乗っていた電車が人身事故で途中駅で止まるという放送がありました。最長で1時間くらい足止めを食らう可能性があるので、この時間でブログ1回分の原稿は書けると判断して、オフネタですが浦和史上最強のDFだった、ドイツ代表ギド・ブッフバルトの思い出です。
ギドの後にも闘莉王や坪井など、いいDFは浦和にいましたが、W杯の優勝経験があるという実績でも、試合で見せた安定感でも、ギドを上回るDFは浦和にはいないと思います。今は51歳になり、去年芸能人選抜と対戦したOB戦で久々に見たらメタボになっていましたが、現役時代の輝きは古株サポの中で消えていません。
ギドの記憶が鮮明なのは当時の浦和のホームゲームがほとんど全て駒場で開催されたという理由もあります。今のホーム埼玉スタジアムのスタンドは巨大で、浦和というチームを大きくするためには必要な改革だったと思いますが、ピッチが遠くなった寂しさも時折感じます。
たまに天皇杯やナビスコ杯で駒場のバックスタンド1階で浦和の試合を見ると、「あれ?駒場はこんなにピッチが近かった?」と思うこともあります。このピッチを見ると、点を取った福田やキラーパスを出したバインも思い出しますが、一番強烈なのはギドの思い出です。
当時、ギドは3バックのリベロで出場していました。たまに勢い余ってイエローをもらう場面もありましたが、ボールに正確にチェックするスライディングタックルや1対1の強さはさすがワールドクラスのDFでした。
また、ギドの記憶は、ぎこちないドリブルもあります。ドイツ代表ではボランチをやったこともあるので、攻撃力もあるはずですが、正確にスペースを見つけて上がっているので危なくはなかったものの、世界のギドらしからぬプレーも記憶にあります。
ギドのプレーで一番印象に残っているのは1997年の柏戦での怒りのロングシュートです。このシーズンはケッペル監督のサッカーが二転三転した消化不良の年で、ギドにとってはストレスを溜めた年だと思います。そんな迷走の日々に出たロングシュートは一時的とはいえ浦和サポを喜ばせてくれました。
ギドはその後、ドイツ1部カールスルーエに移籍して現役を終えると、監督として浦和に戻ってきました。監督としても成功しましたが、それについては機会があったら書きます。
ギドの後にも闘莉王や坪井など、いいDFは浦和にいましたが、W杯の優勝経験があるという実績でも、試合で見せた安定感でも、ギドを上回るDFは浦和にはいないと思います。今は51歳になり、去年芸能人選抜と対戦したOB戦で久々に見たらメタボになっていましたが、現役時代の輝きは古株サポの中で消えていません。
ギドの記憶が鮮明なのは当時の浦和のホームゲームがほとんど全て駒場で開催されたという理由もあります。今のホーム埼玉スタジアムのスタンドは巨大で、浦和というチームを大きくするためには必要な改革だったと思いますが、ピッチが遠くなった寂しさも時折感じます。
たまに天皇杯やナビスコ杯で駒場のバックスタンド1階で浦和の試合を見ると、「あれ?駒場はこんなにピッチが近かった?」と思うこともあります。このピッチを見ると、点を取った福田やキラーパスを出したバインも思い出しますが、一番強烈なのはギドの思い出です。
当時、ギドは3バックのリベロで出場していました。たまに勢い余ってイエローをもらう場面もありましたが、ボールに正確にチェックするスライディングタックルや1対1の強さはさすがワールドクラスのDFでした。
また、ギドの記憶は、ぎこちないドリブルもあります。ドイツ代表ではボランチをやったこともあるので、攻撃力もあるはずですが、正確にスペースを見つけて上がっているので危なくはなかったものの、世界のギドらしからぬプレーも記憶にあります。
ギドのプレーで一番印象に残っているのは1997年の柏戦での怒りのロングシュートです。このシーズンはケッペル監督のサッカーが二転三転した消化不良の年で、ギドにとってはストレスを溜めた年だと思います。そんな迷走の日々に出たロングシュートは一時的とはいえ浦和サポを喜ばせてくれました。
ギドはその後、ドイツ1部カールスルーエに移籍して現役を終えると、監督として浦和に戻ってきました。監督としても成功しましたが、それについては機会があったら書きます。