尾形修一の紫陽花(あじさい)通信

教員免許更新制に反対して2011年3月、都立高教員を退職。教育や政治、映画や本を中心に思うことを発信していきます。

新宿梁山泊『失われた歴史を探して』ー関東大震災百年、虐殺の記憶

2023年10月12日 22時51分31秒 | 演劇
 久しぶりに演劇を見てきた。調べてみると、およそ1年前『レオポルトシュタット』を見て以来である。まあ、この間は事前にチケットを買うことが出来ない日々が続いていた。そろそろ寄席にも行きたいし、お芝居も見たい。だが、映画もそうなんだけど、余り見に行けない間に「どうしても見たいなあ」レベルが上がってしまった。要するに大部分は「まあ見なくてもいいかな」になっちゃうわけである。今回見たのは、新宿梁山泊の『失われた歴史を探して』で、9月に関東大震災時の虐殺問題を書いてたから見ておこうかと思った。今日が初日で、15日(日)まで計7回の公演が予定されている。

 場所は下北沢の「ザ・スズナリ」で、何度も行ってるのに下北沢再開発完成後初めてなので、うっかり迷ってしまった。スマホで検索しても、全然違ったところが出る。もう下北沢に着いてるのに、徒歩38分とか出るのには呆れてしまった。すごく狭い劇場だが、昼(2時)だからか題材なのか高齢層でほぼ満員だった。作者は金義卿(キム・ウィギョン)という韓国を代表する劇作家で、もう亡くなっているという。日本では文化座が『旅立つ家族』という作品を上演してきたというが、この作品が2度目の上演らしい。ただ原作は4時間ほど掛かるのに対し、今回は2時間ほどで、大胆に脚色されている。

 アフタートークによれば、主に趙博が脚色していったという。冒頭がもう現代の話で、女性二人が映画『福田村事件』のことを語り合っている。原戯曲は1986年の作品で、時代も国も違って伝わりにくい部分が多い。そのため、ところどころで現代の人物を出したり、設定を大きく変えたりしている。場所は江東区の大島にある「大島工作所」。工場主は朝鮮人に同情し、多く雇ってきた。それには過去の理由があることが後に判る。一方、息子は朝鮮で軍務について三一独立運動を弾圧した経験があり、朝鮮人嫌いになって帰って来た。今は地元の在郷軍人会の会長をしているが、親子の相違も原作と違うらしい。

 そこで働く金振道(キム・ジンド=趙博)は皆のリーダー格だが、中には博奕好きもいる。彼の娘金順起(キム・スンギ)は、実は工場主の息子、つまり朝鮮人を嫌いなはずの人物と恋仲で、二人は結婚を双方の親に言い出せない。そんな時に関東大震災が起きるのである。趙博はところどころで出て来て、解説も行ったり歌ったりする。「パギヤン」として知られる関西の在日コリアンミュージシャンだけど、大した存在感で舞台を締めている。『福田村事件』にも出ていたし、俳優としても才能を発揮している。
(趙博)
 そして新宿梁山泊主宰の金守珍が震災当時の内務大臣、水野錬太郎を演じて重厚な演技を披露する。この劇では水野内相が震災で大きな犠牲を出した民衆の感情をそらすために、「朝鮮人と社会主義者の陰謀」というデマを流すことを命じている。それが行き過ぎてしまったため、今度は自警団取り締まりを警視総監に指示することになる。だが、戒厳令下で実権を握るのは軍であって、内務大臣が虐殺事件の総責任者という判断はどうなんだろう。水野錬太郎は三・一独立運動当時、朝鮮総督府の政務総監だったのは事実だが、この役職は弾圧の責任者とは言えないのではないか。
(金守珍)
 いい味を出していたのが、刑事役の大久保鷹で、状況劇場以来の伝説的俳優。前日に80歳になったというが、年齢を感じさせない存在感だ。朝鮮人の監視役でありながら震災時には「保護拘束」をして助けようとする。朝鮮人を救った大川署長の実話にインスパイアされて作られた役だという。全体的に見れば、歴史内容的にも、脚色の是非に関しても、初日だから演技面においても、ツッコミどころは多いと思うけど、まだまだ練っていくとアフタートークで語っていた。悲劇を忘れずに直視していく決意を語る劇であり、見るべき価値があった。ウクライナやガザ周辺で起きている事態を思い出して見ざるを得ない。やはりそういう舞台なんだろう。
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トム・ストッパード作『レオポルトシュタット』を見る

