毎田周一師の言葉
毎田周一全集 第二巻 p390~
「しかれば本願を信ぜんには、他の善も要にあらず、念仏にまさるべき善なきゆえに。」
「念仏は、無碍の一道なり。…諸善もおよぶことなきゆゑに、無碍の一道なりと、云々。」
私達に残された唯一つの行は念仏である。それ以外の行は(また善は)すべて虚仮である。
「よろづのこと、みなもて、そらごと、たはごと、まことあることなきに、
ただ念仏のみぞまことにておはしますとこそ、仰せはさふらひしか。」
何故念仏のみが真実であるか。それが如来行であるからである。
如来廻向の行といってもよい。
念仏とは何であるか。
南無阿弥陀仏の口称である。
それ一つしか私達に残されてゐないのである。
絶対・唯一の、完全に自己を抹殺する行(念仏)
それのみがこの世へ平和をもたらす。
最近の日本人の多くが、
~親鸞さんの著作は読むが、口称しない!~
~『歎異抄』を読むが、口称しない!~
ように思います。
また、仏教に対して、正しく向き合っていないようにも思います。
残念です。
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『歎異抄』と声明コース
では、「口称」しています。
ぜひ、お出かけください。