こういう浦和が不振のときは、良かったときを振り返ろうと思い、2007年のACL準決勝で対戦した城南一和[韓国]のことを振り返ります。あの当時、韓国サッカーはアーリークロスに長身FWが競り、こぼれ球を拾ったMFがミドルシュートを狙う根性サッカーが主流だった頃です。
当時のACLは1次リーグが1位のみの通過で、決勝トーナメントは準々決勝からでした。準々決勝で当たった全北現代も2トップを両方とも長身の外国人選手にして、闘莉王も坪井も忙しく応対してこの根性サッカーに対抗しましたが、全北現代はカウンターの守備に致命的な欠点があり、そこを突くことで比較的楽に勝てました。
この全北現代と比べると、城南一和はこれが韓国サッカーの粋を集めたチームだと、Jリーグには決してない異質の強さを誇るチームでした。確かにアーリークロスは放り込んできますが、ボランチの金相植のキープ力とパスの華麗さはアクセントになっていて、どこからラストパスが入ってくるか分からない難しさがありました。
埼玉スタジアムの試合では中心選手のトップ下のモタが出場停止だったので、普段のサッカーとは違うサッカーをした可能性がありますが、第一戦のアウェイ戦ではモタにシュートを打たせる陰の存在だったFWのイタマルが実は華麗な個人技を持っていたのには驚かされました。
しかし、結果は勝ったのでいい思い出になっていますが、オジェック監督がほとんどターンオーバーをせず、全試合ベストメンバーを並べようとしたので、当時の選手たちは限界状態で、延長戦に入ったときに「PK戦しか勝てる望みはない」と思っていたそうです。
このときのPK戦は、今の若いサポーターがリーグ戦でPKのあった1998年以前の約束事をよく知っていたということに驚きました。全ての旗がゴール裏に集結して、城南一和のPKのときは全員で振り、浦和のPKのときは誰も声を発さない静寂が流れるという応援の力もあって浦和は決勝に進出します。
クラブW杯で対戦したACミランは別格として、浦和に強さを印象付けてくれたのは城南一和です。韓国は移籍が盛んなので、当時のメンバーは残っていないでしょうが、いつかもう一度対戦したい相手です。
当時のACLは1次リーグが1位のみの通過で、決勝トーナメントは準々決勝からでした。準々決勝で当たった全北現代も2トップを両方とも長身の外国人選手にして、闘莉王も坪井も忙しく応対してこの根性サッカーに対抗しましたが、全北現代はカウンターの守備に致命的な欠点があり、そこを突くことで比較的楽に勝てました。
この全北現代と比べると、城南一和はこれが韓国サッカーの粋を集めたチームだと、Jリーグには決してない異質の強さを誇るチームでした。確かにアーリークロスは放り込んできますが、ボランチの金相植のキープ力とパスの華麗さはアクセントになっていて、どこからラストパスが入ってくるか分からない難しさがありました。
埼玉スタジアムの試合では中心選手のトップ下のモタが出場停止だったので、普段のサッカーとは違うサッカーをした可能性がありますが、第一戦のアウェイ戦ではモタにシュートを打たせる陰の存在だったFWのイタマルが実は華麗な個人技を持っていたのには驚かされました。
しかし、結果は勝ったのでいい思い出になっていますが、オジェック監督がほとんどターンオーバーをせず、全試合ベストメンバーを並べようとしたので、当時の選手たちは限界状態で、延長戦に入ったときに「PK戦しか勝てる望みはない」と思っていたそうです。
このときのPK戦は、今の若いサポーターがリーグ戦でPKのあった1998年以前の約束事をよく知っていたということに驚きました。全ての旗がゴール裏に集結して、城南一和のPKのときは全員で振り、浦和のPKのときは誰も声を発さない静寂が流れるという応援の力もあって浦和は決勝に進出します。
クラブW杯で対戦したACミランは別格として、浦和に強さを印象付けてくれたのは城南一和です。韓国は移籍が盛んなので、当時のメンバーは残っていないでしょうが、いつかもう一度対戦したい相手です。