尾形修一の紫陽花(あじさい)通信

教員免許更新制に反対して2011年3月、都立高教員を退職。教育や政治、映画や本を中心に思うことを発信していきます。

最高検の「再審対策会議」批判

2012年06月03日 23時27分19秒 |  〃 (冤罪・死刑)
 3日付朝日新聞、「検事集め再審対策」と言う記事。凄いことが書いてあった。最近、再審を認める決定が相次いでいることを踏まえ、最高検は再審請求審を担当した検事を集めて会議を初めて開くという。「確定した有罪判決が覆れば、検察や警察は批判を受ける。『再審開始が増えて捜査機関への信用が低くなれば、治安維持の点から問題だ』という認識が観察内部にはある。」とある。

 つまり、こういうことだろうか。「自分たちが批判を受けたくないから、『治安維持』をタテマエにして、無実の人もそのまま捕まえておくのだ。死刑囚が無実を訴えても、『治安維持』の観点から再審は認めるべきではないのだ」ということではないか。

 再審に至る事件には、捜査に手落ち、あるいはそれ以上の「証拠偽造」があることが多い。再審請求審で指摘された捜査の間違いを率直に反省して、今後の捜査に生かす、そのための会議だというなら、これは開く意味もあるだろう

 再審開始をどうやって阻止するかを相談する会議では、公益の代表者として発想が逆転している。

 2010年9月に、大阪で任意取り調べを受けた被疑者が暴言を浴びせられたという事件が起こった。事情聴取に際して「殴るぞ、お前」、「お前の人生むちゃくちゃにしたるわ」、「手出さへんと思ったら大間違いやぞ」、「考えてもの言え、こら! お前、警察なめたらあかんぞ、お前!」といった暴言が明るみに出たのは、被疑者がICレコーダーで録音していたからである。(取り調べを担当した警官は脅迫罪で立件された。)小沢一郎政治資金事件でも、秘書だった石川知裕代議士の任意取調べをICレコーダーで録音していた。そうしたら、調書と録音に違いがあったことが判った。これは皆知っているだろう。

 逮捕されたらともかく、任意取り調べだったら自分で録音しておいて身を守らないといけない。これが「捜査機関への信用が低くなる」理由である。つまり、捜査の「可視化」、それなくして捜査機関への信用は高くならない。

 長く再審を訴え、支援運動も広がっている事件は、みなそれだけの理由があるのである。検察が「難くせ」を付けなければ、もっと早く無実を証明できた。そういう事件ばかりである。「治安維持」の観点からは、無実の人が早く無罪になるような社会こそ、国家制度への信用が増すはずである。
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名張事件再審棄却に異議あり

2012年05月26日 23時44分53秒 |  〃 (冤罪・死刑)
 25日午前10時、名張毒ぶどう酒事件第7次再審請求差し戻し審で、名古屋高裁刑事2部は棄却の決定を下した。ちょっと細かく書いてみたが、理由がある。今回は弁護側、支援者だけではなく、マスコミでも再審開始決定が出るのではないかという推測がかなりあったと思う。今までの経緯があるからである。1961年の事件で、半世紀以上も経っている。「ぶどう酒」なんて今や死語である。無罪から一転死刑、再審開始決定から取り消し、最高裁の差し戻し決定と異例中の異例の経過をたどって、まだ続けるのか。最高裁で、原決定破棄、自判して再審開始決定が速やかにでることを望みたい

 この事件では一審の津地裁は無罪判決である。この判決はやり直しを求める必要はないから、「裁判のやり直し」は死刑判決を出した名古屋高裁に申し立てることになる。再審請求を繰り返したが、6回は門前払いだった。だんだん弁護団、支援運動も大きくなって行き、第7回目の再審請求を申し立てたのが、2002年4月。これに対し、2005年4月5日、名古屋高裁刑事1部が再審開始の決定を下した。だからこの段階で再審が決まっていてもよかったのである。そして次が最高裁と言うならまだ判らないではないけれど、再審の場合「高裁決定に異議申し立て」というのができる。だから検察側は異議を申立て、それは開始を決定した刑事1部ではなく、名古屋高裁刑事2部に係属したわけである。2006年12月26日、刑事2部は再審開始決定を取り消す決定を行う。これに対し、弁護側は最高裁に「特別抗告」したところ、全く異例なことに最高裁は2010年4月5日、審理を名古屋高裁刑事2部に差し戻す決定を行ったのである。気付いたかどうか、再審開始決定と最高裁の差し戻し決定は全く同じ日付である。

 最高裁差し戻し決定は、「新証拠」の毒物鑑定に関する科学的な争点に関し、「申立人側からニッカリンTの提出を受けるなどして,事件検体と近似の条件でペーパークロマトグラフ試験を実施する等の鑑定を行うなど,更に審理を尽くす必要があるというべきである。」という判断をしている。だから名古屋高裁は最高裁の求める新鑑定を行う必要があるわけだ。今まで毒物が農薬の「ニッカリンT」だということは問題になってこなかった。それは当時の鑑定を疑わず、もっぱらアリバイや(ぶどう酒の王冠についていた)歯型などが争いの中心になっていた。最近になって弁護団の中で、事件当時の鑑定に矛盾があることに気づき、そもそも「毒物が違うのではないか」という疑問が出された。この農薬は危険で、もう製造中止になっていた。弁護団は全国を探し回り、ようやく倉庫に保管されていた一ビンの「ニッカリンT」を見つけ出した。そうして鑑定したところ、ぶどう酒に「ニッカリンT」を混ぜると、副生成物(トリエチルピロフェスフェート)が多量にできることがわかった。事件当時の「犯行時のぶどう酒」では検出されていないが、当時「市販のぶどう酒に市販のニッカリンTを混ぜた溶液」の鑑定では「薄く小さく検出」されたとあるので、これは毒物が「自白」と違うのではないか、「自白」は間違っているというのが、今回の新証拠の最大の主張である。

 で、今回、事件当時の鑑定を再現することは誰も引き受け手がなかったのだが、最新鋭の機器で鑑定を行った。その結果、やはり「ニッカリンT」に水分を混ぜると副生成物ができる。ただし「エーテル抽出」を行うと副生成物はゼロだという結果である。この「エーテル抽出」というのは当時の常識的な鑑定法だという。さて、だんだん訳が分からなくなってきたけれど、こうして「更に審理を尽く」した結果、弁護側の主張はおおむね証明されたかに思われていたのである。それに対し、今回の決定では「(当時の犯行現場のぶどう酒では)加水分解の結果、検出されなかった余地がある」と検察側も主張していない理由で棄却したのである。要するに犯行から当時の鑑定まで2日間ほど経っていたから、副生成物は水と反応して分解してしまい、だから当時の鑑定では検出されなかったの「かもしれない」というのである。

 これ、明らかにおかしいですよね。なぜならば、最高裁から毒物に関し更に審理を尽くせと条件を付けられているんだから、もし加水分解したから検出されないと裁判所が思うんだったら、「混ぜてから2日経った」条件のぶどう酒での鑑定を行う必要がある。時間はさらにかかるけれど、そうしないと最高裁から差し戻された条件をクリアーできない。検察も主張していない理由で決定を下すのは、全くおかしな話である。「疑わしきは請求人の利益に」というのが再審に関する最高裁決定(いわゆる76年の「白鳥決定」)だから、今回の毒物の関する鑑定結果は「もしかしたら毒物は違ったのではないか」という方向で考えるしかない。科学鑑定の判断はシロウトには難しいのだが、そういう「毒物鑑定のゆらぎ」の中に、他の主張を置いてみれば、今回の新鑑定があれば昔の名古屋高裁もさすがに「無罪から一転死刑判決」は出せなかっただろう。だから、再審開始決定が出るはずなのである。

 結局、裁判官は「自白」を重視してしまうのである。そういう裁判官の「体質」が一番問題である。「請求人以外に毒物を混入した者はいない」と今回も判断しているが、捜査段階でだんだんそういう風に参考人の供述が変えられていく状況は、江川紹子「六人目の犠牲者」にくわしく証明されていたように記憶する。この本は現在、岩波現代文庫で「名張毒ブドウ酒殺人事件」の題名で刊行されているはずである。
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菊池事件-ハンセン病と無実の死刑囚

2012年05月23日 23時57分34秒 |  〃 (冤罪・死刑)
 ちょっと時間が経ってしまったけれど、ハンセン病市民学会での分科会「今、菊池事件を問い直す」に参加したので、その時の報告。というか、菊池事件については、昨年このブログでも書いている。その後の進展を含めて報告。

