こんな気持ちでいられたら・・・一病理医の日々と生き方考え方

人生あっという間、私の時間もあと少し。
よりよく生きるにはどうしたらいい?

第112回日本病理学会総会@下関・・・2日目

2023年04月14日 | 病理のこと、医療のこと、仕事のこと
昨日は朝8時半のポスター貼り出しに始まって、夜の研究会主催の講演会が終わりが9時20分、ずっと学会場の中をうろうろしていた。
全部終わってから、教室の先輩と後輩と私の3人で夜の下関に繰り出し、まだやっていた焼肉屋で遅い夕食を食べた。

二人とも専門医試験をトップで合格したというものすごく優秀な病理医で、何かあると押しかけ同然であれこれ相談している。
そういうことがそうそうあるわけではないのだが、緊急時に相談できる人がいるというのは何よりだ。
昨日は診断に困っている標本を持参して一緒に見てもらった。
学会場内に、個人的コンサルテーション用の顕微鏡ルームがあるというのは、いかにも病理学会らしい。

お腹がいっぱいになったところで、下戸の後輩とは別れ、先輩と小洒落たバーを見つけてもう少し飲んだ。
外であまり気にせずに飲めるようになったというのは本当にいいことだ。
ただ、コロナが完全に消えたわけではないので、気を付けておかなくてはいけないのだが、ずいぶん前のことのように思えるようになってきた。

そして2日目。
けっこう飲んだ割には頭はスッキリしていて、朝から聴きたかった演題にも間に合ったし、最後まで居眠りもしなかった。

今日も顔見知りの先生方とすれ違った。
お互いそれぞれ用があるので、なかなかゆっくり話すことはできないが、それでも元気そうだと確認できるだけでもいいのだ。
まあ、ずいぶん偉くなったという話を聞くと、自分が取り残されてしまったという一抹の寂しさは感じるがそれはひとそれぞれ。

休憩時間に学会会場の横の海峡夢タワーというのにのぼった。
学会参加者は半額にサービスしてくれていた。
少々雲が出ている上に黄砂も飛んでいて、視界はあまり良くなかった。
下関というところは、思っていた以上に入り組んでいて、展望台の窓についている案内表示をみないと、どちらが東でどちらが西かよくわからなかった。

下関の向かいの門司はかつては軍港で、祖父の転勤で父もしばらく住んでいた街だ。
かつては、ここをさぞたくさんの軍艦が行き交っていたのだろうか。
祖父は陸軍で兵站を担っていた部隊にいたと聞いたことがある。
だから、門司や広島といった軍港が勤務地だったのだろう。
父は絵を描くのが好きで、海の近くに住んでいたから船の絵がとくにうまかった。
ある時、戦艦の絵を描いたのを祖父に見られ、”ひと(他人)にはみせんように”と釘を刺されたことがあったそうだ。
そんな絵でも軍事機密となり得たのだろう。
そして、終戦近くになって、船の数がどんどん減っていったのはとても寂しかったと言っていた。
関門海峡を見下ろし、そんなことを思い出した。

事故にあったと見られる陸上自衛隊のヘリコプターは、捜索一週間でやっと手がかりがつかめてきたようだ。
1日も早く、ご家族の元に帰っていただきたい。
上は巌流島、下は関門橋

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