談志師匠の戒名は、ご自分でつけた「立川雲斎家元勝手居士」(たてかわうんこくさいいえもとかってこじ)の由。
漢字でみますとそれなりに理解出来ますが、音で聞くと笑ってしまいます。
あるスポーツ紙である文芸評論家氏が、「談志さんと志ん朝さんが冥土で二人会をするでしょう」とのコメントを寄せていました。
「天国での二人会」としなくて安心しました。
談志さんが天国に旅立ったら、志ん朝さんにも師匠の小さん師匠にもお会いできないですよね。
この頃の日本人は、天国と冥土・極楽・浄土の区別が曖昧です。
仏教徒は、天国にはいきません。
花緑さん(小さん師匠のお孫さん)コメントがWEBに掲載されていました。
「談志師匠も祖父(柳家小さん)も、僕に会うと互いの話をしていました。今ごろ、天国で一緒にいるんだろうな…」と。
花緑さんに悪気はないのでしょうが、落語家なのですから「天国」でなくて「お浄土」「極楽」としてもらいたかったですね。
ちなみに小さん師匠の戒名は、「本行院殿法勲語咄日盛居士」(ほんぎょういんでんほうくんごとつにちじょうこじ)
花録さんを個人攻撃するつもりではありません。(花録さんごめんなさい)
マスコミなどの皆さんも、仏式の葬儀をしているのに平気で「天国」と使っているのが気になっているとの次第です。
今日は、2時~4時まで、亀戸のお仲間とテニスをしました。
6時から、本八幡の蕎麦屋で、博多から上京した先輩のHさんと一杯やりながら、昔話をして帰宅しました。
Hさんとは若い頃、江東区のE小学校でご一緒していました。
図工専科の先生で、毎年、銀座の画廊を借りて個展を開など熱心な先輩でした。
10年程前に、胃がんの手術をしましたが、回復してお元気になりました。
先輩との、とりとめもな昔話も良いものです。
帰宅して、PCに向かいメールを開きました。
杵柄会の重鎮・恋歌さんからのメールが届いていました。
談志さんの逝去のお知らせです。
恋歌さんのお言葉は、次の通りです。
学生時代に、現代落語論を読んでおおいに刺激された。
志ん朝、柳朝、圓楽と並んで若手四天王と言った。
小ゑんから談志のころの勢いは凄まじく、機関銃のような流れる口跡で圧倒。当時の
若手や、学生落語家の憧れだった。才気溢れ、才能はどこまであるのかと思った。彼
には落語会はかったるかった。談志のエスプリが笑点を生んだが、今日はそのおそる
べきマンネリが生き延びているから凄いし、落語番組が消えたのにもかかわらず生き
残っているのが凄さを物語る。
有り余る才は、国会議員の道へと踏み誤ったあたりから、芸は下り坂を一気に下って
しまった。
自分の芸に酔い、そして馬鹿にもしていた。
三木助や圓生の芸にあこがれ、精一杯伸びようとしていた時の談志は凄かった。
圓生がいなくなり、志ん朝がいなくなり、談志には目標や、ハリとなるものがなく
なった。
天才が逝った。
あの世で、三木助や、圓生に迎えられて、極楽寄席で新進気鋭の真打として頑張って
いるに違いない。
合掌
杵柄落語会の皆さんは、談志さんを目標にした大学落研の方々です。
恋歌さんさんをはじめ皆さん、お力を落としていることでしょう。
談志さんのご冥福をお祈りします。
南無阿弥陀仏
先程のTVニュースで、宇宙飛行士の古川聡さんの地球帰還の様子を見ました。
正直にいうと笑ってしまいました。
米国のスペースシャトルと違って、随分人間的ですね?(笑)
帰還した古川さんを、ロシアの支援チームのスタッフが抱えていました。
でも、あるニュースによると、アメリカのスペースシャトルよりロシアのソユーズの方が安全とか。
帰還の費用を金額面で比べると、
アメリカのスペースシャトルが800億円
ロシアのソユーズが120億円
とか。
アメリカは、巨額のお金の捻出ができず、しばらくはソユーズにたよるしかなさそうです。
いろいろ考えさせられますね。
先ずは、古川さんの帰還を心から祝福ししたいと思います。
ご苦労様でした。
http://www.tokyo-np.co.jp/article/world/news/CK2011112202000174.html
ソフトバンクの孫正義社長が、経団連のまとめた「原発の再稼働最優先」に「断固反対」と意義を述べたそうだ。
http://mainichi.jp/select/biz/news/20111116k0000m020050000c.html
私は、孫社長の立場を支持したい。
福島第一原発事故の結果、震災の復興がどれだけ困難になっているか!
本当に、福島の現状、日本の現状をみれば、原発再稼働最優先に舵をきれないと思うのだが。
除染といっても、どれだけのお金が必要となるのか!
放射能のない土地に戻るのに、何年かかるのか!
万一、今回の福島第一原発のような事故がおこったら、日本国は全滅だと思う。
一日も早く、原発のない日本国への道筋を示してもらいたいものだ。
私がカウンセリングワークショップに初参加したのは、今rから40年年前になる。
まだ20歳代の若者にとっては、本当にカルチャーショックであった。
で、この頃の、ワークショップという言葉の使い方・実際を見ると、随分と違和感を覚える。
因みに、ウィキペディアは次のような記述である。
ワークショップ (workshop) とは、日本では「体験型講座」を指す用語。
ワークショップは、学びや創造、問題解決やトレーニングの手法である。参加者が自発的に作業や発言をおこなえる環境が整った場において、ファシリテーターと呼ばれる司会進行役を中心に、参加者全員が体験するものとして運営される形態がポピュラー。会場は公共ホールや、スタジオ、美術館やカルチャスクール、ビルの1室、学校の教室を利用するなど様々。
workshopとは、本来「作業場」や「工房」を意味するが、現代においては参加者が経験や作業を披露したりディスカッションをしながら、スキルを伸ばす場の意味を持つようになっている。具体的には、ものづくり講座、音楽ワークショップや演劇ワークショップのような学びと作業参加の場や、各種体験セミナー、科学や技術教育、人権教育のような各種教育ワークショップのようなものがある。ヨガや瞑想教室、陶芸教室などの身体で体験する教室や機会にも、この呼称は使われる場合がある。
体験型講座としての「ワークショップ」は20世紀初頭の米ハーバード大学においてジョージ・P・ベーカーが担当していた戯曲創作の授業 ("47 Workshop") に起源をもつ。
企業研修や住民参加型まちづくりにおける合意形成の手法としてもよく用いられている。
私の考えるワークショップは、
各自の分別を出し合って遊ぶ。
フッと分別を忘れて気づくスペース。
如何がでしょうか!
昨晩、くりのみ会・道元とカウンセリングコースが終了しました。
参加者は12名(男性8名 女性4名)でした。
勉強会の内容は、
①『正法眼蔵・道心』の音読
②坐禅(20分)
③『正法眼蔵・海印三昧』の講義
勉強会の後の懇親会の席で、お仲間の山田武秋さん(桜出版社長・編集主幹)が、11月5日6日に岩手県滝沢村で開催された国際啄木学会で研究発表をされた資料をいただきました。
年が明けましたら、山田さんに
「津波と砂と石川啄木~『一握の砂』巻頭十首と「地湧の菩薩」~」という演題のお話をお願いしようと思っています。
*12月の「道元とカウンセリングコース」は、12月16日(金)になります。