 菊池事件と言うのは、1952年に熊本県で起きた殺人でFさんが逮捕、起訴され、死刑が確定した事件である。Fさんはハンセン病を疑われ、療養所への入園を強要されていた。そのため菊池恵楓園に特設されたハンセン病の特別法廷で裁かれ、裁判は一般に公開されなかった。無実を訴え、再審請求を繰り返したが、第3次再審請求が却下された直後の1962年9月14日、死刑が執行された。今年はその死刑執行から50年という年に当たる。あらたに菊池事件弁護団が組織され、死刑執行後の再審請求ができないかどうか、50年目の年に改めて再検討が行われているところである。

 現在、毎月のように「菊池事件連続企画」が行われている。毎月のように熊本まで行くことはちょっと難しいので、これには参加していないけれど。詳しくは画像、およびホームページ参照。その成果として、連続企画実行委員会発行で「菊池事件」というパンフも作られている。(連絡先は、菊池恵楓園入所者自治会。連続企画のホームページに、連絡先が記載されている。
 

 今回の分科会では、国賠訴訟西日本弁護団の国宗直子弁護士がコーディネーターを務め、最初に事件概要を説明した。続いて、当時から入所していてFさんと「最後の面会」をすることになった志村康さん(自治会副会長、国賠訴訟西日本原告団副団長)、西南学院大学の平井佐和子さん、熊本日日新聞記者の本田清悟さんが貴重な体験や知見を披露し、意見を交わしあった。

 ちょっとびっくりしたのは、当日配布された事件当時の地元紙、熊本日日新聞の記事死刑執行の記事が掲載されたのは、処刑後5日目の19日、「Fは処刑されていた」という見出しである。当時は(というかつい最近まで)、死刑執行は原則的には秘密にされていて、特に社会的関心の高い死刑囚の場合を除き、法務省から特別の発表がなかった。しかし、園の中ではもちろん大きな問題になっており、当時全国ハンセン氏病患者協議会(全患協=現在の全国ハンセン病療養所入所者協議会)では抗議活動が起こっていた。マスコミとハンセン病療養所との関係が非常に遠かったため、情報が伝わるのが遅かったのである。事件当時も当然「患者の犯行」と決めつけるような記事が掲載されており、判決も極めて小さな事実のみ伝える記事である。やがて救援運動が盛んになってくると、1962年8月26日付で「現地調査」の記事も掲載されている。しかし、それはあまりにも遅かったのである。

 また、この事件の背景に「戦後の無らい県運動」があることも大きな問題として指摘された。ハンセン病(らい病)は差別されていたが、特に戦時期には国家的に患者をなくす(=患者全員を療養所の隔離する)動きが強まった。「無らい県運動」と呼ばれ、各県が競うようにして患者を「発掘」し、療養所の送り込んだ。送り込む側の多くは患者に対する「人道的措置」と信じ込んでいた者も多かったが、当時としても感染力の弱い病であるのに、国家が強制していくことにより差別が厳しくなっていく結果をもたらしていったのである。これは戦時下の出来事ととらえられがちだが、戦後になっても「隔離の思想」は日本において生き続け、患者を追い立てていた。特に熊本の菊池恵楓園が大拡張され「世界一の規模」を誇る療養所となった。そのきっかけは朝鮮戦争である。戦争による難民としてハンセン病患者が韓国から大量に「密航」してきたらどうしようという、病気と民族の複合差別があったのである。しかし、もちろんそういうことは起こらなかった。大増床したのに空いていては問題なので、熊本では患者の入所への動きが強力に進められたのである。

 こうした中で、けっして重症ではなかった(ハンセン病ではなかったのではないかという説もあるし、自然治癒していたのではないかとも言われる)Fさんに入所の勧めがあった。1951年8月1日、役場の衛生課に勤めていた経験がある被害者宅にダイナマイトが投げ込まれて、ケガをした。Fさんが「被害者が(自分が病気だと県に)密告した」と被害者をうらんだ犯行とされ、特別法廷で懲役10年を言い渡された。この「ダイナマイト事件」がまずあり、その控訴中の1952年6月16日、Fさんは脱走した。その捜索中の7月7日に、先の事件の被害者が刺殺されているのが発見されたのである。この殺人もFさんの犯行とされ、ハンセン病のための特別法廷で死刑が言い渡されたわけである。ハンセン病患者のための特別法廷は、1972年までに95件の刑事裁判が行われたという。死刑の事件はもちろんこの事件だけである。この事件の裁判は、弁護士も含めて、「病気への恐れ」のためだろうが、きちんとした証拠調べが行われなかった点が指摘されている。小さな村落での事件で、様々な疑わしい点がいっぱいあるようだ。

 僕が前からこの事件に関して思っていることは、そもそも「特別法廷」で裁くということが、憲法違反なのではないかということだ。憲法第76条に「特別裁判所は、これを設置することができない」と定められている。76条の規定は、現行の司法権の外に「軍法裁判所」などを置くことの禁止規定で、ハンセン病特別法廷で裁かれたFさんも、最終的には最高裁判所で死刑が確定している。だからこの裁判も憲法違反ではないというのが、通常の理解だろう。しかし、「らい予防法」はそもそも違憲の法律だとも考えられ、その法律で隔離された療養所内におかれた「特別法廷」は「本来はあってはならないもの」だった。もし隔離しなければならないような病気なんだったら、精神疾患や他の出廷できない病気にかかった場合と同じく、病気が治癒するまで裁判は停止されるべきものなのではないか。また憲法第82条には「裁判の対審及び判決は、公開法廷でこれを行ふ」とある。Fさんの裁判は明らかにこの条項に違反している。

 また死刑執行に関する疑問もある。法務大臣の執行命令は1962年9月11日。第3次再審却下決定は13日。つまり再審請求中に執行命令が出ている。(法律に違反するわけではないが、現在は原則的に行われない。)この却下決定がピタリと執行直前になっているのも怪しく、裁判所と法務省が連絡を取り合っていたのではないかとさえ思わずにいられない。再審却下決定は熊本地裁のもので、福岡高裁に即時抗告する余裕を与えずに死刑執行してしまったのも、「みんなハンセン病死刑囚を葬ろうとグルになっていた」という印象を持たざるを得ない。
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「再審」とは何か

2012年05月23日 01時25分03秒 |  〃 (冤罪・死刑)
 最近、「再審」のニュースが続いている。というか、このブログでもいっぱい書いている。だから「再審」=「裁判のやり直し」ということは、大体みんな知ってるんだろうけど、くわしいことはよく知らない人も多いと思うので解説しておきたい。実は22日の朝日新聞2面にある「ニュースがわからん!」という解説コーナーで、再審が取り上げられている。これが間違いではないものの、ちょっと不十分なのである。そこには、「刑事訴訟法は『無罪を言い渡すべき明らかな証拠が見つかった』という理由があれば、刑の確定後でも『再審が請求できる』としている。」と書いてある。

 この解説のどこが不十分かを書く前に、再審に関する原則的な話。再審は確定した裁判結果を変えてくれと言う話だから、本来は例外中の例外の話である。しかし、人間界の出来事にはいろんなことがありうるから、やり直しの例外規定を決めておかなくてはならない。例えば、裁判を決定づけた「物的証拠」が実は偽造されたものだったことが証明されたとしたら、どうだろうか。その場合は、確定した裁判の基盤が崩れてしまうから、その裁判結果を維持することは許されない。今の例の場合、その証拠は刑事裁判に使われたとは限らない。民事裁判で使われた証拠が偽造である場合もありうる。だから、再審は刑事裁判だけでなく、民事裁判にもある仕組みなのである。

 以後、民事はおいといて刑事裁判に限るが、例外規定だから、刑事被告人だった側に有利な方向の再審しか請求できない
 「刑訴法435条 再審の請求は、左の場合において、有罪の言渡をした確定判決に対して、その言渡を受けた者の利益のために、これをすることができる。」(なお、具体的に請求できる人は、確定囚本人、本人が死亡か心神喪失の場合は配偶者、直系親族、兄弟姉妹、及び検察官である。)
 これを知らない人がいる。古い話だが、黒澤清監督「地獄の警備員」(1992)というホラー映画があった。裁判で一度無罪になった犯人が新証拠が見つかり…という展開になっていたが、そういうことは法的にはない。では被告の側が証拠偽造をして無罪になったことが後でわかったらどうなるのか。実はそういう珍しいケースもあったのである。その事件ではビデオ映像の日付を後で書き換えてアリバイを主張したのである。一回はみなだまされて無罪になったけれど、後で発覚した。その場合でも、検察側から再審を請求することはできない。それでは偽造した犯人に都合がいいではないかと思うかもしれないけれど、それでいいのである。国家権力の側が再審を請求できたら無罪になった人は、おちおち安心して暮らせない。ところで証拠を偽造した犯人の方は、証拠隠滅、文書偽造などの罪でちゃんと裁かれ今度は有罪になったのは言うまでもない。

