温暖化抑制への逆流② 目標見直しへの号砲
温室効果ガス削減目標見直しの号砲が鳴ったのは、今年1月25日に開かれた日本経済再生本部の場でした。この日、安倍晋三首相は、各閣僚に10項目の緊急政策課題を指示したのです。第5の項目とは―。
「11月の地球温暖化対策の会議(第19回国連気候変動枠組み条約締約国会議11COP19)までに、25%削減目標をゼロベースで見直す」
2009年、鳩山由紀夫首相(当時)が掲げた温室効果ガスの削減目標(1990年比25%減)には、財界から反発の声が上がりました。しかし当時、財界は「政権との摩擦を避けるため」(経団連事務局幹部)表立った行動は避けていました。

記者会見に臨む安倍晋三首相=10月1日(ロイター)
財界の要求
財界・大企業が公然と見直しを求めた場は、安倍内閣が立ち上げた産業競争力会議でした。
1月23日に開かれた第1回産業競争力会議。経済同友会の長谷川閑史(やすちか)代表幹事は、「2020年温暖化ガス25%削減目標の達成は今や非現実的であり、早急に達成可能なものに見直すべきである」との意見書を提出しました。
この会議で元経団連副会長の榊原定征(さかきばら・さだゆき)東レ会長は、製造業を取り巻く「6重苦」の一つに「地球温暖化ガスの25%削減」を挙げた上で「エネルギー政策との関連の中で見直し」を求める資料を提出。さらにこの資料は、「『原発ゼロ』は日本のエネルギー安全保障体制を著しく脆弱(ぜいじゃく)化」するとして「原発再稼働を含めた新たな日本のエネルギー政策を策定する必要がある」と強調していました。
第1回の産業競争力会議の2日後に開かれた日本経済再生本部での首相指示は、その題名がまさに「第1回産業競争力会議の議論を踏まえた当面の政策対応」だったのです。
温暖化対策計画の策定はその後、中央環境審議会(環境相の諮問機関)と産業構造審議会(経済産業相の諮問機関)の部会の合同会合に審議の場を移します。
3月以降、6回にわたった環境省と経産省の合同会合。第1回会議の冒頭、経産省の鈴木英夫産業技術環境局長(当時)が、こう切り出します。
「25%のような非現実的な目標ではなくて、やはり地に足のついた、かつ国際的にもしっかり説明できるような目標をつくっていく必要があるのではないかと思っております」
国民不在で
財界の意向に基づいた首相の号令のもとで官僚たちは、新目標立案へ走り出しました。
合同部会は、各省それぞれの部会に一人ずつ、経団連の代表と、「原発利益共同体」の中心部隊である電気事業連合会の代表が委員として参加しているため、発言回数が倍加する仕掛けになっていました。
例えば3月29日の第1回会合。かたや産業構造審議会の環境部会委員である経団連の坂根正弘環境安全委員会委員長が「成長目標を掲げ、それに必要なエネルギーを」と発言すれば、かたや中央環境審議会の委員である経団連の進藤孝生環境安全委員会地球環境一部会長は「エネルギー政策と地球温暖化政策の整合性の確[保」が必要と主張する、といっ た具合です。経団連は、温室効果ガス削減目標の義務付けは拒否し、企業・団体の判断に基づく「自主目標」とすることを強力に求めています。
90年比約3%増目標は、このような国民不在の議論の中で生み出されたものだったのです。(つづく)
「しんぶん赤旗」日刊紙 2013年11月21日付掲載
「1990年比25%減目標」が、なぜ非現実的な目標なのでしょうか?
「地に足のついた目標」とはどんなものなのですか?
それが本当に、「国際的にもしっかり説明できるような目標」なのですか?
温室効果ガス削減目標見直しの号砲が鳴ったのは、今年1月25日に開かれた日本経済再生本部の場でした。この日、安倍晋三首相は、各閣僚に10項目の緊急政策課題を指示したのです。第5の項目とは―。
「11月の地球温暖化対策の会議(第19回国連気候変動枠組み条約締約国会議11COP19)までに、25%削減目標をゼロベースで見直す」
2009年、鳩山由紀夫首相(当時)が掲げた温室効果ガスの削減目標(1990年比25%減)には、財界から反発の声が上がりました。しかし当時、財界は「政権との摩擦を避けるため」(経団連事務局幹部)表立った行動は避けていました。

記者会見に臨む安倍晋三首相=10月1日(ロイター)
財界の要求
財界・大企業が公然と見直しを求めた場は、安倍内閣が立ち上げた産業競争力会議でした。
1月23日に開かれた第1回産業競争力会議。経済同友会の長谷川閑史(やすちか)代表幹事は、「2020年温暖化ガス25%削減目標の達成は今や非現実的であり、早急に達成可能なものに見直すべきである」との意見書を提出しました。
この会議で元経団連副会長の榊原定征(さかきばら・さだゆき)東レ会長は、製造業を取り巻く「6重苦」の一つに「地球温暖化ガスの25%削減」を挙げた上で「エネルギー政策との関連の中で見直し」を求める資料を提出。さらにこの資料は、「『原発ゼロ』は日本のエネルギー安全保障体制を著しく脆弱(ぜいじゃく)化」するとして「原発再稼働を含めた新たな日本のエネルギー政策を策定する必要がある」と強調していました。
第1回の産業競争力会議の2日後に開かれた日本経済再生本部での首相指示は、その題名がまさに「第1回産業競争力会議の議論を踏まえた当面の政策対応」だったのです。
温暖化対策計画の策定はその後、中央環境審議会(環境相の諮問機関)と産業構造審議会(経済産業相の諮問機関)の部会の合同会合に審議の場を移します。
3月以降、6回にわたった環境省と経産省の合同会合。第1回会議の冒頭、経産省の鈴木英夫産業技術環境局長(当時)が、こう切り出します。
「25%のような非現実的な目標ではなくて、やはり地に足のついた、かつ国際的にもしっかり説明できるような目標をつくっていく必要があるのではないかと思っております」
国民不在で
財界の意向に基づいた首相の号令のもとで官僚たちは、新目標立案へ走り出しました。
合同部会は、各省それぞれの部会に一人ずつ、経団連の代表と、「原発利益共同体」の中心部隊である電気事業連合会の代表が委員として参加しているため、発言回数が倍加する仕掛けになっていました。
例えば3月29日の第1回会合。かたや産業構造審議会の環境部会委員である経団連の坂根正弘環境安全委員会委員長が「成長目標を掲げ、それに必要なエネルギーを」と発言すれば、かたや中央環境審議会の委員である経団連の進藤孝生環境安全委員会地球環境一部会長は「エネルギー政策と地球温暖化政策の整合性の確[保」が必要と主張する、といっ た具合です。経団連は、温室効果ガス削減目標の義務付けは拒否し、企業・団体の判断に基づく「自主目標」とすることを強力に求めています。
90年比約3%増目標は、このような国民不在の議論の中で生み出されたものだったのです。(つづく)
「しんぶん赤旗」日刊紙 2013年11月21日付掲載
「1990年比25%減目標」が、なぜ非現実的な目標なのでしょうか?
「地に足のついた目標」とはどんなものなのですか?
それが本当に、「国際的にもしっかり説明できるような目標」なのですか?