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太鼓叩きからインテルへ(長友佑都)

2012-09-06 14:37:44 | ワールドサッカー
こういう入院のようにまとまった時間のあるときは、現実は忘れて好きなスポーツネタを考えた方が精神衛生上いいだろうと思っています。そのため、サッカーマガジンを隅から隅まで読むというような、ちょっとした贅沢?をしていました。

そしたら、面白いネタを発見しました。今夜のUAE戦に備えて帰国しているインテルDF長友佑都選手が、明治大学時代に試合に出られず応援団の太鼓叩きをやっていたことがあるという記事です。確かに長友佑都は2年生の途中までレギュラーでなかったというのは有名な話なので、その事実とは一致します。

長友佑都の名前が全国にアピールされたのは、反町ジャパンの五輪代表予選で消化試合になった国立競技場でのマレーシア戦です。消化試合なら思い切って普段出番のない大学生やJ2の選手にチャンスを与えるという反町監督が右SBに抜擢したのが、当時明治大学3年だった長友佑都でした。

当時、長友佑都の名前は初めて知ったので、足を引っ張らないか気にしていましたが、その身体能力の高さは一発で印象に残りました。左右のSBを両方こなせるのも売り物で、当時の試合ではゴール前に飛び込んでヘディングで点も取っていた記憶があります。

その後、長友佑都は大学4年のシーズンを大学でなくFC東京でプレーする選択をします。4年生のときは残り4単位という噂を聞いたので、たぶん明治大学を卒業はしていると思いますが、この年をプロとして過ごしたことが反町ジャパンのレギュラーにとどまらず、A代表にもつながることになります。

当時、味の素スタジアムに行くと、長友佑都がボールを持つ度にその身体能力で何かやってくれるのではと、スタジアム中が期待しているのが伝わってきました。城福監督との面談の際、自己評価で走力のところに10点をつけていたように、本人も走ることには自信を持っていました。

しかし、セリエAということになると、いくら長友佑都と言っても壁にぶち当たるのではと思っていました。下位のチェゼーナで、長友佑都は活発な上下動を続けて欠かせない戦力になります。小笠原や柳沢が思うように出場機会を得られなかったセリエAで、試合に出ているだけでも立派と思っていたら、なんとシーズン途中で名門インテルからオファーがきました。

長友佑都がこのレベルのチームにいることは日本代表の強化にとっても大きく、長友佑都自身も「毎日がW杯本大会のよう」と言っているほどです。以前インテルの試合を見に行ったときはここで日本人がプレーするとは想像すらしなかったので、サッカーファンとしては香川のマンU入りも含めて、次々と面白いことが起きていると楽しみです。
コメント
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