葛飾中央図書館で谷川俊太郎の詩集を借りてきました。
谷川俊太郎
『すこやかに おだやかに しなやかに』
佼成出版社
平成18年1月30日 初版第一刷発行
平成19年2月25日 初版第七刷発行
これまでも、ブログや仲間内の座談で何度か語っていることですが、
*「心身」か?「身心」か?
*「心・技・体」か? 「体・技・心」か?
マア、(漢字の並び方の違い)位にしか感じていないお方が多いように思います。
ボクは、永年、「心が先?身が先?」「心が先?体が先?」ということに拘ってきました。
仏典を開きますと、ほとんど「身心」と示されています。
そうです。
「身を先」にするのが、人間学・人間道として正しい理解だと確信しています。
因みに、文科省のホームページで、
「心身」と「身心」を検索してみますと、
「心身」に関連する項目が圧倒的です。
ですから、ボクは、現職の頃から文科省の指導には「???」でした。(笑)
谷川さんの詩集からです。
からだはいれもの
からだはいれもの こころのいれもの
いつかこわれて土にかえる
死ねばからだは役目を終える
夏のセミのぬけがらのように
からだはこころを守っている
こころはからだをいつくしむ
摘んだ花はすぐしおれる
摘まずに見つめる花は長生き
からだがほしいと思うものと
こころがなりたいと願うもの
ふたつはときにぶつかり合う
火と水のように
ボクは、仲間内の座談では、「心は身に乗っかっている」と説明しています。
道元さんには、『正法眼蔵・身心学道』の巻がありますが、
教育には、次の三通りが考えられます。
*心の学道(教育)
*身の学道(教育)
*身心の学道(教育)
最近は、(心の教育)が叫ばれますが、
(身の教育)(身心の教育)の充実が緊急の課題だと考えています。