2022年10月19日 23時03分07秒 | 演劇
 新国立劇場トム・ストッパード作『レオポルトシュタット』を見た。イギリスの有名劇作家ストッパードの最後かも、という戯曲の日本初演である。2020年1月にロンドンで初演され、コロナ休演をはさみながら大評判となり、ローレンス・オリヴィエ賞最優秀新作戯曲賞を受けた。2022年10月、ちょうどブロードウェイ公演も始まっている。そんな話題作を広田敦郎翻訳、小川絵梨子演出で、早速見られるのはとても嬉しい。今年屈指の注目公演だと思うが、登場人物がとても多く、最初は理解が難しい。しかし、ラストに至って作者の思いが判る時、体が震えるほどの圧倒的な感銘が押し寄せた。まさに今見るべき演劇だ。

 これは作者の自伝的要素もあるという。それがラストに判るんだけど、作者の紹介は後に回したい。しかし、題名は最初に説明しないと判らない。レオポルトシュタット(Leopoldstadt)というのは、ウィーンの第2区の地名である。僕はウィーンのことは全然知らなかったので、調べて初めて判った。17世紀ハプスブルク家の皇帝レオポルト1世にちなむ地名だという。地区の南部にプラーター公園があり、映画『第三の男』に出て来た大観覧車がある。ウィキペディアによると、1923年段階で38.5%がユダヤ系住民だった。この『レオポルトシュタット』という劇も、ウィーンに住むユダヤ人2家族の50年以上に及ぶ物語である。

 ホームページに登場人物が出ているが、とても多い。カーテンコールには子役も含めて25名も出て来た。時間経過が長いので、子どもは大人になり、新たな子どもが登場する。子役が一人で何役もやっている。この作者には『コースト・オブ・ユートピア』という19世紀ロシア人の革命論議を描く9時間の超大作がある。今度の作品も一体何時間掛かるかと、事前にちょっと心配した。結局は休憩なし、2時間20分ほどだったが、どうして50年以上も描くのに一幕で出来るのか。それは円形の回り舞台にある。この前見た首都圏外郭放水路みたいに柱が何本も立っている。冒頭はクリスマスで、大きなテーブルと幾つかの椅子がある。そこに一族が集まっている。次の場では舞台が回って、裏側で新しいドラマが始まる。乗峯雅寛の美術が素晴らしい。
(日本公演)
 最初は1899年のクリスマス。あれ、ユダヤ人なのに、なんで? その時代には裕福なユダヤ人家庭では、ウィーンの上流階級と親しく交わり、中にはカトリックに改宗する人もいたらしい。だからクリスマスも過越の祭も祝う。子どもたちがツリーを飾り付けし、てっぺんにダビデの星を取り付けてしまい、大人たちの笑いを誘う。大人は大人で、何人もが別々に話している。実際に大きな部屋に同席して見ているような感じである。次に1900年になると、不倫関係もある。子どもが生まれると、割礼をすべきかどうか悩む。メルツ家ヤコボヴィッツ家、両家の人々にはユダヤの伝統をどう考えるか、多少の違いもあるようだ。

 この段階では登場人物がよく判らない。そこから1924年になる。つまり第一次大戦で敗れて、ハプスブルク帝国は解体され小さなオーストリア共和国になっている。メルツ家の一人息子ヤーコブは大戦で負傷して片腕を失った。最初に子どもだった世代も大きくなり、中には共産主義を支持する者もいる。一方、小さくなったオーストリアは、言語が同じ大国ドイツと一緒になる方が良いという考えも者もいる。そんな混沌の時代に揺れているユダヤ人世界を描き出す。
(ロンドン公演)
 次が1938年になって、ついにナチス・ドイツがオーストリアを併合する日がやって来る。人々は逃げるべきか、それほど悲観しなくても良いのではないか、年寄りをどうすると議論している。ヤーコブの従妹ネリーは小さな息子レオを抱えて、イギリス人記者パーシーと婚約している。一家でイギリスのヴィザが取れるのか。という議論をしているうちに、ナチスがやってきて一家の家を接収すると告げる。議論しているヒマはなかったのである。それは「クリスタル・ナハト」の日。ウィーンでも反ユダヤの声が響く。今までユダヤ人性をそれほど意識せずに、富裕な階層として生きてきた人々にナチスのむき出しの憎悪が押し寄せたのである。
(家族関係と配役一覧)
 ホームページに配役一覧と系図が出ている。はっきり言って、見ている間は判りにくい。系図を見たって、全部は覚えられない。(配役は省略。)外国人の人名が舞台に飛び交い、時間が経つたび子どもが大人になっていく。だけど、ラストになって、これらの人々のほとんどがナチスの収容所で亡くなるか、または自殺していることが観客に伝えられる。ラストは1955年。連合国の占領が終わり、オーストリアが永世中立国として主権を回復した年である。アウシュヴィッツからただ一人生き残ったのはナータンだけ。ニューヨークに逃れていたローザが、戻ってきて屋敷を買い取った。そこにネリーの息子レオが大きくなって登場する。