 では先ほどの新聞の解説で不十分な点はどこか。実は刑事訴訟法には再審を請求できる理由が7つも決められている。例えば、今あげた「証拠偽造が確定判決で認められた場合」とか、裁判官や検察官や警察官なんかがその事件で不正をしたことが証明されたときとか。そういうケースはほとんどないわけだから、今問題になっているケースは、ほとんどすべて「刑事訴訟法第435条の6項」に関係している。
 「有罪の言渡を受けた者に対して無罪若しくは免訴を言い渡し、刑の言渡を受けた者に対して刑の免除を言い渡し、又は原判決において認めた罪より軽い罪を認めるべき明らかな証拠をあらたに発見したとき。」

 法律の条文を見ればわかるように、再審が認められるには「二つの条件」がある。新聞解説では「明らかな証拠が見つかった」と書いてあるが、それは不十分で「明らかな証拠が新しく見つかった」と書かなくてはいけない。これは法律実務の言葉では「明白性」「新規性」と呼んでいる。証拠が少ない事件では、もともとの裁判で無罪主張を言いつくしてしまったような場合がある。死刑事件では執行されては大変なので早めに再審請求することもあるが、裁判所からは「新規性がない」という理由で認められないことも多い。

 もう一つ、再審の対象について。「無罪を言い渡すべき」というだけでは不十分なのである。「より軽い罪」というケースが書いてあるのである。もっと細かく言えば、「無罪、免訴、刑の免除、より軽い罪」を言い渡すべき「明白性」「新規性」のある証拠がある場合、ということになる。で、「より軽い罪」とは何か。例えば「殺人罪」を例にとれば、「ただの殺人」にとどまらず、「何か」が付いている場合も多い。「強盗」「強姦」「放火」とかである。被害者が持っていたカバンが死体になかった。強盗目的だろうと思われたけど、被告は取ってないと主張するが認められなかった。裁判終了後、他の誰かが死体からカバンを取っていったことが証明された、というような場合である。「強盗殺人」から「強盗」が取れれば「殺人」。これは「より軽い罪」にあたる

 ただの殺人罪でも最高刑は死刑である。しかし強盗殺人の方が刑が重いことが多い。だから強盗殺人で死刑だったが、強盗がとれれば無期懲役になっていたという可能性がある。こういう場合、再審の理由になるわけである。これも「強盗に関しては無罪」ということだから、「無罪を言い渡すべき」ケースに入ると言えばそうも言えるんだけど、全面無罪ではない。また「殺人罪」で有罪になったけれど、「殺意」に関して争っていて、新しい証拠が見つかったという場合もある。「殺意」がなかったことが証明されれば、過失致死とか傷害致死になるわけである。これも「より軽い罪」である。

 間違えてはならないのは「より軽い罪」であって、「より軽い刑」ではないということである。「罪刑法定主義」という言葉があるが、「罪」と「刑」というのは混同しやすい。宗教や道徳で罪を考えるなら別だが、今の社会では「法律で罪と決められている行為」が罪である。よって、「○○法第○○条違反」と必ず特定できる事柄だけが「罪」である。一方、その罪にふさわしい刑罰の幅も法律に書いてある。二つ以上違反していれば罪が重くなるとか、自首すれば罪が軽くなることもある、とかも全部法律に書いてある。法律に書いてないことは「罪」にならず、法律にない「刑」は課されない。「強盗傷害罪」の事件で、「強盗」が事実ではない証拠があれば、再審を開く理由になる。でも裁判では被害者が「重く罰してくれ」と証言して重い実刑判決になった。でも、時間が経って今は少し許す気持ちも出てきて、新しく証言してもいいと言っているなどというケースは、裁判段階だったら「軽い刑」になる理由となったかもしれないが、裁判終了後では再審の理由にはならない。「より軽い刑を言い渡すべき証拠」では再審にならないのである

 どうしてこのことを書いたのかと言えば、けっこう「部分冤罪」を訴えている死刑囚が多いのである。しかし、ほとんど知られず支援運動もない。全面無罪を主張する人を支援する運動はあるけど、殺人は事実だけど少し違うとか、殺した人もいるけど殺してない人もいる、なんて死刑囚を支援する運動はなかなかない。60年代に起きた事件で、今でも執行されていない死刑囚は3人いる。(それ以前の事件の死刑囚は、執行されたか、再審で無罪になったか、獄中で死亡している。)その3人のうち2人は、名張毒ぶどう酒事件と袴田事件であるから、全面無罪を主張して有名だし、再審に近づいている。でも、もう一人は知らない人が多いと思う。「マルヨ無線事件」という事件名で呼ばれる、1966年に福岡で起こった事件で、強盗放火殺人でO死刑囚の死刑が1970年に確定した。現在の確定死刑囚では一番古い。放火に関して争って再審請求を続けているが、実っていない。あるいは4人殺害で死刑が1986年に確定したW死刑囚の場合は、4人のうち2人の殺害を否認している。一審の大阪地裁では無期懲役だったのは、裁判官に一部の冤罪主張が認められたからだと言われている。最高裁でも調査官は一部無罪の調査報告だったという話があるが、結局は4人殺害が確定している。しかし、ずっと再審請求を続けている。そういうケースは他にもあり、再審は本来はこういうケースでもありうるということをみんな知っておく必要があるのではないかと思う。
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「いよいよ」の週-名張事件再審開始か?

2012年05月20日 00時12分52秒 |  〃 (冤罪・死刑)
 来週は「いよいよの週」ですね。まず何と言っても「金環日食」です。年の初めから、ずっと話題になってましたが、安全な「ソーラーグラス」はお求めですか。でも曇りで見えないんだろうと思っていますけどね。

 続いて、「スカイツリー開業」ですね。いやNHKまでがあんなに宣伝放送しまくっていいんでしょうか。僕は高いものに関心が強いわけではないので、一応通天閣とか五稜郭タワーとか行ってるものもあるけれど、タワーだから関心があるというほどではないです。どっちかというと、由緒ある「業平橋」という駅名を残して欲しかったなあ。東武線を「スカイツリーライン」なんて呼ぶのもやめて欲しい。(毎日のように使う電車。)さて、実はスカイツリーは家から見えます。別に行きたくないということでもないけど、高すぎるなあと思う。東京タワーも一回しか行ってないけど、まあ見てればいいんじゃないかと思う、こういうものは。

 スポーツでも、五輪が近づき、女子バレーの出場権争いも注目、野球も交流戦、ワールドカップ最終予選も近づき、大相撲は大混戦。そういうのも実はけっこう見てるんですけど、来週は見たい映画もいっぱいで困った状態。

 でも、僕にとってもっとも大事な「来週のいよいよ」は、25時午前10時名張毒ぶどう酒事件の第7次再審請求差し戻し審決定の判断です。この事件は、名古屋高裁で第7次再審請求が認められたけど、検察側の異議申し立てが名古屋高裁に認められ、最高裁で2010年に「差し戻し決定」が出たという複雑な経過をたどってきました。なにより「一審無罪」という事件が、高裁で一転死刑と言う、戦後の裁判史上も例を見ない経過をたどった事件です。そういうことが許されるのか。それが裁判と言うものだったら、やはり「死刑制度」は問題なんじゃないでしょうか。証拠自体は変わってないのに、担当する裁判官の判断しだいで「無罪」「死刑」と分かれるんだから。今回の問題は、毒物とされた農薬「ニッカリンT」が違うのではないかという根源的な問題への疑問です。科学的な鑑定問題は難しい面もあるけれど、「疑わしきは請求人の利益に」で考えれば、もはや再審開始の結論しかないと思っています。

 「死刑」と「冤罪」は直接関係がないと強調する人がいるけれど、それはリクツではそうなんですが、感情でいえば、やはりこういうケースがあれば死刑は問題だなと思うんじゃないか。今年は、名張事件、袴田事件で、5件目、6件目の再審開始が期待される年です。死刑制度を根源的に考えることが必要なのではないかなと思っているわけです。

