今日もまた日は昇るし、月も出る。夜明け前もあれば、月は満ちて欠けていく。
すべては移り変わりつつ、変わらない。
人間に価値があるとすれば、それはお金か、地位か、名誉か。
お金があれば何でも他人から買うことができる。
地位があれば他人を自分のために働かせることができる。
名誉があれば他人から賞賛の声をうけることができる。
だが、それらと一人一人の人間の価値を置き換えることはできない。
人間は一人で生きていくことはできない生き物だからそれらは必要なものではある。
だけど、欲張って何でもたくさん独り占めしようとしたら、決して価値ある人間ではいられなくなる。
「電車内でのお客様同士のトラブルで・・・」のアナウンスをよく聞く。自動車同士のトラブルも少なくない。世の中物騒なことが多くて怖い、などということを妻と話していたら、「(コロ)健ちゃんも気をつけてよ。何か気に障ることがあると、相手の人のこと、“ちっ”、とか舌打ちしたり、にらんだりするでしょう。ああいうのがきっかけで殺されたりだってするのだから。」と心配されてしまった。
歩きスマホ、歩きタバコ、列への割り込み、ヘッドホンの音漏れ、満員電車内でのリュックサック・大荷物、歩行者無視の交通マナー違反、子供のしつけをしない親、逆に虐待としか思えないようなことをしている親、義憤を感じることは数えあげたらきりがない。
そういうことをしている人の中にはトラブルを待っているような人もいるので、気をつけなければいけない。返り討ちにあっては元も子もない。これらのことを見ても聞いても、じっとがまんするしかないのが、またストレスになる。
私はスーパーマンじゃあないので
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というようなわけで、その教科書の執筆をそろそろ始めなければいけないのだが、なかなかアイディアが湧いてこない。臨床の先生からの依頼なので、普段私が考えているのとは違った切り口で書いて欲しいとあるのだ。フェイントをくったような格好で、少々うろたえている。とはいうものの、急に新しいことはできないので、復習しようと、これまでにこの分野に関することで書いてきたものを引っ張りだしてみた。
すると、思ってもいなかったのだが、雑誌の特集などに書いた総説のようなものだけで3つも出て来た。思えばほぼゼロから始めたことだったのに、10年もやると、ずいぶんとたまるものだ。まずは、これを読むことからはじめることにする。
ちりも積もれば山となる
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ここのところの容量負荷の原因となっているものの一つに、少し専門的な教科書の一章の執筆を受け持たされているということがある。不肖コロ健、もともとたいしたことないのに、熱心な臨床医を手助けしているうち、いつの間にやらその分野の専門家になってしまっていたらしい。
そもそも、ある偉い先生に「この分野のこと、少しやってくれないか?」といわれて始めた勉強だったが、おかげで今となっては「 専門はこの分野です」と胸を張って言えるように(というか、胸を張って言わなくてはならない立場に)なっている。
情けを人にかけておけば、めぐりめぐって自分によい報いが来る。(広辞苑)
人間、一人じゃなんにもできないわけだし
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頑張ろう、などと言っている割に昨日の夜は高校時代のクラス会に参加。ほぼ毎年やっていてほかのクラスからもずいぶん参加してもらえるようになった。
クラス会に参加したということが悪いというわけではない。
