道元の『正法眼蔵・菩提薩埵四摂法』の中に次のような文章があります。
「徳あるはほむべし、徳なきはあはれむべし。愛語をこのむよりは、やうやく愛語を増長するなり。しかあれば、ひごろしられず、みえざる愛語も現前するなり。現在の身命(しんみよう)の存(そん)せられんあひだ、このんで愛語すべし。世世生生(せせしようしよう)にも不退転ならん」
(長島亀之助 口語訳)
「徳ある人はほめてお上げなさい。また、徳のない人は気の毒に思って上げなさい。愛語を好んで使っていると、だんだん愛語が増してくるものである。そうであるから、愛語を好んで使っていうと、日頃知っておらないような、日頃あらわれないような愛語が、ひよっこり出てくるものである。だから自分の命のある限り、つとめて愛語をしなさい。そうするとこの世は勿論のこと次の世にも、愛語は増長して行くのである」
最近、文中の「不退転」という言葉に引っかかっています。
「不退転」という言葉の意味は、
インド語の「アヴァイヴァルティカ」の訳。
不退とか無退とかとも訳されています。
すなわち、退転しないことで、仏道修行の過程で、すでに得た功徳を決して失うことがないこと、もはや後退することがないこと。
その位を不退の位とか、不退転地というそうです。
「不退転」という言葉は、
『無量寿経』の中には、「願生彼国 即得往生 住不退転」とあります。
親鸞の『浄土和讃』には、「真実信心うるひとは すなはち定聚のかずにいる 不退のくらゐにいりぬれば かならず滅度にいたらしむ」とあります。
カウンセリング関係でいうところの「自己受容」といったところとも重なるニュアンスを感じます。
少しあたためて勉強してみようと思います。