毎田周一師の言葉をお届けします。
◆平和のために軍備が要る、といふようなことの誤謬に気づかないものを、
愚者といふ。
平和とは武装を捨てるといふことだ。
この一年生の認識から出発し直さねばならぬのが、
原子爆弾を懸命に製作してゐる連中だ。
(原子爆弾製造に協力してゐる科学者は、知者のやうであって、
実は極まれる愚者なのだ)
◆簡単な真理に気づくことから、
世界の平和は来る。
即ち平和の女神は「空手にして来れ」と喚んでいる。
この「空手」といふことが簡単な真理なのだ。
簡素とはそれだ。
◆空手とは素手(スデ)といふことだ。
何も握ってゐないばかりではなく、
拳固をかためてもゐない。
何も持たないところから平和が来る。
例えば偏見、自己の意見、主張、思想、主義、等々のあるところ、
平和は永遠に来ない。
無邪気、清らかな、小児や少女の世界に、平和の光は差してくる。
幸ひなるかな、心の清きもの、その人は神を見ん。
安倍首相の「積極的平和主義」のウソは明々白々です。
新安保法案、防衛予算の増額、原発の輸出、防衛装備移転三原則、オスプレー…
アメリカの從属国への道は想像されますが、
「平和」から遠くなっていきます。
一人一人の、自覚ですねネ。