こんな気持ちでいられたら・・・一病理医の日々と生き方考え方

人生あっという間、私の時間もあと少し。
よりよく生きるにはどうしたらいい?

さよなら大きなけやきの木

2022年03月10日 | ガーデニング・菜園・花・緑
 季節は本格的な春となりフラワーポッドに植えたラナンキュラスとデイジーがたくさん咲いた。ナランキュラスを植えたのは良かったが今年の冬はあまりにも寒かったので、夜には不織布をかけたり、藁でマルチングしたりとかした甲斐があった。フラワーポッドの下のムスカリもだいぶ顔を出した。こちらはもう畑の様になりつつある。今週末は学会の類はなく、三週間ぶりに庭の手入れができそうでたのしみ。
 多くの人にとって、花や木は癒しであり、心の支えにんなる。ただ、これらは自らの足で動くことはできず、その生き死には周りの環境に支配される。だから、鉢植えの花に水を欠かしてはいけないし、林や森は手入れしてやらなくてはいけない。

 勤め先の病院の駐車場の真ん中には大きな欅の木があり、その周りには背の低い木が集めて植わっていて、まるで小さな森の様になっていた。だが、車で来院する人が増えたらしく、朝はいつも大渋滞となる。誰が苦情を言ったのか知らないが、駐車場を2階建てにすることとなった。無用の大木よりは自分がスムースに車を止めることができることの方がよほど大事だという人が多かったのだろう。

 午前中の駐車場渋滞のためだけに、病院のシンボルツリーを切るというのははなはだ馬鹿馬鹿しいことだが、この話がわれわれ下々の職員の耳に入ってきた頃には計画は最終段階にあったようだ。この大きな木を残して欲しいという要望書が集められ、私も無駄とは知りつつも、計画の抜本的見直しを検討して欲しいという嘆願書(文末に載せておきました)を書いたが、当然のことながら、既定路線が覆ることはなかった。
 2年半前に、この病院に勤めるようになったとき、最初に印象に残ったのはこの木だった。それ以来、季節の移り変わりとともに姿を変えるこの木を朝な夕なに眺めて少なからず癒されていた。病気と闘う全ての人に、大きな力を与えてくれていたであろう。
 工事が進むにつれ、駐車場周りの木はどんどん伐採されていった。いよいよ明日伐採というところで、昨日の朝、少しの時間、工事現場のフェンスを外すのでお別れしたい人はどうぞきてくださいという連絡がきた。病院にしてもなんとかできなかったかという残念な思いはあったのだろう。
 フェンスの中には、すでに某科の医者が何人かいて、皆で記念写真を撮っていた。私も最後の一枚を撮ってもらった。重機の横には切り倒された木々の残骸が転がっていて、それを見下ろす様にして欅の木が最後にただ1本残って立っていた。その姿はまるで自分が率いてきた小さな森の最期を見届けようとするかのようだった。
 帰りに病院の玄関を出てフェンスを見上げたら、やたらと広い夜空が見えた。
   しばらくは寂しい思いをするだろうが、やがてはその景色にも慣れていってしまうだろう。そんな自分がまた残念に思える。
なんともやるせない

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嘆願書(固有名詞などを一部削ってあります)

 当院開院から10年目の秋、私はこちらに赴任しました。そんな私を迎えてくれたのが、駐車場に1本だけ残る20メートル以上ある欅の木でした。巨大な病院の威容にも、この欅の木はこの地の森の面影を守ってくれているのだと思え、感慨深いものがありました。やがてコロナ禍が人間社会を覆い、地域の基幹病院としてこの両病院がコロナ対応に奮闘する間も欅の木は静かに見守ってくれていました。
 通勤時間帯に病院へ向かうバスが、自家用車で通院する人のための駐車場渋滞にしばしば遭遇して遅刻しそうになることもあります。駐車場を増やせばこの問題はある程度解決するでしょうが、抜本的な手当ではないことは明らかです。人間の利便性を求める気持ちは増大するばかりで、縮小することはありません。それなのに、駐車場拡大のために欅の木を伐採しようという話を聞きました。これだけの大木に育つには相当の年月がかかったものと思います。そんな木の命を奪うのは簡単なことで、半日もあれば跡形もなく消えてしまうでしょう。
 病院前の広い空間が保たれているというある意味ぜいたくな景色は患者さん、医療従事者のみならず多くの人の心に潤いを与えてくれるものだと常々感じています。開設当初、この木はその命の輝きを感じた人がわずかに1本だけ残したのだと思います。そして、今、その最後の欅すら、単なる駐車場渋滞のために行われようとしている、私には、それは人間の勝手にしか見えません。SDG’s を考えなくてはいけない今、私たち人間の持つ問題として欅の木を眺めてみてはどうでしょうか。
 病院にやってくる人のほとんどは、つらい思い、悲しい思いを抱えています。そんな人の目に最初に飛び込むこの欅の木は生きる力になっているに違いありません。3度目の冬を迎え、葉のほとんどを落とした姿は、やがて来る春への力を蓄えています。春、夏、秋、冬、ここに勤める職員にも、この木を心のよりどころにしている人は少なくないと思います。
 駐車場渋滞に対する苦情、不平、不満が多いであろうことは容易に察しがつきます。しかしながら、来院者のどれだけの人数の人がそれを申し入れているのでしょうか。来院の手段が自動車以外にない人の多くは駐車場の拡大を求めているでしょう。でもその中に木の伐採を含めているのでしょうか。あの木の命を奪う前に、多くの人からの意見収集を行うこと、代替案を徹底的に考えることが必要だと思います。


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2 コメント

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Unknown (荻野誠人)
2022-03-10 17:12:23
 おじゃまします。
 何か泣けてくる話ですね。
 うちの近所でも、見慣れた森が伐採されて住宅地に変わり、気分が沈みます。私有地ですから、何をどうしようが所有者の自由なんですけど。
 それではまた。
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Unknown (コロ健)
2022-03-10 20:08:17
荻野さん、いつもありがとうございます。
さっき、病院を出たらもう切られていました。これ以上緑を犠牲にしなくてもやっていけると思うんですが、そうはいかない様です。
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