 もう一回、死刑制度の問題をまとめて考える前触れとして、まず名張事件の予告。名古屋高裁前では様々な行動も予定されているようですが、名古屋までは行きませんけどね。
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死刑制度をめぐる小論②

2012年04月20日 22時06分12秒 |  〃 (冤罪・死刑)
 死刑制度についての続き。小川法相は執行にあたって「国民の声を反映した裁判員制度でも死刑が支持されている」と述べている。また世論調査でも死刑容認派が85%を超えていることも理由に挙げている。これが納得いかないのである。世論調査は確かにその通りだけど、では原発や消費税の問題も世論調査で決めるのか。そうだったら首尾一貫しているが。

 これは市民運動や評論家などにも言えることだけど、リーダー層は世論調査の結果を自分の言動の理由として語るべきではないと思う。民主主義なんだから最終的には国民が決めることになる。しかし、政治家や「知識人」は自分が正しいと思うことを発信すればいいのである。それを聞いた国民の方が、それが正しいかどうかを判断する材料にするわけである。ところが、逆にリーダー層の方が「世論調査はこうなるだろう」と「空気を読んで」言動を決めたのでは本末転倒である。そういうことをしていたら、国民に人気がない政策は誰も打ち出せないし、世論調査通りに政治を行うんだったら政治家もいらない。かつて1980年にフランスのミッテラン政権で死刑を廃止したときも、世論調査では死刑賛成の方が多かったのは有名な話である。しかし、国家のあり方をめぐる基本問題だから国会の議論で決定したわけである。そしてその後、与野党は入れ替わったりしているが、死刑廃止は定着している。

 その世論調査であるが、「基本的法制度に関する世論調査」(平成21年12月)の結果を見ると、確かに賛成派が多いようにも見える。しかし、この調査は「どんな場合でも死刑は廃止すべきである」と「場合によっては死刑もやむを得ない」という二つの意見の二択という変な聞き方をしている。その結果「どんな場合でも死刑は廃止すべきである」が5.7%「場合によっては死刑もやむを得ない」が85.6%ということになる。なお「わからない」が8.6%である。だから「わからない」と答えるのはありなんだけど、「どんな場合でも反対」と「場合によっては賛成」を聞くだけでは正しい調査とは言えない。(「場合によっては反対」「どんな場合も賛成」を選択肢にいれないと論理的におかしい。)逆に考えれば「どんな場合でも賛成」が誰もいないのだから、これは廃止論の根拠にもなりうる結果ではないのか。他の調査にも言えることだが、行政の行う世論調査というのは、聞く設問がおかしいことが多い。

 「裁判員裁判で死刑判決が出ている」ということも死刑制度そのものの議論とは関係ない。現に刑法に死刑がある以上、「判例」を全く無視していいなら別だけど、中には死刑判決があるのは当然である。死刑制度を置いているから死刑判決が出るだけなのであって、死刑を置いている側の法務省や国会議員がそれを「死刑賛成」の理由にするのは不当である。

 ということで、僕は死刑を執行する理由としてどれも納得できない。それは「こういう理由で死刑に賛成で、死刑制度は意味のある制度である」という発信を国家の側で全くしないことへの不信である。今現在「死刑制度がある」のでそれを維持し続けるというだけで、以前の原発政策と同様である。「すでに原発があるから続けて行く」というだけで、思考停止状態である。そして具体的な細部の問題は全然情報を公開しない。議院内閣制だから行政府の長は(ほとんど)立法府の一員である。「つらい職責」なんだったら法を改正して廃止すればいいではないか。自分がルールを決定する立場にある人が、「ルールがあるから変えられない」というのは変である

 よく「法律にあるのだから法相は死刑を執行すべきである」などという人がいる。しかし法律にあることを実行していくだけなら官僚の仕事である。政治家である国会議員が大臣をしている意味は、法律の改廃と言う「政治的行為」を課しているということであるはずだ。こういう風に死刑存廃の議論を打ち切って執行を再開するというあり方の中にも、「政治主導」が全く意味を失い、単なる「官僚主導」に戻ってしまった野田内閣の現在があると思うのである。
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死刑制度をめぐる小論①

2012年04月20日 00時13分53秒 |  〃 (冤罪・死刑)
 死刑制度に関して、何回か。僕はずっと昔から死刑制度廃止論者で、廃止運動のまとまった集まりである「死刑廃止フォーラム90」にも90年の発足当時から賛同会員になっている。僕の中では解決してるので、実はあまり書く気がしない。書きだすと100回くらい必要になると思うし、すぐ書けるけど。死刑に反対ならどんどん書けばいいと言われるかもしれないが、「死刑制度は死刑存置論によって存在しているわけではない」と思っている。死刑制度を存在させているのは「死刑存置感情」なので、それに対抗して「死刑廃止論」を展開しても、かえって「またリクツで論を立てている」と思われるだけで、議論が成立しないのではないかと思っているのである。

 では、今回書くのは何故なのかというと、野田内閣や橋下「維新の会」を考える前提として、死刑制度の問題を考えてみたいのである。さて、3月29日に小川敏夫法務大臣の指示で、3人の死刑が執行された。1年8か月ぶりで、2011年は一回も死刑執行がなかった。それは江田五月、平岡秀夫という死刑反対派が法相だったことが大きいのだろうと思う。昨年暮れに、一川防衛相、山岡国務相(国家公安委員長、消費者担当相)に対する「問責決議」が参議院で可決された。それを受けて野田首相は1月初めに内閣改造に踏み切ったが、両大臣の交代、岡田克也副首相の登用が注目される中、その時なぜか法務大臣が平岡秀夫氏から小川敏夫氏に交代した。後から報道されたところでは、平岡法相は死刑存廃の議論を法制審議会に諮問する考えを示していたらしい。どうも死刑制度の問題で異例の法相交代(他の閣僚はほとんど交代していない)が起きたのではないか。

 新任の小川法相は就任当時から執行再開に積極的な意向を示していた。だから執行そのものは意外ではないと言えるが、その理由づけと日付には考えさせられた。(理由づけの問題は次回。)昔は国会開会中は執行しないものだったが、近年はそれは無視されている。多分、「平成23年度内の執行」ということなのだろう。前回は2010年7月、その前は2009年7月で、「4月から3月までの会計年度」で見れば、死刑執行がない年度はなかったことになるのである。

 しかし、ちょうど執行前日の28日の新聞(発表は27日)に、アムネスティ・インターナショナルは、2011年の死刑執行状況を報告している。計198国中、執行があったのは20か国。多い順に、中国(670以上)、イラン(360)、サウジアラビア(82)、イラク(68)、米国(43)、北朝鮮(30)となっている。中国や北朝鮮は完全な執行数は判らないので、もっと多いだろうと思う。これらの国の名前を見れば、人権状況に問題がある国、米国が「ならず者国家」とかつて呼んだ国や、そこに戦争を仕掛けて自らも好戦国家と言われる米国(死刑を廃止した州もある)などの名前がずらっと並んでいる。ここに名前を連ねるのは不名誉なことではないのか。法務官僚はそういう世界の状況を知らないはずはない。このままいつまでも死刑制度を維持していけるのか、何も感じないのだろうか。

 アムネスティのサイトを見れば、1978年には「廃止国60 存置国122」だった。それが2009年になると「廃止国139 存置国58」に大きく状況が変わっている。もちろん世界がどうあろうと、日本が独自の政策を取るということもあってよい。でも他の問題では「世界では」「グローバル化」などと言ってる人が、死刑制度の問題を避けているのが不思議なのである。法務官僚は「議論しなくていい状況」だと本当に思っているのだろうか。この、「世界の状況への鈍感さ」が他の問題にも通じる現在の日本の大きな問題なのではないかと思う。
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袴田事件、DNA鑑定は「不一致」

2012年04月17日 23時23分46秒 |  〃 (冤罪・死刑)
 16日の東京新聞夕刊を見ると、1面に「袴田事件 死刑囚とDNA不一致」と載っていた。さらに「関連記事6面」とあり「弁護団『有罪証拠無くなる』 望まれる早期の論争決着」という解説記事が載っている。一方、併読している朝日新聞夕刊を見ると、「DNA1か所で一致 袴田事件 検察側鑑定」と出ているではないか。これでは正反対である。朝日を読んでみると「白半袖シャツに付着していた血痕のDNA型の一部について、袴田死刑囚本人のものであることを『排除できない』との結果だった」と書いてある。東京新聞を見直してみると「静岡地検推薦の鑑定人が『本人と完全に一致するDNA型は認められなかった』と結論付けたことが16日、明らかになった。」とある。一方、「緑色パンツの血痕様の部分とも照合し、死刑囚本人のDNAである可能性は排除できないと言及した。」と書いてあった。17日の朝日朝刊を見ると、「訂正」が載っている。しかし、そこでは「白半袖シャツ」ではなく「緑色パンツ」の間違いだという訂正である。

