花冷え。桜の名所はけっこうな人出だそうだ。
数年前から某大学病院で行われているカンファレンスに呼んでもらっている。私が昔いた職場の同僚の臨床医で今はそこの教授になっている友人からの依頼で、勉強になる症例を先方でピックアップし、それを私が顕微鏡像をモニタに映し出して解説して一緒に検討するという方式で行なっている。昨晩もそのカンファレンスがあり、ついでに4月に開催される病理学会での私の講演の予演会を終了後に行わせてもらった。忌憚のない意見を戦わせることでき、大変有意義だった。こうして純粋に医学的な話を、ある意味楽しく語り合うことができるということをこれまでは当たり前だと思っていたが、実はそうではないということを最近実感する。
この時代にこんなことが起きるなんてとても信じられない
と、命を救うために働いている病院がロシア軍によるミサイル攻撃をうけることに対して、絶望的に嘆くウクライナの医師の姿が、数日前にテレビに映し出されていたのが心に痛々しく残っている。戦争という殺戮行為とこれと真反対の救命行為とは命のマッチポンプとでもいえる矛盾したことを眼の前にすることがどれほどのことかを想像することは困難だ。
この時代、すなわち戦争が犯罪であり、平和を希求すること、一人一人の命を大切にすることが善であると肯定される状況下にあるにもかかわらず、ロシアによるミサイル攻撃で無差別に一般市民が殺されている現実、さらには病院という場所が、その標的になっているということを考えると、医学の話、医療の話をいうものをそれに携わる人間同士で互いに忌憚なく話すことができる日本に住む私たちのなんと幸せなことだろうか。そんな私にできることはウクライナの医療従事者たちに遠くからエールを送ることしか無い。
人類はいつまで経っても愚かで、愚行を繰り返してばかりだと思っていたが、そんなことはなく、人類全体の知能、倫理観は先の大戦からの75年で格段に進歩していた。それなのに、一部には強権主義者、狂信的宗教集団による破壊的行為が平然と行われている。これらがまったく無意味な犯罪行為に過ぎないということが明らかになっているというのに、また今回同じことが繰り返された。ロシアが経済的に抹殺されたとしても、北朝鮮、中国といった脅威が消えるわけでも無い。今の日本は自らの平和を守るために何をしなくてはいけないか、子供たちを守るには何をしなくてはいけないかを、国民全員で議論する時だ。なぜなら脅威が降ってきたからでは遅いからだ。
くじけないで
Не падайте духом