ですが、
ブログのお付き合いはしょせんは、幻です。
もちろん、ブログだけでのお付き合いだろうと、PCやスマホのむこうにいるのは血肉をそなえた人間だということは忘れてはなりませんが、…
…うまく言えないのですけど…。
ブログの発信は、しょせんは自己顕示の自己満足です。
辛辣なことを言ってしまうと、
たぶん、コロ健さんがブログをやめても、困る人はいません。
(もちろん、私のブログもです。)
コロ健さんのブログが意味がないと言っているわけではありません。
読み応えはあるし、病理医という知らない分野の方の見識はいつも楽しみにしています。
皆さまもそうだと思います。
でも、たぶん、やめても
あー残念とは思っても、たぶん誰も困りません。
世界の何億という発信のなかの、一つにすぎません。(私のもです)
なければないで、なにか、山ほどある他の面白い記事や動画や映画を見るだけです。
ブログをしているからこそ頂けるお付き合いや温かい励ましもありますけど…。
それに、依存、してはいけないのではないでしょうか。
個人的には、もし仕事や生活で時間が押すようになったら、
ブログにかける時間は削るようにするべきだと思います。
人は貴方の(私のも)ブログがなくても寂しくありません。
寂しいのは自分です。
ブログよりは、コロ健さんの立派な本のほうが大切な業績ではないでしょうか。
本の仕事をするから、ブログをしばらく休む、と宣言すれば、きっとブログ読者は皆、理解して、再開を待つと思います。
戻ってきたら、誰も読まない、なんてことはないと思います。
(フォローしてる人が新しい記事出したら、一覧表に出ますからね)
もちろん、やめるのが最善だと言っているわけではありません。
やめても大丈夫だし、とにかく短縮とか、なにかその方向を「視野に入れて」みては、ということを
お伝えしたいだけです。
もちろん、いや、自分にはブログがなにより大切なんだ、というお考えでも、そういう環境の人はいると思います。
大切度合いは人それぞれです。
コロ健さんのご活躍を、PCのむこうから応援しています。😊
長文、乱文、失礼いたしました。🙇
コメントありがとうございます。
ブログのお付き合いなどしょせん幻、確かにそうですね。
それなのにいちいちお返事を書いているのも時間の無駄遣いですね。
私がブログをやめて困る人がいないのに、自己顕示欲を満たすためだけに続けるというのも馬鹿げたことで、大変参考になりました。
>いちいちお返事を書いているのも時間の無駄遣い
ブログの発信自体は、自分だけの問題ですが、
コメントをくれる人に、何も返さないのは…礼儀の問題ではないかと思います。
最初に書きましたように、PCの向こうにいるのは生きた人間です。
電話の向こうに見えなくても、頭をさげながら話すのか、
どうせ見えないんだからとふんぞりかえりながら口だけ謝りの言葉を吐くのか、という違いです。
もちろん、どうされるかはそれぞれの考えですけど。
コメントへの返信が煩わしいなら、
コメント欄自体を閉鎖するとか、
コメントをいただいても返事はできませんと宣言するとか、
きちんと意向を明らかになさった方が良いのではと…愚考します。
これは私が思う礼儀の線なので、
なにを礼節のラインとするかは人それぞれですが、
礼儀・礼節、という点もお考えにお入れになった方が良いかとお伝えさせてください。
あと、新しい記事も面白かったです。
皆既月食が病理医師にかかるとこうなるのか、と知らない世界を見せてもらえて、面白かったです。
ブログの発信がどれだけ大切なのかは、人の環境によりけりなので、
最初に申しましたように、
やめろと言っているわけではないと再度お伝えさせてください。
何度も書きましたように、私のブログも所詮、一瞬でじゃあねと言われる程度のものです。
おそらく、大スターのものだって、やめれば騒ぎにはなるでしょうけど、1ヶ月もすれば人々は他のなにかで時間を過ごしています。
貴方がどうでもいい人物だと言っているわけではありません。
単に、ブログの付き合いはそんなものだよ、とお伝えしたかっただけです。
なので、私の提言でお腹立ちにならないで頂けると嬉しいなと思います。
どうぞ今後のさらなるご活躍の日々をお過ごしください。
いつも貴重なご意見ありがとうございます。
こんなブログですが、私と繋がっていて、何かあればコメントをくださるブロ友さんが何人かはいますので、コメント欄を閉鎖するのはちょっと無理かなと考えています。
仕事の方はもう少し隙間時間を工夫してやりくりしてみようと思っています。