 今ウェブサイトで新聞を見てみると、読売は「犯行時着衣のDNA、袴田死刑囚と完全一致せず」、毎日は「袴田事件:「一致DNA認められず」 検察側の鑑定結果で」とある。実は朝日のサイトでも「袴田事件「完全一致のDNA型なし」 検察側鑑定」となっていて、夕刊の記事とはニュアンスが違っている。これで各紙大体同じである。これをどう見るかだが、「可能性は排除できない」は「一致」ではない。従って、朝日16日夕刊の見出しは誤報である。鑑定人は、不一致ならもちろん「不一致」と書くだろうが、最新の鑑定技術でも判別が難しく不一致と判断はできなかったと言いたいのだろう。しかし一致していれば「一致」と書くわけで、「一致する可能性を排除できない」とは、つまり「一致したという判断はできない」ということなのである。これを「1か所で一致」と書くのは、日本語読解力の不足というべきだろうか。

 ちょっと話を整理すると、4月13日に弁護側鑑定人は「不一致」という結論の鑑定結果を出している。16日に明らかになったのは検察側鑑定人の結果で、これも「完全に一致するものはない」ということで、両者の鑑定は矛盾しない。もともと今回鑑定対象とされた「5点の衣類」というのは、初めから袴田死刑囚が着ていたものではない。(捕まった時に着ていたシャツに、犯行時の被害者の血痕があるかが争われているのではない。)1966年6月、静岡県清水市(現・静岡市)で起きたみそ会社専務一家4人殺害事件。従業員の元プロボクサー袴田巌さんが逮捕、起訴され裁判で無罪を主張する。そして1967年8月になって、みそ工場のタンクから「5点の衣類」が見つかったのであるこれが「真の犯行時の着衣」と検察側は裁判途中で主張を変えた。それまではパジャマで犯行に及んだと「自白」させられていたのだが。(「自白」調書はあまりにも強引で長時間の取り調べがあり証拠としての価値が認められなかった。検察官作成の一通を除き。)

 現在判っているように、(映画「BOX袴田事件」に描かれているように)、担当裁判官の一人はこの事件を無実と考えていた。証拠となるべき「自白調書」は価値を認められなかった。そういう(検察側にとって)危ない展開になっているとき、突然「物的証拠」がみそタンクから湧いてきたのである。その「犯行時のズボン」は法廷で履かせてみるときつくて履けなかった。(その様子は「袴田事件」のサイトにある。)だから弁護側は今主張している。この「物的証拠」自体がでっち上げなのだと。さすがにそこまではやるまい。無実の人間を間違って捕まえることはあるかもしれないが、「有罪の証拠」をねつ造して無実の人間を検察、警察が陥れるということまでは考えられない。そう思う人が多いかもしれない。しかし、今回明らかになったことは、それ。証拠とされるものが、もともと「でっち上げのねつ造証拠」であった可能性なのである。

 そのような証拠ねつ造は、大阪地検特捜部でフロッピ-改ざん事件があったように全国どこでも起こりうると思っている。しかし、戦後21年目の静岡県と言えば、中でもありえそうな場所だというのは、少しでも冤罪事件に関心を持っている人なら誰でも知っていることだろう。著名事件に限っても、
 1947 幸浦事件(1・2審で3人死刑、最高裁で破棄差し戻し、高裁で無罪、1963年最高裁で無罪確定)
 1950 二俣事件(1・2審で死刑、最高裁で破棄差し戻し、1958静岡高裁で無罪、確定)
 1950 小島事件(1・2審で無期懲役、最高裁で破棄差し戻し、1959東京高裁で無罪、確定)
 1954 島田事件(1・2審で死刑、1961死刑確定。1989再審で無罪。)
 1955 丸正事件(1・2審で無期懲役、懲役15年。1960有罪確定。再審請求するが、請求人死亡。)

 さらに21世紀になっても「御殿場事件」と呼ばれる無実を訴える事件が起こっている。また1968年に起きた金嬉老事件では、静岡県警に根強い朝鮮人差別が告発された。このようなことから1966年の清水で証拠のねつ造があったと言われても、僕なんかは「ありそうな話ではないか」と思うものである。

 袴田事件にはもっと不思議なことが一杯あって、とても「合理的な有罪認定」は不可能な事件である。それでも裁判所がかろうじて有罪判決を出せたのは、「物的証拠が後から出てきた」ことが一番大きいのだろうと思う。それが崩れたと言ってよいのではないか。袴田事件の様々な論点を書いていると終わらないので、支援団体のサイト(弁護団、「袴田巖さんの再審を求める会」、「無実の死刑囚・袴田巌さんを救う会」があるのでそちらで。

 なお、もう終わっているのだが、アムネスティ・インターナショナル日本支部で袴田事件の再審開始を求めるオンライン署名を行っていた。そのサイトも参考に。
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東住吉冤罪事件の再審開始決定!

2012年03月09日 00時55分38秒 |  〃 (冤罪・死刑)
 旅行中のラジオで、「大阪の女児放火殺人事件」で、「再審開始の決定が出た」というニュースを聞いた。え、もうそんな段階に来てたのか、それは知らなかった。先ほど確認したら、支援関係のサイトにはこの日に決定があるという告示が緊急に出てたけど、裁判所からの通知も一週間前の2月28日だったということで僕は確認してなかった。この「事件」は再審どころか、原審、いや「事件」そのものが東京の報道機関ではほとんど報じられてきていない。多分ほとんどの人は知らなかったと思うし、東京のマスコミ関係者もよく知らないのではないか。(関西では違うかもしれない。)

 だからだと思うんだけど、報道の仕方について困った点が多い。そこを指摘するために簡単に書いておきたい。まず、報道する側が知らないから、「事件の名前」がない。各紙は「大阪の放火殺人」と書いている。そうじゃない、でしょ。「放火殺人じゃない」っていうことで再審開始決定が出たのである。「放火殺人事件」自体がなかった。「放火殺人」は起こっているけど、犯人が違うという事件ではない。それなのに「放火殺人」とカギカッコもつけずに見出しで報じる。これでは本質を間違って伝えることになる。せめて「女児焼死事件」というのなら、まだましかもしれない。しかし、そもそもは「事故」であり、「事件」ではないという「事件性そのものが争われている」というケースなのである。

 ではなんと呼ぶべきか。はっきりしている。10年以上も前、2000年という控訴審段階から支援のウェブサイトがあって、「東住吉冤罪事件」と自ら表現しているのである。「冤罪」というのは主張の部分だからマスコミ的には取ってもいいかもしれないが、明らかに事件名としては「東住吉事件」と呼ぶべきなのではないかと思う。10年以上も前からウェブ上で活発に更新されていたし、国民救援会系の「再審・えん罪事件全国連絡会」にも参加している。冤罪問題に関心を持つ人には、知られている事件だった。

 この再審開始決定の意義は大きい。その理由の第一は、再審請求人が現在服役中だからだ。今まで服役中に再審開始決定が出た重大事件はないはずである。もちろん死刑再審の4事件は、拘禁中の請求人が判決によって釈放されたというケースである。でも、死刑という刑罰は「絞首」が刑の執行であり、それまでの拘禁は刑の執行そのものではない。また、足利事件の菅家さんは無期懲役刑の執行中に、検察側によるDNA鑑定で無実の新証拠が出たため検察官によって刑の執行が停止されて釈放されて、その後に再審が決まった。昨年の布川事件の他、戦前発生事件の吉田岩窟王事件や加藤老事件、戦後に起きた梅田事件など無期懲役刑の再審開始もあるが、「仮釈放」以後に再審開始決定が出たというケースである。死刑や無期の事件でも再審はありうるけど、長い長い時間を経たのちに出るものだという、今までの通念を破る決定である。これは東電OL殺人事件、筋弛緩剤えん罪事件などに希望を与える決定である。

 理由の第二。今までともすると、冤罪は「昔の事件」で、科学的捜査が弱かった60年代頃までの話だということが多かった。富山県の氷見事件を見るだけでもそれは間違いなのだが、1995年の事件で再審開始決定が出たということは、冤罪は過去の問題ではないことをはっきり示すものである。

