ネタに困ったら思い出す昔の力士から、元大関把瑠都(ばると)の記憶です。把瑠都は四股名の通り、バルト海沿岸のエストニアの出身です。エストニアでは、飲み屋の用心棒をしていたこの巨漢を、尾上親方(元小結浜ノ嶋)がスカウトしました。
把瑠都で思い出すのは、私が見る限りでは、これほど相撲が下手で出世した力士はいません。197センチの長身で、相手に潜られても肩越しの上手を引き、力任せに勝つことができた力士でした。
当時、把瑠都より大きな琴欧洲が大関に在位しており、把瑠都は琴欧洲との対戦を楽しみにしていました。琴欧洲は膝の負傷がなかなか治らず横綱昇進はならなかったものの、欧州出身力士の中では相撲が上手く、把瑠都は苦戦した印象です。
把瑠都は海釣りの趣味があり、さすがは海沿いの国の出身ということで船酔いしない強さを持っていました。相撲もそういう身体能力を生かした相撲でした。荒削りで、彼が相撲の上手さを覚えたらどれほどの力士になれるのだろうと、ずっと思っていましたが、優勝一回で大関止まりに終わりました。
最後は負傷で大関を陥落して、十両に落ちても現役はこだわりましたが、ついに「怪我が治らない」ことを理由に引退します。日本国籍を持っていなかった彼は、いろんな活動を見せ、俳優業にも挑戦し、母国エストニアで相撲の指導者になった話も聞きます。さすがに元大関で地元では名士なので、飲み屋の用心棒には戻る必要がなかったのでしょう。彼の今後の人生の幸せを願うばかりです。
把瑠都で思い出すのは、私が見る限りでは、これほど相撲が下手で出世した力士はいません。197センチの長身で、相手に潜られても肩越しの上手を引き、力任せに勝つことができた力士でした。
当時、把瑠都より大きな琴欧洲が大関に在位しており、把瑠都は琴欧洲との対戦を楽しみにしていました。琴欧洲は膝の負傷がなかなか治らず横綱昇進はならなかったものの、欧州出身力士の中では相撲が上手く、把瑠都は苦戦した印象です。
把瑠都は海釣りの趣味があり、さすがは海沿いの国の出身ということで船酔いしない強さを持っていました。相撲もそういう身体能力を生かした相撲でした。荒削りで、彼が相撲の上手さを覚えたらどれほどの力士になれるのだろうと、ずっと思っていましたが、優勝一回で大関止まりに終わりました。
最後は負傷で大関を陥落して、十両に落ちても現役はこだわりましたが、ついに「怪我が治らない」ことを理由に引退します。日本国籍を持っていなかった彼は、いろんな活動を見せ、俳優業にも挑戦し、母国エストニアで相撲の指導者になった話も聞きます。さすがに元大関で地元では名士なので、飲み屋の用心棒には戻る必要がなかったのでしょう。彼の今後の人生の幸せを願うばかりです。