 イギリス人記者と結婚したネリーはドイツのロンドン空襲で亡くなっていた。レオはイギリスで教育を受け、すっかり英国風に生きてきて、名前も英国風に変えて生きてきた。ユダヤ人であることは意識してこなかったのである。だが、このとき初めて恐るべき一家の悲劇を認識したのである。この一族の凄絶なまでの犠牲に思いを馳せるとき、歴史を語り継ぐ大切さを目の当たりにする。「まさか」と油断しているときに、すでに悲劇は始まっていた。それこそが2022年にこの劇を見る意味ではないか。
(トム・ストッパード)
 トム・ストッパード(Sir Tom Stoppard、1937~)は、もう85歳。引退を決めたわけではないようだが、年齢からして最後かもと口にしたらしい。『ローゼンクランツとギルデンスターンは死んだ』(1966)で評判となり、自分で映画化もした。『ハムレット』に端役で出て来る人物を取り上げた劇である。映画『恋におちたシェイクスピア』(1998)のシナリオで米アカデミー賞脚本賞を受賞している。しかし、シェイクスピア専門というわけではない。冷戦下の東欧の反体制派を支援し、それをテーマにした作品も多い。後にチェコ大統領となる劇作家ヴァツラフ・ハヴェルとも知り合いだった。プラハでロック音楽を続ける若者を描く『ロックンロール』(2006)などがある。

 僕はストッパードの個人史をよく知らなかったが、彼は今回の作品のレオとよく似た人生を歩んでいた。もとはチェコのユダヤ人家庭にトマーシュ・ストロイスラーとして生まれた。ナチスが来る直前に、父が勤めていた会社の配慮でシンガポールに逃れたのである。そして日本軍がシンガポールを占領する前に、母と子どもたちはインドに逃げ延びたが、父は残って志願兵として戦った。そして父は船が爆撃されて撃沈して亡くなったという。母は子どもをイギリス風に教育し、イギリス軍人と再婚した。1946年、一家はイギリスに帰国し、トマーシュはトムとして生きてきた。自身の出自を知ったのも50代を越えてからだという。このような現代史の悲劇が作者自身に存在し、日本も大きく関わっていたのである。31日まで、まだチケットは残っている。
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劇団印象『カレル・チャペック』を見る

2022年10月07日 22時50分29秒 | 演劇
 劇団印象カレル・チャペック~水の足音~』という劇を東京芸術劇場(シアター・ウエスト)で見た。今日が初演で、10日まで全7公演。戦前のチェコで活躍したカレル・チャペックは僕の大好きな作家で、数年前に何回か記事を書いた。僕はこの劇団を知らなくて、新聞で紹介されていたので是非見たいと思ったわけである。しかし、劇団名も「いんしょう」と常識的に読んでしまった。アナウンスで「いんぞう」と言うから、チラシを見たら英語で「-indian elephant-」と書いてあった。
 
 鈴木アツト作・演出で、この人が劇団の中心。外国人の評伝劇は3回目だと出ている。前はオーウェルケストナーと言うんだから、そっちも僕は是非見たかった。1921年から1938年のカレルの死まで、全7場で構成されている。最後を除き、チャペック兄弟の家が舞台で、そこにカレルと兄のヨゼフ、兄の妻ヤルミラ、後にカレルの妻となるオルガ、そして共和国大統領のトマーシュ・マサリク、その息子のヤン・マサリク、チャペック兄弟の友人ランゲル、そして兄夫婦の娘アレナという実在人物が主要登場人物である。そこにもう一人、ドイツ語教師のギルベアタ・ゼリガーという女性が登場する。
(左=カレル、右=ヨゼフのチャペック兄弟)
 複雑なようで、ある程度人名を知っていれば混乱はしない。ヨゼフは画家として活躍した人物だが、当初は戯曲も共作していた。チェコスロヴァキア共和国の初代大統領トマーシュ・マサリクは哲人大統領と呼ばれ、チャペックの家で開かれた「金曜会」という会合にも出席していた。劇のようにカレルを家に訪ねても全然おかしくない。チェコスロヴァキアは第一次大戦でオーストリア=ハンガリー帝国(ハプスブルク帝国)が敗北して、独立を達成した若い国だった。小さな民主主義国家としていかに独立を維持していくか。マサリクにとってだけでなく、それがカレル・チャペックの生涯のテーマだった。