少々しゃべりすぎてしまったけど、それ以上に悪かったのは飲みすぎてしまったこと。“飲み放題”というと、どうもたがが外れてしまう。少々美味しいワインなんかがリストにあったりするともう止まらない。というのではいけないのだけど、とにかく飲んでしまった。
渋谷で集まったのだが、どうやって鎌倉まで帰って来たのかよく覚えていないほど。
おかげで今日は少々頭が痛い。お酒に飲まれてしまったというわけで、こんなことではいけないですね。
妻にも、子供達にもばつが悪くて始末に負えない。反省しきりです。
しばらくの間、このブログ、ライトにいくことにした。そこで、もったいないので以前書きかけてそのままにしていたものを手直しして載せようと思った。けど、うまくいかない。よほどのテーマでないと、なかなかその時に書こうと思った熱意が湧いてこない。ブログのテーマは旬のものでないと駄目なようだ。
というわけで、今日の記事はいよいよ始まった段葛の再整備工事の写真。
八幡宮側の半分はまだ通行可。半分ずつの工事なのかな。
たしかに、いっぺんに全部やる必要は無いだろうから、是非そうしてほしい。
防壁が立てられています。先週はずいぶん渋滞したらしい。
防壁はもっと高くなるかと思っていたので、少しホッとした。
二の鳥居前は完全に封鎖です。
今日見てきました
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いろいろやらなくてはいけないこと、というか、やることの優先順位が変わったので、このブログを少しライトにしようと昨日決心した。
ブログの文章に手を入れる時間を浮かせて、帰りの電車で論文を一本読もうと考えていたのだが、隙ができたと思った瞬間、駅前の本屋に吸い込まれ、帰りの時間は小説読みに充ててしまった。
時間というのも一つの箱のようなもので、空いたところは別のものがそれを埋める。
空間はいろいろな物質により隙間無く埋められているが、時間というのはそれを認識する個人個人の意識が埋めているのだろうか。
というところまで考えたが、今はこの先を考える時間が無い。続きは、今度時間が空いた時に考えることにする。
結局、某英文雑誌の論文査読を引き受けてしまったので、不肖コロ健の尻にも火がついてしまった。さすがにのんびりしてもいられず、16ビットのオンボロCPUをフル稼働させなくてはいけなくなった。
というわけで、しばらくの間、コロ健、あれこれ考えるのはやめて、仕事のことだけ考えることにした。
こんきもはしばらくライトに。
昨晩はミラクルムーン・・・171年ぶりの「後の十三夜」とのこと。
夜中の1時、わが家から見たミラクルムーン。台風20号が呼び込んだ雲の切れ間からのぞいた一瞬。
今日は朝から雨。夜中に見ることができたのもミラクルだった。
後の十三夜:171年ぶり「ミラクルムーン」
毎日新聞 2014年11月05日 21時24分(最終更新 11月06日 00時01分)
某英文雑誌からの論文査読の依頼を受けるか受けまいか、悩んでいる。かれこれ五日。
そろそろ返事をしなくてはいけない。受けるとなると、返事をするまでの猶予期間は短い。今、これほどパンパンになっているのだから、次にこれを受けたら、もうパンクするであろうことは容易に想像がつく。個人的には、読みたい本もある。そしてなによりこのブログも、少なからず影響を受けるだろう。
人生、どれにどう順位をつければいいのかなんて、結局最後までわかるわけが無い。
だが、これを断ったら、次はもうないかもしれない。それに、それなりの勉強ができるという点で論文の査読から得られるものは多い。
あまりうっちゃっておくと、忘れてしまうかもしれないので、今日中に意思表示をしようと思っていたら、催促のメールが来たので返事を出した。
もちろん、agree 以外に選択肢はない。
おいおい、自分の論文は?
