8月のはじめに、小岩・真徳寺で前住職・報徳院釈寛弘師の七回忌の法要がありました。
昨晩、法要の御導師・武田智亨師にお会いした時、お元気な頃の寛弘師のご活躍の様子や法話のすばらしさを教えていただきました。
そして、最後の法話をまとめた『騰々二』をいただきました。
帰宅して、すぐ、読み始めました。
内容は、『正信偈』と『歎異抄』の御領解ですが、しみいるような御法話です。
ぜひ、皆さまにも、味わってもらいたい思いです。
如衆水入海一味(海水、海に入りて一味なるが如し)
人間の世界では、賢い人、愚かな人という区別があり、さらに善人だ、悪人だという区別があります。
然し、私達は生まれながらにして賢愚があるわけでもないし、善悪の区別もありません。生まれてきたいのちは、そんな人の認識の及ばない深い道理というか、法というか、ともかく私達の考えも及ばない大きなものを含んでいうのです。
そのいのちの世界を生きて行くのですから、小さな人間の好悪・善悪・賢愚の一切が包み込まれてしまいます。そこに仏様が願われ、教えられた私達のいのちがります。
本書が手に入るようでしたら、又お知らせいたします。