 ゼリガーというドイツ人は架空の存在だろう。ドイツ人が多いズテーテン地方の教師で、独立後にドイツ人が少数民族になりチェコ語が優先されるようになった。それはおかしいのではないかとカレルに詰め寄るのである。そして次第にナチスに惹かれるようになっていく。この問題を作者が取り上げたのは何故だろうか。当然「ウクライナ戦争」だろう。ソ連解体により、ウクライナやモルドバなどに住むロシア人は少数民族になってしまった。ロシアは自国外のロシア人勢力を支援して「分離国家」を作り上げ「併合」していった。この経過はズテーテン地方の割譲をチェコに迫ったヒトラーのやり口を想起させる。
(カレルと妻のオルガ)
 この劇では家庭内の様々なドラマを軽快に描き出していく。女性の生き方、ユダヤ人ランゲルの人生など、いくつかのサブテーマも描く。またカレルとヤン・マサリクとのオルガをめぐる恋愛の行方も興味深い。(ヤンとオルガの関係が事実かどうか僕は知らない。)また娘のアレナが川で山椒魚を取ってきたり、マサリク大統領が「船長ヴァン・ドフ」に扮して出て来るなど『山椒魚戦争』にまつわるエピソードも印象的。しかし、やはり「危機の時代に民主主義を守っていくこと」に関する勇気と決断のドラマが感動的に描かれたドラマである。
(トマーシュ・マサリク)
 まさに今に向けて書かれた劇だと僕は感じた。ラスト近くでズテーテン地方の割譲を英米が認めた「ミュンヘン協定」(1938年9月29日)が出て来る。ヤン・マサリクはカレルを訪問し、やむを得ざる苦渋の決断として、新聞に支持する文章を書いてくれるように依頼する。ヤン・マサリクは戦後外務大臣になるが、共産党政権樹立直前に謎の死(恐らく殺害)をとげる。その未来を知る者には苦渋の苦さも格別だ。また、ちょっと違う問題だけど、チャペック兄弟と言えば家で犬や猫を何匹も飼っていたことで有名だ。また園芸家としても著名。庭いじりは難しいだろうが、ぬいぐるみでいいから「ダーシェンカ」が欲しかった。

 まあ、とにかく全体としては非常に満足したお芝居。役者はカレルを二條正士以下、皆頑張っていたが名前は省略。ヤルミラ役の岡崎さつきが良かったと思う。チャペックに関しては、2017年末から18年にかけて「チャペック兄弟、犬と猫の本」、「チャペックの旅行記」、「新聞・映画・芝居をつくる」、「政治とコラム」、「「山椒魚戦争」と「ロボット」」と5回書いた。最高傑作は間違いなく『山椒魚戦争』だが、『園芸家12ヶ月』『ダーシェンカ』も忘れられない。
*コメントにより、記事に間違いがあったことが判り一部書き直しました。(2022.10.18)
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新劇交流プロジェクト『美しきものの伝説』(宮本研)を見る

2022年06月22日 22時44分50秒 | 演劇
 新劇7劇団が共同で制作した新劇交流プロジェクトで、宮本研作『美しきものの伝説』を見た。本来は2020年に予定されていたが、コロナ禍で2年延期され、僕も2年待ってようやく見られた。場所は六本木の俳優座劇場だが、六本木も久しぶり、俳優座劇場もこんなに小さかったかという感じ。新劇交流プロジェクトは2017年の三好十郎『その人を知らず』に続くものだというが、それは見ていない。今回は文学座、民藝、俳優座、文化座、東演、青年座、青年劇場の7劇団が参加している。

