Jリーグブームの頃は、リーグ戦のチケットも取れないのだから、代表戦をスタジアムで生観戦することは想像すらしていませんでした。しかし、加茂監督が指揮していた1997年になってくると次第に代表人気も落ちてきて、チケットが取れるようになってきます。
国立競技場でのキリンカップのクロアチア戦が私の代表初観戦で、まだ当時は観戦メモは取っていませんでしたが、当時のエースストライカー、カズの活躍を生で見られるのは当時の私には刺激的でした。
そんな頃、中立地のマレーシアで開催する予定だったフランスW杯最終予選が、急遽ホームアンドアウェイに変更になって、国立競技場に4試合がやってくることになりました。なにがなんでもチケットを取ると意気込んだ私は、浦和駅前のチケットぴあに徹夜で並んで、4試合のセット券を取りました。
のちに代表の勝ちゲームも何度も見ている私ですが、一番の思い出は負けた韓国戦です。あの当時の国立競技場は通路まで人があふれた異様な熱気があり、日本の先制点になった山口素弘のループシュートは時が止まったような錯覚を感じるほどでした。
しかし、この試合を覚えている理由はそれではなく、加茂監督の采配ミスです。あの当時の韓国代表はホンミョンボをリベロに置いた3バックのマンツーマン守備でした。日本のカズ、呂比須の2トップにしっかりDFを付けていた韓国は、加茂監督が呂比須を下げて秋田を入れた采配でDFに余裕ができます。
また、加茂監督の秋田への指示は韓国FWコジョンウンをマークせよというものでした。しかし、そのコジョンウンはすぐに交代でピッチを去っていました。代わりに入ったキムデイは低い位置にいて、秋田がマークしようとすればボランチの位置まで上がらないといけなくなりました。
たぶん、日本サッカー史上でもこれほどの熱気は初めてですから、加茂監督がそれに飲まれてしまったと今振り返れば思います。呂比須についていて、マーカーがいなくなって余裕ができた韓国DFイミンソンのミドルシュートが決勝点になり、日本はこの試合を1-2で敗れます。
今思うと、このW杯最終予選は韓国に勝つことが目的ではなく、予選を通ることが目的です。まだまだあの当時はW杯予選がどういうものかわからず、必要以上に気持ちが揺れていたなと思います。
国立競技場でのキリンカップのクロアチア戦が私の代表初観戦で、まだ当時は観戦メモは取っていませんでしたが、当時のエースストライカー、カズの活躍を生で見られるのは当時の私には刺激的でした。
そんな頃、中立地のマレーシアで開催する予定だったフランスW杯最終予選が、急遽ホームアンドアウェイに変更になって、国立競技場に4試合がやってくることになりました。なにがなんでもチケットを取ると意気込んだ私は、浦和駅前のチケットぴあに徹夜で並んで、4試合のセット券を取りました。
のちに代表の勝ちゲームも何度も見ている私ですが、一番の思い出は負けた韓国戦です。あの当時の国立競技場は通路まで人があふれた異様な熱気があり、日本の先制点になった山口素弘のループシュートは時が止まったような錯覚を感じるほどでした。
しかし、この試合を覚えている理由はそれではなく、加茂監督の采配ミスです。あの当時の韓国代表はホンミョンボをリベロに置いた3バックのマンツーマン守備でした。日本のカズ、呂比須の2トップにしっかりDFを付けていた韓国は、加茂監督が呂比須を下げて秋田を入れた采配でDFに余裕ができます。
また、加茂監督の秋田への指示は韓国FWコジョンウンをマークせよというものでした。しかし、そのコジョンウンはすぐに交代でピッチを去っていました。代わりに入ったキムデイは低い位置にいて、秋田がマークしようとすればボランチの位置まで上がらないといけなくなりました。
たぶん、日本サッカー史上でもこれほどの熱気は初めてですから、加茂監督がそれに飲まれてしまったと今振り返れば思います。呂比須についていて、マーカーがいなくなって余裕ができた韓国DFイミンソンのミドルシュートが決勝点になり、日本はこの試合を1-2で敗れます。
今思うと、このW杯最終予選は韓国に勝つことが目的ではなく、予選を通ることが目的です。まだまだあの当時はW杯予選がどういうものかわからず、必要以上に気持ちが揺れていたなと思います。