Kobby loves 埼玉&レッズ

埼玉と浦和レッズを愛する管理者のブログです。

日本代表の「条件」

2011-05-01 17:46:48 | ワールドサッカー
サッカーファンではない友達と話をしていたとき、「そういえば日本代表に入るためにサッカーの技量以外の条件はあるの?」という質問を受けました。もちろんサッカーの技量は絶対条件ですが、それ以外に必要なものは一つです。それは「日本のパスポート」です。代表でプレーするときは、パスポートを確認することになっていて、日本のパスポートを持っていることが日本代表の条件になります。

帰化した三都主や闘莉王の場合、ブラジル国籍を捨てて日本国籍を取得したため、日本のパスポートを得ることができたのですが、もう一つ重要な条件があって、それは「過去に外国の代表でプレーした経験がないこと」です。

1930年代にイタリアがどうしても優勝したくて、過去にアルゼンチン代表に入っていたアルゼンチン人を何人か帰化させて優勝したという前例があるので、過去に他国の代表でプレーした選手は他の国でプレーできないことになりました。

もっとも、規則の裏をかく国はいつの時代もあるもので、カタールが代表歴はないものの一度もカタールに住んだことのないブンデスリーガでプレーするブラジル人を帰化させて代表入りを申請したということがあって問題になったことがあります。このときはFIFAの裁定で、代表入りにはその国にルーツを持つかもしくは2年以上の居住が条件という、付帯条件がつくことになりました。

日本のパスポートを外国人が得るには、小学校3年生レベルの漢字が書けることなど、諸外国に比べたら厳しい条件があるので、帰化して代表入りした選手は日本語で日常会話が不自由しないレベルの選手ばかりです。ところが、パスポートを簡単にくれる国もあるもので、現ガーナ代表のケビン・プリンス・ボアテングという選手は南アフリカW杯直前までドイツ代表入りを狙っていました。

それが、ドイツ代表入りがかなわなかったことで、急遽ガーナ代表入りを決意して、あっさりガーナ代表になりました。たぶん父がガーナ人だと思うのですが、欧州に住んでいて直前まで他国の代表になりたいと言っていた選手にあっさりパスポートをあげる国もあるんだなと驚きました。

その結果、ドイツ代表入りしていた弟と、W杯の舞台で対戦するという、兄弟が他国の代表に入って対戦するのは史上初という珍事を招くことになりました。国籍を巡る話にもいろんなドラマはあるものです。
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家の芝桜

2011-05-01 13:26:33 | 雑記
年々、雑草が強くなっているので、勢いは衰え気味になっている家の芝桜ですが、母の頑張りもあって何とか今年も花を咲かせました。ただ、花の数は昨年の半分程度で、やはり芝桜という植物がそれほど強くないんだということは意識せざるを得ません。写真の下半分を埋めている、笹の葉に似た雑草が、芝桜の勢いを奪っています。
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本田美奈子「1986年のマリリン」

2011-05-01 12:02:15 | 雑記
年号の入っている歌なので、思い切り年がばれますが、この歌は少年だった私をひきつける歌でした。昨日、所用で神田に出かけた際、GW中の土曜だったことと、時節柄節電が呼びかけられていることもあって、オフィス街はことごとく暗かったです。これが、1986年のマリリンの歌詞「誰も知らない恋の約束 午前二時眠るオフィス街」を思い出したので記憶から引き出されました。

当時はバブル景気真っ盛りの頃で、この歌にも「車のルーフに金のラメ」みたいなバブルの象徴のような歌詞もあります。また、午前二時にならないと眠るオフィス街にならないのかというのもバブル景気の忙しさを表すもので、あの当時は東京のオフィス街は不夜城みたいな雰囲気がありました。

当時のアイドルは中山美穂と本田美奈子が代表格で、このどちらが好きかタイプ的に分かれた時代でした。おとなしい人は中山美穂が好きで、自分みたいにうるさ型は本田美奈子派が多かったように記憶しています。その後、長くアイドルを続けた中山美穂とは対照的に、本田美奈子は舞台女優に転進したため、舞台を見に行くようなコアなファンでないと彼女の姿を見ることはできなくなりました。

そのため、次に彼女の名前を聞いたのは、突然の訃報だったので驚きました。白血病のため、わずか38歳の若さで、彼女は遠い世界のアイドルになってしまいました。今でも白血病は骨髄移植しか助かる望みがない難病なので、進行が早ければこういう突然の訃報となることもあるのでしょう。

また、この歌は、西武ライオンズの西岡良洋選手が打席に入るときのテーマソングにしていたことも記憶にあります。当時の西武球場は、現在のように音響設備が整ってはいませんでしたから、今のように原曲を直接掛けることはできず、エレクトーンで毎回生演奏していました。それでも、選手のテーマソングを流すことが当時としては画期的な発想でした。

西岡は勝負強い代打で出てくることが多い選手だったため、大事な場面で掛かる1986年のマリリンはファン心理として打ってくれという期待とともに掛かっていた曲でもありました。特に当時の西武は、日本シリーズなどの重要な舞台によく出てくるチームだったので、いろんな場面でマリリンを聞きました。1990年に西岡が巨人にトレードになってからは聞けなくなりましたが。
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