3日付朝日新聞、「検事集め再審対策」と言う記事。凄いことが書いてあった。最近、再審を認める決定が相次いでいることを踏まえ、最高検は再審請求審を担当した検事を集めて会議を初めて開くという。「確定した有罪判決が覆れば、検察や警察は批判を受ける。『再審開始が増えて捜査機関への信用が低くなれば、治安維持の点から問題だ』という認識が観察内部にはある。」とある。
つまり、こういうことだろうか。「自分たちが批判を受けたくないから、『治安維持』をタテマエにして、無実の人もそのまま捕まえておくのだ。死刑囚が無実を訴えても、『治安維持』の観点から再審は認めるべきではないのだ」ということではないか。
再審に至る事件には、捜査に手落ち、あるいはそれ以上の「証拠偽造」があることが多い。再審請求審で指摘された捜査の間違いを率直に反省して、今後の捜査に生かす、そのための会議だというなら、これは開く意味もあるだろう。
再審開始をどうやって阻止するかを相談する会議では、公益の代表者として発想が逆転している。
2010年9月に、大阪で任意取り調べを受けた被疑者が暴言を浴びせられたという事件が起こった。事情聴取に際して「殴るぞ、お前」、「お前の人生むちゃくちゃにしたるわ」、「手出さへんと思ったら大間違いやぞ」、「考えてもの言え、こら! お前、警察なめたらあかんぞ、お前!」といった暴言が明るみに出たのは、被疑者がICレコーダーで録音していたからである。(取り調べを担当した警官は脅迫罪で立件された。)小沢一郎政治資金事件でも、秘書だった石川知裕代議士の任意取調べをICレコーダーで録音していた。そうしたら、調書と録音に違いがあったことが判った。これは皆知っているだろう。
逮捕されたらともかく、任意取り調べだったら自分で録音しておいて身を守らないといけない。これが「捜査機関への信用が低くなる」理由である。つまり、捜査の「可視化」、それなくして捜査機関への信用は高くならない。
長く再審を訴え、支援運動も広がっている事件は、みなそれだけの理由があるのである。検察が「難くせ」を付けなければ、もっと早く無実を証明できた。そういう事件ばかりである。「治安維持」の観点からは、無実の人が早く無罪になるような社会こそ、国家制度への信用が増すはずである。
つまり、こういうことだろうか。「自分たちが批判を受けたくないから、『治安維持』をタテマエにして、無実の人もそのまま捕まえておくのだ。死刑囚が無実を訴えても、『治安維持』の観点から再審は認めるべきではないのだ」ということではないか。
再審に至る事件には、捜査に手落ち、あるいはそれ以上の「証拠偽造」があることが多い。再審請求審で指摘された捜査の間違いを率直に反省して、今後の捜査に生かす、そのための会議だというなら、これは開く意味もあるだろう。
再審開始をどうやって阻止するかを相談する会議では、公益の代表者として発想が逆転している。
2010年9月に、大阪で任意取り調べを受けた被疑者が暴言を浴びせられたという事件が起こった。事情聴取に際して「殴るぞ、お前」、「お前の人生むちゃくちゃにしたるわ」、「手出さへんと思ったら大間違いやぞ」、「考えてもの言え、こら! お前、警察なめたらあかんぞ、お前!」といった暴言が明るみに出たのは、被疑者がICレコーダーで録音していたからである。(取り調べを担当した警官は脅迫罪で立件された。)小沢一郎政治資金事件でも、秘書だった石川知裕代議士の任意取調べをICレコーダーで録音していた。そうしたら、調書と録音に違いがあったことが判った。これは皆知っているだろう。
逮捕されたらともかく、任意取り調べだったら自分で録音しておいて身を守らないといけない。これが「捜査機関への信用が低くなる」理由である。つまり、捜査の「可視化」、それなくして捜査機関への信用は高くならない。
長く再審を訴え、支援運動も広がっている事件は、みなそれだけの理由があるのである。検察が「難くせ」を付けなければ、もっと早く無実を証明できた。そういう事件ばかりである。「治安維持」の観点からは、無実の人が早く無罪になるような社会こそ、国家制度への信用が増すはずである。