◆「真仏弟子」と言うは、「真」の言は偽に対し、仮に対するなり。
「弟子」とは釈迦・諸仏の弟子なり、金剛心の行人なり。
この信・行に由って、必ず大涅槃を超証すべきがゆえに、「真仏弟子」と曰う。
『教行信証 信巻』 真宗聖典(東本願寺出版)p245
◆また深信する者、仰ぎ願わくは、一切行者等、一心にただ仏語を信じて身命を顧みず、 決定して行に依って、仏の捨てたまうをばすなわち捨て、仏の行ぜしめたまうをば
すなわ ち行ず。仏の去てしめたまう処をばすなわち去つ。
これを「仏教に 随順し、仏意に随順す」と名づく。これを「仏願に随順す」と名づく。
これを「真の仏弟子」と名づく。
『教行信証 信巻』 真宗聖典(東本願寺出版)p216
◆仏子(ブッシ)と云うは、仏教に順じて直(ジキ)に仏位に到る為なれば、
只教に随(シタガイ)て工夫弁道すべきなり。
その教に順ずる実(ジツ)の行(ギョウ)と云うは、即、今の叢林(ソウリン)の宗(シュウ)とする
只管打坐 なり。
是を思ふべし。 長島亀之助校注『正法眼蔵随聞記』p45