 劇作家の宮本研(1926~1988)は近代日本の人々を描く作品をたくさん書いた。『美しきものの伝説』は1968年に文学座で初演されたもので、革命4部作といわれる。大正時代の社会主義運動家、女性運動家群像を題材にしながら、昭和の「暗い時代」の前にあった「ベル・エポック」(美しい時代)を描き出している。ついこの前、文学座『田園1968』を見たけれど、1968年は2022年から見ると54年前になる。一方、この劇が初演された1968年から劇が始まる1912年は、56年前でほぼ同じ時代間隔になる。60年代にとって大正時代を考えるのは、今から60年代を振り返るようなものなのか。

 宮本研の作品は同時代に何作か見ているが、この作品は実は初めて。よく上演されているが、内容的に知ってる世界なので、どうなんだろうと思っていた。劇中の人物はすべてモデルがあって、名前が変えられている(あるいはニックネームで呼ばれる)が、知ってる人なら誰だか判るだろう。(事前配布のチラシで解説されている。)初演当時には、平塚雷鳥、神近市子、荒畑寒村はまだ存命だった。(舞台には出て来ないが、名前が呼ばれる辻まこと=伊藤野枝、辻潤の長男も存命だった。)そういうことも仮名にした理由かもしれないが、見ているものにはすぐ判るんだから、ある種「伝説」を物語るという目的なんだろう。

 鵜山仁演出はいつもながら、僕には納得出来るものだった。当時の芸術座の芝居が劇中劇として出て来る。一つはトルストイ原作の『復活』で、有名なカチューシャの唄が大流行した。劇中のカチューシャ=松井須磨子渡辺美佐子が演じていて大熱演。これをラストの舞台にするということだが、熱烈な口づけを披露している。最初はどう見ても年齢が違う感じなのだが、やがて納得してしまうから、不思議である。師である島村抱月を従えている感じである。抱月は1918年11月にスペイン風邪で急死する。そして須磨子も後追い自殺するわけだが、知ってる展開だから衝撃はない。100年前のパンデミックが描かれているのは興味深い。
(渡辺美佐子)
 しかし、何と言っても大杉栄伊藤野枝がいろいろあっても生き生きしている。大杉は南保大樹(東演)、野枝は荒木真有美(俳優座)が演じている。しかし、大杉の女性関係は今見ると、「伝説」で済ませてよいのだろうか。それでも堺利彦との間に交わされる革命論争は今も重要だ。ロシア革命で誕生したソヴィエト政権をどう捉えるか。ソ連が崩壊してしまった現時点では測れないほど重大問題だった。アナーキズムに立つ大杉とボリシェヴィキ革命を支持する堺との間には、当面の連帯は成り立っているが究極的には対立点がある。ただ60年代には身を切るような議論だったろうが、今では時代が変わった感は強い。
(稽古風景)
 もう一つ抱月を中心に、小山内薫、沢田正二郎、久保栄などと交わされる芸術論議も見落とせない。そもそも「新劇」と呼ばれる劇が成立したのがこの時代である。新劇があれば「旧劇」もあるわけで、それが歌舞伎などである。今でも女優のいない旧劇に対して、新劇で初めて女優が生まれた。その最初の大スターが松井須磨子である。「新劇」は日本社会にとって、どのような意味を持ったのか。今では新劇風リアリズムが当たり前になってしまって、歌舞伎の「見得」などの方が不思議に見える。今も「商業演劇」とは違うものとして「新劇」があるが、その背後にあった社会運動的意義をどう評価すべきか。

 ただ僕にとって、登場人物の行く末をほぼ知っているわけで、その意味では劇として面白みが少ない。事実と違う部分もあって、それはそれでいいんだけど、自分なりにイメージと違う部分もある。出て来る人物が多いから、テーマが深まらない面もある。「ベル・エポック」探訪という感じが強い劇だなあと思う。でも大正時代をこのように描き出すこと自体が、ちょっと今ではロマンティックな幻想だったかもしれないとも思う。それは60年代に関しても言えることだろう。
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文学座公演『田園1968』(作・東憲司)を見る

2022年06月19日 22時20分54秒 | 演劇
 町田市から戻って、新宿の紀伊國屋サザンシアターで文学座公演『田園1968』(作・東憲司、演出・西川信廣)を見た。25日まで。時々お芝居を無性に見たくなるけれど、あまり遠くまで行きたくない。今回は1968年という時代設定に魅力を感じて、見ようかと思った。ただし、チラシにある「時は1968年(昭和43年)。ベトナム戦争の激化、キング牧師、ロバート・ケネディーの暗殺、フランス五月革命。日本でも学生運動が激しさを増し、世界全体が大きく揺れていた」というほど、時代性を強く描くわけではない。高度成長下の農村で生きるある家族の「ひと夏」をコミカルに描き出す佳作という感じである。

