今日の読売新聞《編集手帳》に、橘曙覧(たちばなあけみ)の歌が引かれていました。
たのしみはまれに魚煮て児等皆がうましうましといひて食ふ朝
橘曙覧の名前は知っている程度で、関心を寄せることまなくいました。
不勉強です。
アンテナの張り方も悪く、錆びていますね。
マア、毎日ルンペン生活ですから、ふらふら関心のあることに遊ぶ時間はあります。
それに、WEBは本当に便利ですね。
知らないことを検索をかけると、マア、それなりの情報は集まります。
「たのしみは…」で始まる『独楽吟』は面白いですね。
上記の歌も、『独楽吟』の中の作品です。
たのしみは朝おきいでて昨日まで無かりし花の咲ける見る時
この一首は、平成6年6月13日、 天皇・皇后両陛下の訪米の時、歓迎式典においてクリントン大統領が『独楽吟』のなかの上記の一首を引いて有名になったそうですね。
全く知りませんでした。
8月のはじめに、小岩・真徳寺で前住職・報徳院釈寛弘師の七回忌の法要がありました。
昨晩、法要の御導師・武田智亨師にお会いした時、お元気な頃の寛弘師のご活躍の様子や法話のすばらしさを教えていただきました。
そして、最後の法話をまとめた『騰々二』をいただきました。
帰宅して、すぐ、読み始めました。
内容は、『正信偈』と『歎異抄』の御領解ですが、しみいるような御法話です。
ぜひ、皆さまにも、味わってもらいたい思いです。
如衆水入海一味(海水、海に入りて一味なるが如し)
人間の世界では、賢い人、愚かな人という区別があり、さらに善人だ、悪人だという区別があります。
然し、私達は生まれながらにして賢愚があるわけでもないし、善悪の区別もありません。生まれてきたいのちは、そんな人の認識の及ばない深い道理というか、法というか、ともかく私達の考えも及ばない大きなものを含んでいうのです。
そのいのちの世界を生きて行くのですから、小さな人間の好悪・善悪・賢愚の一切が包み込まれてしまいます。そこに仏様が願われ、教えられた私達のいのちがります。
本書が手に入るようでしたら、又お知らせいたします。
夕方、区内のあるお寺の「夕涼み会」に出かけた。
ご住職が勉強熱心・読書家で明るい人柄なのでファンも多い。
法話の中で、次の一冊を紹介してくださった。
寺島実郎著
『世界を知る力』日本創世編
PHP新書 720円(税別)
著者の寺島実郎さんは、TVにもよく出演しているのでご存知のお方も多いだろう。
3.11の日に、寺島さんは新幹線に乗車。品川でこの度の震災に遭遇した。
本書の中で、震災を通して親鸞との出会いを述べている。
ご住職から本書を借りてきたので、これから一気に読んでお返しするのだが、商社マンとしてそして現在は日本総合研究所理事長・多摩大学学長・三井物産戦略研究所会長として世界的に活躍の著者が、親鸞と出遭い仏教を下敷きとして日本の進路を思考しているところが大変興味深いところである。
これから、睡魔と闘いながら読みすすめようと思う。