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私は私のようなつまらない人間があまり好きではない。
正論ばかり言っているわりに、自分に甘くて他人には意地悪。楽しい話題で盛り上げることなどとてもできない。
こういう人と一緒にいても面白いことはなにもないので、もし私が私のそばにいても、私が私に近づくことはきっとないだろう。
ではどうしたら、私は私が好きになることができるような人間になることができるだろうか。
今まで、人に好かれる人、人が集まってくる人のことをうらやましいと思ったり、自分と比べてひがんだりしたが、人に好かれよう、人に喜んでもらおうと考えたことはなかった。
自分はありのままの自分でしかいられないのだからと開き直っていたが、果たしてそれでよかったのか。
とはいうものの、50にもなっていまさらどうしたらいいのかわからない。せいぜいまわりの人におべんちゃらを使ってゴマをする程度だろうか。でも、そういう人はそういう人でやっぱりつまらないので、あまり、近づきたいとは思わない。
ではいったいどんな人が好ましい人かと考えると、なかなか思いつかない。
どんな自分と付き合いたいか
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毎年、10月にやってくるノーベル賞週間。日本人から受賞者が出るかと、楽しみにしている。
今年こそ村上春樹がノーベル文学賞を受賞すると期待していたのだが、残念ながら今回もダメだった。
ノーベル文学賞候補といえば、三島由紀夫と井上靖である。井上靖は中学生の頃、『桜蘭』『しろばんば』等々、ずいぶん読んだものだった。一方、三島というと、同性愛のイメージが強すぎて敬遠してしまって、あまり読んでこなかった。男子校出身者として共感できるところが多かった。
もう少し長生きしていたらきっと受賞していたに違いなかったのに。
デカルトには元気をもらった。
「わたしは考える、ゆえにわたしは存在する」
私もまだまだこれから。
2014年10月の読書メーター
読んだ本の数:2冊
読んだページ数:418ページ
ナイス数:63ナイス
方法序説 (岩波文庫)の感想
デカルトがこの書をなしたのが41歳。『それほど年をとってもいない』、と彼自身自覚していたが、この13年後に亡くなった。享年54歳。かたや私はもうすぐ51歳、不慮の事故を別として、あとどのくらい時間は残されているのだろうか。これまで生きてきて、何一つ真理らしい真理を残してこなかったことに対する後悔は底知れない。しかし、そうすることに始まりの合図も終わりの合図も無い。強いて言えば、始まりは今である。私に残された時間はもう少しあると思って、何かを残すことをしてみようと思う。
読了日:10月31日 著者:デカルト
仮面の告白 (新潮文庫)の感想
カラマーゾフの兄弟の引用から始まる文章は終始格調が高そうな文体で、知性豊かそうに語られてゆく。だが、主人公たる「公ちゃん」、実は単なる自意識過剰で女性恐怖症のナルシスト。巨大な妄想の中で、青春の日々を悶々と送っている。ユーモアたっぷりで、ツッコミどころ満載の自叙伝というところ。小説の主題とは若干異なるが興味深かったのは、昭和初期の日本の学生の空気が伝わってくるところ。知らない人間からすると、悲惨であったろうと思う戦争中だが、こうして傍観者でいた人というのは、ずいぶんいたのだろう。
読了日:10月17日 著者:三島由紀夫
読書メーター
来年も楽しみ
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せっかくの休みだというのに、仕事でトラブっている夢で目が覚めた。目覚めた時間は仕事のある日と同じ、6時まではずいぶん時間がある。
起こしてしまった妻に、どうしたのかと聞かれ、かくかくしかじかの夢を見たと話した。寝る前に観ていた、消防署員が主人公のNHKのドラマで、登場人物の一人が悪夢にうなされる場面があり、そのイメージが残っていたからかも知れないと自己分析してみせた。
そして、「50(歳)にもなって、仕事のことなんかで目が覚めるなんて、情けないよ」と言ったら、
「ドラマの人も同じぐらいの年、だから気にしないでいいわよ。みんな、いろいろあるんだから。」
そう言われて、ハッとした。みんないろいろある。
以前にも似たようなことを言われた。どうしてすぐに自分のことばかりになってしまうのだろうか、情けない。価値基準が自分にしか無い。生き方の物差しは多様でなければならない。
目が覚めてしまったので、顔を洗いにいったら、洗面所でマルチーズのコロが粗相していた。コロ健、寝ぼけていたら、踏んでしまいそうになったが幸いそうの前に気がついた。
コロのためのトイレシートは綺麗なまま。
床を拭いたあと妻にそのことを話したら、
「コロもいろいろあるのよ」
とのこと。思わず笑ってしまった。
たしかにそうだ。ペットだって楽ではない、気持ちを考えてやらないと。
ナイトにもいろいろあるか
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