 内容に触れる前に、何と言っても祖母・梁瀬サワ役の新橋耐子(しんばし・たいこ、1944~)の元気さが素晴らしい。長男が農地を売ろうとしているのに対し、絶対に売らせないと頑張って農業を続ける。まあ、劇中では夏の終わりに亡くなってしまうが、ご本人はまだまだ元気なようだ。今まで文学座の芝居で、あるいは一番思い出にある『頭痛肩こり樋口一葉』などで、ずいぶん楽しませてもらったけれど、まだまだ活躍して欲しいなと思う。今度舞台女優を引退するという渡辺美佐子とは12歳の差があるんだから。
(祖母役の新橋耐子を中心に)
 冒頭は浪人生の梁瀬文徳(やなせ・ふみのり=武田知久)の語りである。1968年、世界も日本の激動の中、浪人だから勉強しなくちゃいけないのに、町の映画館に入りびたっている。アメリカやフランスの映画を見まくって、自分でシナリオを書いたりしている。「浪人なのに映画ばかり見ていた」のは、この数年後の自分とそっくり。しかし、この時代の「数年」の違いは大きい。1968年の僕は中学1年生で、8月下旬に起きたソ連によるチェコスロヴァキア侵攻に大きな衝撃を受けていた。
出演者一同)
 ある地方の農家梁瀬家も、今は父親の孝雄(加納朋之)は土建会社をやっている。会社が不調で農地を売って事業資金に回したいが、農地は売らせないと祖母のサワが頑張っている。長男の博徳(ひろのり=越塚学)は皆がうらやむ優等生だったが、小学6年生の時、台風の日に大けがをして片足が不自由になった。引け目を感じてしまって高校へも行かず、中卒で印刷会社に勤めたが、今辞めてしまったところ。祖母を助けて農業をやろうというのである。長女の睦美(磯田美絵)は東京の大学に行かせてもらったが、学生運動に夢中になって、今はワケありで故郷に戻っている。母はすでに亡くなり、梁瀬家5人のひと夏が始まる。
(祖母と孫睦美)
 そこに様々な闖入者が現れる。祖父がかつてやっていた農民学校を再建したい長男博徳。そこに近所の団地に住む女性が協力者として現れる。突然大学から消えた睦美には、片思いの男が突然押しかけてくる。映画館の娘はかつて長男に憧れていたらしい。次男の文徳とは映画館で親しくなって、シナリオを読んであげる。そんな中で一家にカタストロフィが起きるのは、再び台風が農園を襲った後だった。祖母+長男の「農業やりたい連合」対父親の「早く農地を売りたい」対立がドラマの争点だった。それが農地が大きな被害を受けてしまうことによって、家庭内の関係が一挙に変転する。そこに長男と近所の女性との関係。そして女性の夫(高橋克明)が乱暴者として登場して、場をさらってしまう。
(東憲司)
 西川信廣の演出は、登場人物をコミカルに描きわけていく。しかし、東憲司の台本は、いくつかの要素が詰め込まれて整理されていない感じもした。映画好きの次男の目から見た「1968年の夏」。田園が無くなっていく高度成長下という時代背景。幾つものすれ違いの恋愛関係。それらは見慣れた光景だが、切実に思い出すものがある。一応満足感があったけれど、もう一つ深い感動が欲しかった気もする。各人物はよく描きわけられていて、僕は皆がどこかで会った気がしてならなかった。演劇や映画で俳優を見たのではなく、自分の実人生のどこかで出会ったような気がする人が多かった。

 自分は東京生まれ、東京育ちだが、それは地名が東京都に入っているだけのことである。東京と言っても周辺部の農村地帯だったから、小学生時代は田んぼのあぜ道を通って登校したのである。だから、あちこちに空き地や雑木林があって、秘密基地というか、どこにカブトムシがいるとかを知っていたものだ。それが東京五輪からの数年間で、ほぼ消えてしまった。前にあったはずの林がいつの間にか無くなっていた。それが僕にとっての「高度成長」という時代だった。この劇は「田園1968」と題されているが、ラストで農地は売られる。あっという間に「都市近郊」の日本中同じような風景が広がる分岐点だった。
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無名塾「左の腕」を見る、仲代達矢役者七十周年記念作品

