写真は桜草祭りで母にお土産に買って帰った花です。名前は忘れてしまいました。どなたかご存知の方がいらっしゃれば教えていただければと思います。今日はのんびりと中立観戦で、新潟対広島をスカパーで見ていました。好調な両チームの対戦は、新潟がポゼッションして優位に試合を運びましたが、決定力が足りずゴールだけが決められず、試合はスコアレスドローに終わりました。
この試合で、元日本代表で暢久の引退試合にも出場する、元浦和FW田中達也が途中から出場していました。もちろん、彼には埼スタの新潟戦に出場して欲しいですが、ベンチスタートになった現実を見ると、プレーする姿は最後かもしれないと思ったので、記事の形で残しておきます。
田中達也はスピード型FWで知られますが、岡野とは違って長い距離は苦手です。10m走るとおかしいと感じると、本人も口にしていたほどで、実際彼のスピードは短い距離だからこそ発揮されるものです。ただ、スペースをかぎ分ける感覚は天性のもので、小野伸二と組むと小野がパスを出しやすい体の向きを瞬時にできたセンスはさすがでした。
もっとも、彼が最も輝いた時期は、エメルソンと2トップを組んでナビスコ杯を優勝した2003年頃でしょう。当時の田中達也はドリブルにこそ生きがいを生み出すFWでしたが、エメルソンと組んで点を取ることの重要性を認識して、点も取れる代表FWに成長していきました。代表では岡田監督に一時呼ばれただけで終わりましたが、それでも彼の名前が全国区だった時代は確実にあります。
彼はもっとも、いくつかの課題がありました。一つは1トップができないことで、もう一つはMFに下げると魅力がないということです。1トップでボールをキープするのは苦手にしていて、彼を1トップにしてしまうと前線でボールが収まりにくくなるという課題がありました。2トップの新潟だからこそ輝ける選手だと思います。
また、運動量は多いので、ボールが来ない展開では下がって受けることもできますが、問題はMFとしてはパスセンスも高くなく、結局何もできずバックパスという展開になることが多かったことです。ゲームメークができないのは、ゲームが膠着したときに厳しいと感じたのは確かです。
FWかつ2トップでしか生きられない選手という理由で、浦和こそ放出されてしまいましたが、今の彼はコンスタントにゲームに出ています。土屋のファウルタックルで重傷を負った影響で苦しんでいましたが、今の彼はきっと幸せなのではと、今日のプレーを見て思いました。
この試合で、元日本代表で暢久の引退試合にも出場する、元浦和FW田中達也が途中から出場していました。もちろん、彼には埼スタの新潟戦に出場して欲しいですが、ベンチスタートになった現実を見ると、プレーする姿は最後かもしれないと思ったので、記事の形で残しておきます。
田中達也はスピード型FWで知られますが、岡野とは違って長い距離は苦手です。10m走るとおかしいと感じると、本人も口にしていたほどで、実際彼のスピードは短い距離だからこそ発揮されるものです。ただ、スペースをかぎ分ける感覚は天性のもので、小野伸二と組むと小野がパスを出しやすい体の向きを瞬時にできたセンスはさすがでした。
もっとも、彼が最も輝いた時期は、エメルソンと2トップを組んでナビスコ杯を優勝した2003年頃でしょう。当時の田中達也はドリブルにこそ生きがいを生み出すFWでしたが、エメルソンと組んで点を取ることの重要性を認識して、点も取れる代表FWに成長していきました。代表では岡田監督に一時呼ばれただけで終わりましたが、それでも彼の名前が全国区だった時代は確実にあります。
彼はもっとも、いくつかの課題がありました。一つは1トップができないことで、もう一つはMFに下げると魅力がないということです。1トップでボールをキープするのは苦手にしていて、彼を1トップにしてしまうと前線でボールが収まりにくくなるという課題がありました。2トップの新潟だからこそ輝ける選手だと思います。
また、運動量は多いので、ボールが来ない展開では下がって受けることもできますが、問題はMFとしてはパスセンスも高くなく、結局何もできずバックパスという展開になることが多かったことです。ゲームメークができないのは、ゲームが膠着したときに厳しいと感じたのは確かです。
FWかつ2トップでしか生きられない選手という理由で、浦和こそ放出されてしまいましたが、今の彼はコンスタントにゲームに出ています。土屋のファウルタックルで重傷を負った影響で苦しんでいましたが、今の彼はきっと幸せなのではと、今日のプレーを見て思いました。