昨日はレッズ敗戦のため、レッズの選手は取り上げられず他チームから引っ張ってきます。埼スタに出かける前に、大宮対札幌を見ていたのですが、札幌のキャプテン河合竜二選手が復帰していたので、浦和にいたころを思い出して記事にします。
河合のひざにはしっかりテーピングが巻かれていたので、万全ではないのだなと思いますが、ボランチでスタメン出場してうまくボールを配給していた河合を見ると、よく34歳になっても頑張っているなと、浦和のサテライトにいた河合を覚えている私は思います。
浦和時代の河合は、そのスケールの大きさが売り物でした。当時浦和にいたギド・ブッフバルトより足のサイズが大きいことが話題になっていましたが、それは言われても嬉しくなかったようです。それよりは、長い足で絡め取るボランチとしての守備が注目点でした。当時、浦和のボランチは石井が運動量の多さで定着しており、河合の出番はJ2時代(2000年)の大宮戦で石井が出場停止になったときまで遅れます。
ベンチに入れたり途中出場させたりせずいきなりスタメンで使ったので、当時の河合についてはとにかく守ってくれればいいと少し不安ではありましたが、その大宮戦は6-0の圧勝で、河合の身体能力の高さは十分通用していました。ただ、攻撃力は当時はあまりなく、前線へのパスは通らないものと諦めていました。
浦和がJ1に復帰してからは河合の出番は少なくなり、浦和との契約は更新されず、一時は当時JFLの愛媛FC入りの話もありましたが、横浜FMの岡田監督がチームのために自己犠牲ができる選手を探していて契約することになります。それからの河合は浦和とのチャンピオンシップ第1戦でゴールを決めるなど活躍して、CBとボランチの両方をこなせる選手として横浜FMの中心選手になります。
横浜FMを戦力外になった後は当時J2だった札幌からオファーを受けます。横浜FMでもキャプテンをやっていたこともあってすぐに札幌でも持ち味のキャプテンシーを発揮して、チームをまとめJ1昇格を実現させます。今年は負傷もあってようやく復帰と残念な年になりましたが、久しぶりに元気な姿を見られたことは嬉しかったです。
河合のひざにはしっかりテーピングが巻かれていたので、万全ではないのだなと思いますが、ボランチでスタメン出場してうまくボールを配給していた河合を見ると、よく34歳になっても頑張っているなと、浦和のサテライトにいた河合を覚えている私は思います。
浦和時代の河合は、そのスケールの大きさが売り物でした。当時浦和にいたギド・ブッフバルトより足のサイズが大きいことが話題になっていましたが、それは言われても嬉しくなかったようです。それよりは、長い足で絡め取るボランチとしての守備が注目点でした。当時、浦和のボランチは石井が運動量の多さで定着しており、河合の出番はJ2時代(2000年)の大宮戦で石井が出場停止になったときまで遅れます。
ベンチに入れたり途中出場させたりせずいきなりスタメンで使ったので、当時の河合についてはとにかく守ってくれればいいと少し不安ではありましたが、その大宮戦は6-0の圧勝で、河合の身体能力の高さは十分通用していました。ただ、攻撃力は当時はあまりなく、前線へのパスは通らないものと諦めていました。
浦和がJ1に復帰してからは河合の出番は少なくなり、浦和との契約は更新されず、一時は当時JFLの愛媛FC入りの話もありましたが、横浜FMの岡田監督がチームのために自己犠牲ができる選手を探していて契約することになります。それからの河合は浦和とのチャンピオンシップ第1戦でゴールを決めるなど活躍して、CBとボランチの両方をこなせる選手として横浜FMの中心選手になります。
横浜FMを戦力外になった後は当時J2だった札幌からオファーを受けます。横浜FMでもキャプテンをやっていたこともあってすぐに札幌でも持ち味のキャプテンシーを発揮して、チームをまとめJ1昇格を実現させます。今年は負傷もあってようやく復帰と残念な年になりましたが、久しぶりに元気な姿を見られたことは嬉しかったです。