 理由の第三。最高裁で確定したのが2006年。11年裁判で争った。しかし、確定からはまだ5年ちょっとしか経ってない。こんなに最高裁での確定から早い再審開始決定も聞いたことがない。担当した裁判官は退官しているようだけど、これは最高裁のあり方を考えさせる事例であると思う。

 理由の第四。「自白」に頼る捜査、それを追認する裁判という、日本の刑事司法の「悪弊」を科学的鑑定で打ち破るという、刑事司法の流れを加速するのは間違いない。

 だからこそ、検察側は直ちに即時抗告して争う姿勢を見せている。これはおかしい。そして、すでに16年拘束されている二人の請求人はただちに「仮釈放」するべきである。(争う「法的権利」が検察に与えられている現在の法制度では、「刑の執行停止」をせよと言っても実現しないだろう。しかし、拘束されて16年。刑の確定は2006年で、そこだけ考えると「まだ早い」かもしれないが、時間の長さはもう仮釈放に十分ではないか。)
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福井事件の再審開始を考える

2011年12月02日 00時42分59秒 |  〃 (冤罪・死刑)
 福井の「女子中学生殺人事件」、先に「再審開始が期待される」と書いておいたが、30日に再審開始決定が出た。検察側が今後異議申し立てをするのかもしれないので、まだ確定ではないけど、請求人の前川彰司さんは無実である。この事件についてはあまりよく知らないので、書くのを控えようかと思ったが、やはり書いておくことにする。(ところで、警察が犯人を間違えたことで今でも「女子中学生殺し」と言われて名前が出るのは、被害者の家族にとっては辛いことだろう。地名を取って、単に「福井事件」と呼んだ方がいいのではないかと思う。)

 この事件は全国的に大きく騒がれたわけではないので、事件当初も、裁判段階も東京ではあまり報道されていない。冤罪事件に関する新聞切抜は30年以上あるので、一審無罪判決の記事は探せば見つかると思うけど、その後の逆転有罪や再審に関する記事は小さかった。(載ることは載ったので、有罪確定や再審請求の事実自体は知っていた。)この事件に関するノンフィクションの本なども出ていない。だから、僕はよく知らないわけである。

 では、何故「無実」と書くかといえば、再審請求の事実自体が「行動証拠」であると考えるからだ。死刑や無期と言った重大事件ではない。懲役7年ですでに服役を終えて出所している。再審請求をしたことで、全国に名前と顔写真が知られてしまった。殺人なのに7年と短いのも、シンナーの影響下にあった犯行とされ減刑されたものである。出所後も心神の体調不良が続き、決定当日も金沢に行けなかった。そういう事情も全国に知られてしまった。殺人事件の犯人として服役したと知られるだけでも大変なのに、そのような個人的事情まで知られてしまうのに、裁判をやり直して欲しいと望むのは、本人が本当に無実だからだとしか僕には思えない。もう出所しているのだから、犯人なんだったらしばらく静かにして他人が忘れるのを待つだろう。確かに再審で無罪になれば補償金が出るわけだが、25年間の苦しみを思えば、本当に無実じゃなかったらお金目的に今さら名乗って出るなんて人がいるだろうか。無罪判決があってもとやかく言う人はいるものだ。それなのに再審をやり抜こうとするのは、本当に無実だからだとしか僕には思えない。本人の行動そのものが、何よりの無実の証拠。僕の人間観からすると、そういう判断をするものである。

 ところで、この事件では前川さんは「自白」を取られていない。「知人」が「後輩が血の付いた前川を車に乗せた」と供述したことが有罪の決め手になった。しかし、再審請求審で、数多くの「未開示調書」が新たに開示されて、その供述のいい加減さが証明された。それが再審開始の決め手になるわけだが、この事件の関係者の年齢を知ると驚く。前川さんが46歳。「知人」が47歳。「後輩①」が42歳。「後輩②」が47歳。25年前だから、引くと前川さんが21歳。知人は22歳である。後輩に①②があるのは、「知人」が供述したのは複数いて、最初の人物は逮捕されたが釈放されている。「後輩①」は25を引くと「17歳」になってしまうが、本当に「車に乗せた」という容疑で逮捕されたのだろうか。さて、「知人」と書いているが、「覚醒剤で逮捕・勾留中の暴力団員」である。つまり、捕まえているチンピラに言わせた供述なのである。

 この「後輩」証言による証拠構造を考えると、逆転有罪判決の名古屋高裁金沢支部には「見抜けなかった責任」がある。警察、検察は、「殺人事件解決」のためには、他の事件の犯罪者と取引してでも、むりやり「犯人」をつくる。そのような事件は他にもあるが、この事件の本質はそこにある。20歳過ぎたばかりのチンピラをあやつるなんて警察には簡単なことだったろう。異議申し立てをせず、早く再審が開かれることを望む。
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「再審」の「最新情報」

2011年11月17日 23時04分58秒 |  〃 (冤罪・死刑)
 1980年という年は、自分にとって、とてもいろいろな出来事があった忘れられない年。その年に最高裁で死刑判決が確定してしまったのが、静岡県清水市(現・静岡市)で起こった袴田事件である。僕はこの最高裁判決を傍聴している。最高裁判決と言うのは、実にぶっきらぼうなもので、結論だけ言って裁判官は引っ込んでしまう。「本件上告を棄却する」の一言を聞くだけで、理由を言わない。被告人も出廷しない。

 冤罪事件と言っても、いろいろあって「一度聞いた(読んだ、見た)だけで、これは絶対冤罪と思う度」というのが高い事件と、それほどでもない事件があるのは確かである。でも、この袴田事件というのは、すでに死刑から再審無罪が確定している、同じ静岡の島田事件と同じくらい、一度読んだだけで「これはおかしいでしょう」という事件だった。何しろ、裁判途中で「犯行当時の着衣」が変更されてしまったのである。味噌会社の事件で、裁判中に味噌蔵から血染めのズボンが発見され、改めてそれが犯行時のズボンとされたが、法廷ではかせてみると足に入らない。味噌に浸かって縮んだということにされた。それで「自白」はどうなんだというと、検事が取った一通を除き、後は全部証拠にならないとされた。それなのに有罪で死刑。どうしてそんな判決になったのかは、最近になってわかったわけである。一審の裁判官の一人は、この事件は絶対に無実だと確信したのだが、他の二人が最後まで有罪を維持した。その裁判官は、その後裁判官を続けられず退官、何十年立って「合議の秘密」を明かした。その話は、昨年「BOX 袴田事件 命とは」という映画になり公開された。

 袴田事件の取り調べテープが存在するということだ。しかし、検察側はそれを「開示しない」と言っているということだ。おかしいでしょう。税金で作ったテープだ。すべての証拠を出せと言いたい。多くの事件で、証拠開示が再審開始への決定的なきっかけとなった。この袴田事件に関しては、19日に集会がある。

 さて、今日の新聞によれば、9月中にも決定が出ると言われていた、福井女子中学生殺人事件の再審請求の決定日時が決まった。11月30日、午前9時半である。この事件は一審無罪なので、福井の事件だが、決定は名古屋高裁金沢支部で出る。この事件はおかしな「証拠」で起訴されたが、さすがに一審では無罪となった。その後、東京の集会に来た被告人の話を聞いたことがある。ところが、高裁で引っくり返った。今回は、裁判中に出ていなかった証拠がずいぶん開示されたというから、再審開始決定が期待される

 ところで、10日に三鷹事件第二次再審請求がなされた。三鷹事件と言うのは、1949年に起こった、下山事件、松川事件と並ぶ国鉄の3大怪事件と言われるものである。共産党員被告9人と非党員の運転手竹内景助が起訴された。一審で鈴木忠五裁判長は、共産党員の共同謀議は「空中楼閣」と批判して党員被告は無罪、竹内のみ情状をくんで無期懲役とした。2審では書面審理のみで、共産党員被告の無罪は維持したものの、竹内被告を死刑に変更した。最高裁でももめにもめて、結局弁論を開かないまま竹内の死刑を維持した。15人の裁判官中、死刑に反対が7人で、一票差の死刑と言われた。事件内容以前に、この「弁論も聞かずに書面審理だけで、被告人の弁明も聞かず顔も見ずに、無期から死刑に変更するのは許されるのか」というのが批判されたので、以後最高裁はすべての死刑事件で弁論を開く慣例ができた。もうすぐオウム真理教事件の最後の最高裁判決があるが、もう上告棄却(死刑判決維持)に決まってると言ってもいいけれど、弁論は開かれ弁護側の主張(検察側もだが)を聞いたわけである。

 そういう意味で三鷹事件というのは、戦後の裁判史上で有名な事件なのだが、当時は共産党員被告の救援が中心となり、竹内のことがおろそかになった面も否定できない。竹内の供述が変転を重ねたこともあって、それをどう理解すべきかいろいろな考えがあった。結局、竹内も無実を主張して再審を請求したものの、1967年に脳腫瘍で拘置所内で死んで、再審は終わりになっていた。それが近年三鷹事件を取り上げる本やテレビ番組で無実の主張が取り上げられ、家族による再審請求に結びついた。戦後史の中で数奇な道をたどった事件であり、この再審請求の道筋も見続けて行きたい。それは9月に書いた菊池事件(藤本事件)にも大きな示唆を与える再審請求ではないかと思うのである。
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検察審査会に代わる制度を!

