Kobby loves 埼玉&レッズ

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アンフィールドの記憶

2021-01-26 15:29:19 | ワールドサッカー
1999年のGWに旅した、リバプールFCの本拠地、アンフィールドの記憶です。当時のツアーは弾丸ツアーに近いもので、ロンドンに泊まりながら、東京名古屋間往復くらいのリバプールまでバスで日帰りするというものでした。

イングランドのブリテン島が、ずっとなだらかな起伏が続き、分水嶺がないということにも気付いた旅でしたが、リバプールまで来ると坂を下り切り、レンガの家が並ぶ街並みでした。スタジアムから5分ほどのところでバスを下り、アンフィールドを目指して歩きました。

アンフィールドは19世紀にできた、サッカー専用スタジアムです。まず、アウェイ側のゴール裏スタンドの巨大なレンガの外壁が見えてきました。最初に記念碑らしきレリーフを見かけ、写真を撮っていましたが、今振り返ると1985年にサポーター暴動で死者が出た「ヒルズボロの悲劇」の鎮魂碑だったようです。

試合まで少し時間があったので、スタジアムの反対側にあるリバプールFCのオフィシャルショップにも行って来ました。雰囲気的には浦和レッズの「レッドボルテージ」で慣れていますが、当時好きな選手の背番号を入れてもらえるのに惹かれ、「マクマナマン 7」を入れてもらいました。壁に注意書きがあり、「背番号を入れた選手が移籍しても補償はしません」とありました。当たり前のようにも思えますが、ちゃんと書いておかないとトラブルになるのでしょう。

スタジアムの席は、アウェイ側ゴール裏の最前列でした。こういう、いい試合は本当は横から見て攻防を楽しみたかったという思いはありますが、目の前でトットナムの1トップ、アームストロングと、リバプールDFキャラガーが激しく肉弾戦を繰り広げる姿は印象的でした。

プレーで印象的だったのは、トットナムMFドミンゲスの「空中トラップ」と、リバプールMFインスの攻撃参加でした。ドミンゲスについては、当時それほどワールドサッカーに詳しくなかったので、このときに初めて聞いた名前でした。そういうポルトガル人が、こういう華麗なテクニックを持っていたのは驚きを持って見ました。

インスについては、トットナムが前半で一人退場者を出していました。この数的優位をうまく利用したのが、リバプールのボランチのインスでした。元イングランド代表のベテランらしく、トップ下気味に上がってボールをさばいた結果、前半の0-2のビハインドから3点取って逆転する結果を手繰り寄せました。

もう一度見たいという夢は、まだ実現していません。世界中でコロナが収束して、自由に旅ができる日が来ることを、願わずにはいられません。
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