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田中達也の記憶

2021-01-07 09:42:26 | 浦和レッズ
今、入院中でビデオを見ることができないので、今書けるネタは記憶ネタで、同姓同名の選手が浦和に加入することで思い出した、元浦和FW田中達也選手(現J2新潟)の記憶です。

田中達也は、山口県の出身で、高校は帝京高校に越境入学していました。一年生からレギュラーだったのでエリートかと思っていましたが、実際は「100人中80番目の選手」から這い上がったとCMで紹介されていました。

プロ入りは2001年の浦和入りです。スピードのある田中達也はスーパーサブとして一年目から出番を得ており、特に印象的なのは当時の浦和のゲームメーカーの小野伸二と最も感覚が合っていました。小野伸二がパスを出しやすいような体の向きや、スペースへの要求は、小野伸二が喜んでパスを出しているかのようでした。

小野伸二がオランダに渡る最後の広島戦で2得点して、小野伸二を最高の形で送り出すと、それ以降は浦和の主力選手と期待されます。特にブレイクと感じたのは2003年で、当時2トップを組んでいたエメルソンからFWとしてのノウハウをうまく盗んだようで、枠が見えたら撃つなど点も取れるようになり浦和初のタイトルとなるナビスコ杯(現ルヴァンカップ)の獲得に大きく貢献します。

しかし、2006年に相手タックルを受けて足首を脱臼骨折する不運な負傷から、彼のサッカー人生は負傷との戦いになってしまいました。また、プレースタイル的に2トップで横にいるFWと連携して点を取るタイプの田中達也は、1トップに向いていない欠点がありました。どうしても、1トップに求められるキープが得意でなかった彼は、戦術が3-6-1に固定されたミシャ監督の時代に大きく出場機会を失い、新潟に完全移籍して浦和を去ることになりました。

それから8年、よく新潟で現役を続けたと思います。プロ意識が高い選手なので、サポーターの信頼は厚く、新潟では試合に出るためにはとMFもこなしたと聞きます。きっと、指導者になっても成功できそうだと思います。今度浦和に加入する田中達也にとっても、同姓同名の彼は憧れだったと聞きます。どちらの田中達也も、これからの人生が良いものであるよう期待しています。
コメント
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