2011年10月14日 21時52分56秒 |  〃 (冤罪・死刑)
 小沢一郎元民主党代表と元秘書に関する刑事裁判の問題。元秘書裁判は、重要な供述調書が証拠として採用されなかったのに、「推認」という言葉を多用して有罪となった。それをどう評価するかはいろいろな意見が飛びかっているが、裁判経過をしっかりと追っているわけではないのでここでは評価は控えたい。はっきり言えるのは、小沢氏には政治家としての説明責任がある。というかいずれ説明すると言ったまま、国会(証人喚問や政倫審)に出てこないで記者会見で「恫喝」してるのは頂けない。単なる形式問題ではなく、公共事業に伴う裏金が指摘されているのだから、国会の国政調査権が発動されるべきなのは当然。裁判進行中であるのは関係ない。(小沢氏が師と仰ぐという田中角栄も、金脈問題で首相を辞めるときいずれ調査して説明すると言ったまま、何もしなかった。)(ついでに書くと、元秘書の石川議員に対する「議員辞職勧告決議案」には反対である。)

 一方、小沢氏本人の刑事裁判も今月に入り始まっている。小沢氏側は1回目に「裁判自体の取りやめ」を求めた。それを批判する人もいるが、「公訴棄却」という手続きが裁判にはちゃんとあるのだから、何の問題もない。「公訴棄却」というのは、それこそ起訴したこと自体がおかしいと裁判そのものを取り消す手続きである。過去には水俣病患者の川本輝夫氏がチッソともみあいになり傷害罪で起訴された裁判で、77.6.14に東京高裁で公訴棄却の判決が出て、最高裁で確定したケースが有名。検察審査会による強制起訴制度は、僕は問題が多いと考えているので、それに関しては新しい司法判断を求めてもいいと思うのである。(なお、「市民が判断」と書いた新聞が多いが、検察審査会は国家機関で日本国籍を持っていないと選ばれないので、「国民が判断」と書かなくてはおかしい。)
 
 検察審査会という制度は、裁判員制度が出来る前は司法に関して国民が関与できる唯一の制度だった。(最高裁裁判官国民審査は、裁判官の身分に関わるだけで、事件の中身に関与できるわけではない。)だから、この制度はそれなりに貴重なものだ、と僕は思っていた。とは言っても、当時は、「検察審査会が、起訴相当、不起訴不当の議決をした場合、検察は再捜査をしなければならない」けれども、起訴する必要はなかった。だから、検察審査会というのは、あってもなくてもいいような、あまり意味のない制度になっていた。(かつて、日歯連事件で検察審査会は山崎拓元自民党副総裁を起訴相当としたことがあるが、検察はふたたび不起訴にした。)また、ずいぶん昔の話だが、神戸の甲山事件では、不起訴になった人が検察審査会の議決(不起訴不当)をきっかけに再逮捕、起訴され、冤罪を晴らして無罪が確定まで長く苦しい道のりを歩まざるをえなかったという苦い過去の記憶もある。検察審査会は、その成り立ちからして検察が集めた証拠を再評価することしかできない。検察、警察に呼ばれた人の「供述調書」はそれだけでは「証拠価値」はない。裁判で弁護側の厳しい反対尋問にさらされた上、裁判所が証拠採用した後で初めて有罪の立証に使えるというものである。しかし、それに対して検察審査会では被告・弁護側の言い分は全然聞かずに判断するわけだから、どうしても「有罪方向のバイアス」がかかるに違いない。

 法が改正され、2回起訴相当の議決があれば、強制的に起訴されることになった。制度改正以後、明石の花火事故の警察署長、JR福知山線事故のJR西日本元社長、小沢一郎議員などが強制起訴になった。ちょっと見ると、「今まで検察が起訴しなかった政財官界の有力者が、国民によって裁きの場に出されることになった。まさに、制度改正の実があった」とも見える。

 ところが、どうも僕には疑問が大きくなってきた。国家が独占してきた「公訴の提起権」を検察審査会が手にするようになった。だから、これを「国民の権利の伸長」ととらえることもできるようにもみえる。しかし、裁判員制度だったら、(運用に改善すべき点は多いようには思うが)、裁判でどのような結論を出すこともできる。一方、検察審査会は「不起訴になったものを今度は起訴する」権限しかない。つまり、国家権力の強化に一方的に加担できるようになっただけで、検察制度をチェックする機能はないわけである。これが、もし「誤って起訴された無実の被告の起訴を取り消す」こともできるなら、国民が検察をチェックする権限を得たと言えるだろう。では、検察審査会は「起訴の取り消し」もできるようにすべきなのか?

 しかし、よく考えると、これはあまりよい仕組みではない。捜査側の書類を見ただけで「これは冤罪だ」とわかるような事件がどれだけあるだろうか?事後の書類審査だけを行う検察審査会では、無罪の可能性があったとしても、「裁判で証人を呼んでから判断したほうがよい」となるに違いない。じゃあ、検察審査会でも証人を呼んで、それで起訴・不起訴の判断をするようにすべきではないかという意見もあるだろう。しかし、それでは、事実上の一審が検察審査会になってしまう。それなら、起訴・不起訴自体を国民が全部判断する制度のほうがいいんじゃないのか。そういう制度が、外国にはあるところもあるのだ。アメリカでいう「大陪審」である。アメリカでは、重大犯罪の場合、起訴すべきかどうかを国民が判断する。起訴を判断する陪審員23人。裁判の陪審員は「12人の怒れる男」という映画があるように12人なので、大陪審、小陪審と呼び分ける。裁判員制度を導入したのだから、「大陪審」も検討したらどうなのか?

 ただ、大陪審は人数も多くて、裁判員制度以上に大変である。実際、大陪審は英米法の概念だが、イギリスはもはややってないらしい。では、検察審査会に変わる制度設計は他にありうるだろうか?僕が考えたのは、検察審査会を廃止し、付審判請求に一本化するというのはどうだろうということだ。

 「付審判請求(ふしんぱん・せいきゅう)というのは、検察が不起訴にした事件のうち、特別公務員暴行陵虐罪や特別公務員職権濫用罪などにある特別措置である。検察官や警察官自体が、捜査で暴行を加えたり証拠を捏造、隠滅していた場合、いくら被害者が告発しても、捜査当局が自分で自分を起訴するのはなかなか難しいので、裁判所に直接起訴を訴えることができるという例外的な制度である。実際、警察官が起こした問題などでずいぶん付審判請求がなされ、請求が認められてもいる。裁判所が審判に付すると結論したら、指定弁護士を検察役に任命して、裁判になるところは「検察審査会の強制起訴」と同じである。

 これを他の罪にも拡大して、すべて裁判所で決定する。そして、付審判請求の可否は裁判員制度で国民が判断に加わる。このような「抜本的改正」を行い検察審査会は廃止して裁判員制度に一本化する方が良いのではないか。
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藤本(菊池)事件・死刑執行後再審をめざして

