久々に、毎田周一全集(第九巻)からの【落穂拾い】です。
私は親鸞の晩年三十年の京都幽棲をも思わない訳にゆかない。
あそここゝの間借り住ひのひそやかな生活のうちに、
和讃その他の制作に静かに月日を送られた。
街頭に講壇にに演説し講話されることもなく、
当時の京都の社会大衆と全く没交渉の三十年であった。
それは道元の尽未来際この永平の山を出でないとしたことにも通ふものがある。
シュヴァイツェルが、真の文化を、
ひそやかな、人から人へ、魂から魂への伝播に於いてみて、
新聞・宣伝・組織・権力・金力による
大衆伝達(マス・コンミユニーケーション)に於いてみないことをも、
こゝに思い合さしめられる。
ひそかな営みのうちに真の文化があるといふことは、
やがてかの名も無き人にもつらなってゆく。
蓮如はいつてゐる。
「一宗の繁昌と申すは、
人の多く集り威の大なる事にてはなく候。
一人なりとも信心をとるのが、一宗の繁昌に候」
大地は無言である。
10月の学習会の案内
◆「歎異抄」うたと語りあいin願海庵 10月17日 24日 31日
◆【くりのみ会】道元とカウンセリングコース 10月19日(金)
◆【くりのみ会】親鸞とカウンセリングコース 10月27日(土)