こんな気持ちでいられたら・・・一病理医の日々と生き方考え方

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よりよく生きるにはどうしたらいい?

民度とか品位とか、そんな言葉を口にするときは覚悟をもって

2020年06月24日 | 日々思うこと、考えること
某大臣が、よその国(のたぶん高官)に対し、『おたくとうちの国とは、国民の民度のレベルが違うんだ』と電話で言ったということで物議を醸した(麻生大臣、「他国と比べて日本は民度レベルが違う」発言が物議(SmartFLASH) - Yahoo!ニュース)。個人的な間柄でのやり取りという側面もありそうで、評価は難しいが、国会の委員会での発言となると揚げ足を取られても仕方あるまい。彼の言いたいことはなんとなくわかるが、それを表すために”民度”という言葉を使ったのは適切ではなかったのではないか。そもそも民度という言葉に対応する英語の単語はなくて、cultural standard とかPeople's degreeと表現される。フランス語でも同じようなもので、どのような言葉で伝えたのかそちらのほうに興味が湧く。記事の字面だけ読むと、日本語でいう”民度の違い”というよりは、その国と日本との国民性の違い、考え方の違いというような意味で伝わった可能性はなかろうか。

家の中では靴を脱ぐ、ハグはもとより握手だってあまりしない、”たまたま”冬の花粉の季節にはマスクをする習慣がある、といったようなことが重なったのが感染拡大を防止した一助になった可能性はある。さらにはお上の言ったことは概ね良しとしてそれに唯々諾々と従う国民性もロックダウンなどという恐ろしい措置を持ち出させずに済んだ(憲法でそれはできないとのことだが)。仮にこういったすべてのことが、新型コロナウイルス(COVID-19)の感染拡大防止の役に立ったのだとしても、それだけでこの国のcultural standard とかPeople's degreeが高い、というのはどうなのだろう。それに、それぞれのこと、裏を返せばよくないところもたくさんある。ただ、お上に従順な国民性は為政者にとってはとても都合がいいものであるだろうから、御し易く、「言うこと聞いてくれてありがとう」といったところだろうし、そのご褒美として10万円はある意味妥当な額かもしれない。あと、「みんな絶句して黙るんです。そうすると後の質問が来なくなるので、」というのは、民度の違い、という変えようのない言葉を持ち出すことで自ら対話を終わらせてしまっているのだということに気がついていないわけで、これはこれで政治家としてはいただけない。

民度、とは違うが、品位という言葉も最近よく耳にするが、では品位とは一体何か。その本質的な意味が人口に膾炙しているとは決していえない言葉を使って、聞く人の自己満足感をくすぐるように使われてはいないか。”品位”という言葉、字が簡単なのでなんとなくわかりやすく感じるが少なくとも、自分自身を高く見せるための言葉ではなかろう。品位のある人は他と自分を比較する様なことはしないだろうと思う。それこそが品位ある人の行動だと思う。品位という言葉をむやみに使うと、それこそ品位という言葉が台無しになってしまうかもしれず、注意しなくてはいけない。

民度にしても品位にしても、自分の所属する社会(地域、国)、自分自身にはそういった美点がもともと備わっているのだ、などと思い込んでいると、その集団、個人はある一定の方向に進みかねない。自分は正しいものという思い込みは、正しい人間の行うことは正しい、という思い込みに進んでしまう。この時正しいという判断が、自分が自分に対して行なっているに過ぎないということを忘れてはならない。いつも自分を、批判してくれる人をどこかに求めながら生きていかなくてはいけないし仮に批判されたら真摯(この言葉も最近軽くなってる!)に受け止める。こういった言葉を使うからには、それなりの覚悟がいる。
対話を大切に

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