2011年09月20日 23時34分53秒 |  〃 (冤罪・死刑)
 今回熊本へ行ったのは、藤本(菊池)事件の再審をめざす集会に行くためです。この事件はハンセン病あるいは冤罪事件の歴史の中ではかなり知られています。しかし、一般的にはまだほとんど知られていないと思います。ハンセン病差別により無実の人が殺人犯とされ、療養所の中に作られた特別法廷で差別的な裁判(具体的な内容は例えばウィキペディア、あるいは国賠訴訟後に厚労省で行われた検証会議の報告を参照)を受け、死刑が確定しました。その後再審に向けた取組のさなかに、1962年9月14日突然死刑が執行されました。そんなひどいことが日本であったのかと思うかもしれないけど、あったんですよ。では、なぜ知らない人がいるんだろう?今回の「50回忌」、来年の「処刑50周年」を機に、再審への機運が高まっていますが、東京ではほとんど報道されていません。地元の熊本ではかなり報道されていましたが
 (なお、この事件は今まで「藤本事件」と呼ばれてきましたが、弁護団から「菊池事件」への呼称変更が呼びかけられています。しかし、そうすると「藤本事件」での検索にかからなくなってしまいます。当面は両方の呼称が必要と考え、表題をそうしました。


 僕は冤罪やハンセン病に関して長く関心を持ってきたので、むろん「藤本事件」も30数年前から知っていて、気にかかってきました。この世の中で何が「一番あってはならないこと」でしょうか。戦争や犯罪で何の責任もない幼児が殺されてしまうこと。しかしその場合でも「それが良いこと」とは誰も言いませんし、犯罪をすべて防ぐ方法はないでしょう。「無実の罪で死刑判決が下り死刑が執行されてしまうこと」はどうでしょう。僕はこれはこの世で一番あってはならないことだと思います。なぜならそれは国家から理由なく殺され、しかも「この世を良くするためにお前を抹殺する」とレッテルを貼られた上での死だからです。国家権力による権力犯罪の極致です。

 では、日本では「無実の死刑囚への執行」はあったのでしょうか。執行前に再審で無罪になり釈放されたのが4件(免田、財田川、松山、島田)、再審請求中の死刑囚が獄中で死亡した例が数件(帝銀、牟礼、波崎、三鷹、三崎など)。これに対し、無実なのに死刑が執行されてしまったと訴えがある事件は、藤本事件、福岡事件、飯塚事件でいずれも九州の事件。福岡事件の西武雄死刑囚は獄中で「叫びたし 寒満月の割れるほど」という句を作っています。他にも疑われている事件はあるようですが、この3事件は具体的に再審の動きがあるのです。(なお、飯塚事件の執行は2009年。)

 さて、集会が開かれたのは、ハンセン病療養所菊池恵楓園(きくち・けいふうえん)。熊本市から北へ1時間程度、もっと遠くかと思っていましたが、案外近い所にありました。園の会館で開かれた集会には約130人が参加、再審への可能性を考えました。自治会副会長の志村康さん(国賠訴訟を始めた人です)から、当時の面会での様子などが語られ、読み書きがよくできないまま有罪にされたという話がありました。続いて八尋光秀弁護士から再審への説明がありました

 この事件への取り組みは東京でも必要だと思います。なぜなら、事件と裁判、死刑執行は九州で起こりましたが、一番の問題である死刑執行は、東京で法務大臣が執行命令に署名したことによるものだからです。中垣國男法務大臣による執行命令は、1962年9月11日付でした。この「日本の9・11」から来年で半世紀。私たちはそれを忘れないという意志表明がなされるべきだと思っています。
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東電OL事件の新展開

2011年07月21日 21時17分51秒 |  〃 (冤罪・死刑)
 夕刊やテレビニュースで東電OL事件の再審請求で新しい展開があったことを報じています。報道によれば、「東京高検が最新の技術によるDNA型鑑定を実施したところ、女性の体内から採取された精液のDNA型と、殺害現場から採取された受刑者とは別の男性の体毛のDNA型が一致したことがわかった。鑑定結果は、被害女性がマイナリ受刑者以外の男性と一緒に殺害現場のアパート空き室にいた可能性を否定した確定判決と矛盾する可能性がある。」とのことです。足利事件のあと、新しくDNA鑑定を求められると裁判所や検察も無下に否定できず、様々な事件で新鑑定が行われているようです。

 この事件に関しては、佐野真一「東電OL殺人事件」(新潮文庫)があり、裁判のおかしさがよく判ります。直接証拠はなく、状況証拠をどのように評価するかが焦点ですが、疑問点が多く残る裁判だったと思っています。何しろ一審は無罪で、それですんでもいいはずが、(不法滞在状態だったために、無罪判決を受けたのに)釈放されずに控訴審でひっくり返ったという経緯がありました。

 ところで、その再審請求人を何と呼ぶか。裁判時までは「ゴビンダ被告」とマスコミは言っていたけど、今日のニュースでは「マイナリ受刑者」と言っています。救援会は「無実のゴビンダさんを支える会」と言うので、ゴビンダという表記でいいのではないかと思います。 ゴビンダ・プラサド・マイナリというネパール人の人名なわけですが。ゴビンダさんは一貫して無実を主張、日弁連も支援しています。確かにこの新鑑定自体は足利事件のような一発必勝の新証拠ではないのですが、「疑わしきは被告人の利益に」は再審にもあてはまるとという精神で見れば、結論は明らか。

 冤罪事件と言うのは昔の警察の問題だと思うと大間違いで、鹿児島の志布志事件、富山の氷見事件のように現在も起こり続けています。「再審えん罪事件連絡会」という集まりがありますが、名張毒ぶどう酒事件、袴田事件など著名な死刑事件のほか、「筋弛緩剤えん罪事件」「東住吉冤罪事件」、そして東電OL殺人事件など多くの事件が加盟しています。

 東電OL殺人事件は、発生当時大きく騒がれ、小説等に描かれました。現東電の勝俣会長は当時企画部長で、被害者の上司でした。西沢新社長も企画部出身で、この事件処理を通し、勝俣・西沢ラインが結成されたとも言われています。因縁というべきでしょうか。
 早期の再審開始を望みます。
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日独伊の相違点

2011年07月06日 23時43分00秒 |  〃 (冤罪・死刑)
 書きたいことがなくなって困る日が早く来て欲しいのだけど、なかなかそういう日が来ません。これからまた原発話に戻りたいんだけど、その前に書いておきたいこと。
 「フクシマ」の事故を受けて、ドイツは原発から撤退し、イタリアは国民投票で脱原発を決めたけど、70年前は同盟国だったドイツやイタリアと、わが日本は何が違うのだろうか???

 そういうことを語る人もいるので、僕の答えを簡単に書いておきます。
ドイツとイタリアは、敗戦後に「国歌の歌詞」を変えた。もっと細かく書くと、ドイツは(西ドイツということだけど)ハイドン作曲のメロディは変えなかったけど「世界に冠たるドイツ」という1番を歌うことをやめて、3番の「統一と正義と自由を」をいう歌詞だけを歌うことにした。ナチス時代は1番しか歌わなかった。イタリアは王政を戦後の国民投票で廃止したので、それまでの王政をたたえる歌に替えて、ヴェルディ編曲の新しい曲になった。もっともそれも歌詞内容が国家主義的で反対論はあるということだけど。日本はどうですか?明治憲法の時代に決まった国歌の歌詞をそのまま使っていていいのかという本質論をせずに、「命令だから(式典で起立斉唱することに)従うのは当たり前だ」とか言ってるレヴェル。ちなみに、ハイドンやヴェルディクラスのメロディにして欲しいよねえ。歌詞内容以前に。

ドイツとイタリアは戦後になって死刑を廃止した。イタリアは諸資料によく1994年廃止とあるけど、これは軍法会議に残っていた規定の廃止で、一般の裁判の死刑は戦後すぐに廃止した。ドイツは西は1949年に廃止したが、東ドイツも統一以前に廃止している。

 これは原発と関係ないようで、深い深い関係があると思います。それは国家は間違う、国家権力は強大になり過ぎてはいけない、国家政策は引き返すことが可能であるという考え方で国家運営が行われているということを示すからです。

 日本では、国家が一端決めたことはなかなか途中で変えることができない。大臣はどんどん変わるけど、官僚はずっと継続していて、同じ政策を推進し続けます。
 死刑の問題は「国家権力をどう位置付けるか」という問題で、僕の理解によればダムや空港や原発などの大型公共施設から途中で撤退するということは、死刑制度がある限り難しい。

 ちなみに、アメリカ合衆国は州ごとに死刑廃止、存置が分れている(廃止が15州と首都、プエルト・リコやグアムなどの海外領土、他にも検討中や執行をしてないところもある)ので、G8参加国で死刑を完全に存置しているのは、日本だけ。

 ということで、反原発運動家にして死刑廃止運動家だった、故・水戸巌さんのことを最近よく思い出します。水戸さんのことを次に書こう。
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