こんな気持ちでいられたら・・・一病理医の日々と生き方考え方

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プロ野球は大人がやっていた・・・さよなら野村克也さん

2020年02月13日 | スポーツ・健康・ダイエット
原辰徳の出現がプロ野球を若者のスポーツにした。それとも、私と5歳しか違わない彼が活躍するようになってそう感じるようになっただけかもしれない。
もともと、野球というのは大人のスポーツだった。稲尾はよく知らないが、物心ついた時には川上哲治率いる巨人に長嶋茂雄と王貞治がいた。彼らと一緒にやっていたのは土井、黒江、森といった大人たちだった。金田正一、鈴木啓示も村田兆治も大人だった。野球以外のプロスポーツである相撲もゴルフもプレイヤーは大人だった。
私が小学校4年の時に南海ホークスが優勝した。パリーグはすでにセリーグに比べて人気がなかったものの、我が家では親父が阪急ファンだったということもあり、パリーグ情報の乏しかった東京育ちであったにも関わらず、私は南海ファンとなった。野村が三冠王を取っていたということはファンとして子供心に誇らしく、後に落合が3度もとった時にはちょっと癪だった。ビッグコミックであぶさんと出会ったのはずっと後になってからだが、大学生になってからは南海の応援に所沢には何度か足を運んだ。門田は私が見た最後の大人だった。

それから十数年経ち、プロ野球中継をみていたら、ヤクルトのダッグアウトで野村が仏頂面を頬杖で支えていた。周りのコーチもおじさんぽく、こう言っては失礼だがそこらへんの草野球チームのようだった。それは小学生の時に思ったプロ野球は大人のスポーツという感覚だった。

野村克也さんが亡くなって追悼番組で”あの頃の野球”の場面をみる。ちょうどカラー放送が普及してきた頃で、南海の白地に緑のユニフォームよりは福本の阪急の白地に赤と黒のラインが目立って見えてしまった。長嶋と王と稲尾を野村でローマ旅行をしているという、驚きの画像があったが、それを見ると、彼らはまだまだ若々しく、大人ではあったけど、決しておじさんではなかった。
ホークスも遠い地のチームとなりパリーグはすっかり縁遠くなった。チーム名もスラスラと出てこないぐらい、再編があって愛着も薄れてしまったが、野村さんの訃報に接して30年以上前のことを思い出すことができた。
ご冥福をお祈りします。
神奈川はDeNA

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