2022年03月11日 21時04分44秒 | 演劇
 ウクライナ戦争下の11年目の「3・11」。今年は無名塾の公演「左の腕」を見に行った。「ピアフ」を見たばかりだけど、あれは去年秋に申し込んでいた。その後に「左の腕」を知ったが、5日から13日である、チケットぴあや劇場で満員で、劇団に電話してようやく取れたのだった。体調を崩したら高いチケットを両方ムダにするから、本当はもっと間を空けたかった。それでも北千住のシアター1010だから行こうと思った。駅前の丸井11階にある劇場で、「1010」は「せんじゅ」だが、「○1○1」(まるいまるい)の逆でもある。いつも遠くまで出掛けるのが大変なのに、今日は30分で着くからこんなに楽なのか。

 「左の腕」は松本清張佐渡流人行」の一編で、1時間半ほどの短い劇である。舞台は江戸・深川の料理屋の一角、飴売りの老人はいつもその店の土間でお昼を食べている。娘を抱えて大変な暮らしなのを知って、料理屋ではこの父娘に仕事を世話する。働き者の父と娘に親切な人たちが現れたのである。しかし、そこに料理屋を食い物にしている悪い目明かしが現れて…。娘を妾にしようと思って、老父の秘密を探り始める。父はいつも左腕に包帯をしていて、それは昔火事にあって大やけどをしたからだというが、それを疑ったのである。ある夜、その料理屋で賭場が開かれると知って盗賊が襲ってくる…。

 原作は昔読んでると思うが、清張はいっぱい読んでいっぱい売ってしまったので、もう持ってないと思う。基本は人情時代劇で、ストーリー、あるいは「父の左腕の秘密」は誰にでも想像できる通りのものである。そのことが盗賊が襲った夜に、まざまざと明るみに出る。しかしドラマチックと言うより、設定は定番通りだろう。この父親が仲代達矢で、1932年生まれだから89歳である。もうこの年齢だから「受けの演技」だと自ら述べていた通り、悠々自適、飄飄とした、演技を越えた一本筋が通った人間の芯を見せる。

 松本白鸚大竹しのぶと恐るべき大熱演を見たあとに、今回の仲代達矢。ステーキの後に、お茶漬けをサラサラッと飲みこんだかの感じだが、その滋味が懐かしい。1時間半だから、大ドラマと言うより、掌編のエチュードという感じ。「仲代達矢役者七十数年記念」と銘打っている。しかし、舞台も映画も端役として出始めたのは1954年からで、1952年は俳優座養成所第4期生として入所した年になる。この偉大な役者を今も見られることは素晴らしい贈り物だ。仲代達矢はいろいろと凄いわけだが、何より凄いのは妻の宮崎恭子が1996年に亡くなった後も妻と共に創立した無名塾を元気に守り続けていることだ。大部分の男には出来ない。
 
 無名塾出身俳優として一番有名なのは役所広司だろう。2021年にその役所広司主演の西川美和監督「すばらしき世界」という映画があった。「左の腕」は時代劇だが、テーマは共通性がある。「刑余者」の問題である。かつて罪を犯した人間は立ち直ることが出来るのか。人はもっと寛容になるべきではないかというテーマは、争いが絶えない21世紀の世界に訴えるものだ。「赦す人」あれば、「人の弱みにつけ込む人」もある。善意がつながっていく道はあるのだろうか。静かにそう問いかけているように思った。
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大竹しのぶ主演「ピアフ」を見る

2022年03月08日 22時29分58秒 | 演劇
 日比谷のシアター・クリエで大竹しのぶ主演の「ピアフ」を見た。2011年に初演されて大評判になって以来、13、16、18年に続く4度目の再演になる。見たいなあ、見なければと思いつつ、チケットが高いから今まで行かなかった。今回も高いわけだが、お金がないわけじゃない。旅行に行きたいと思って取ってあった一昨年の10万円(給付金)を、しばらく行けそうもないから使ったのである。シアタークリエも初めて。もともとは芸術座があった建物で、そこも森光子主演「放浪記」で一回行っただけ。地下には映画館のみゆき座があって、僕が初めて一人で行った映画館だった。再開発されて、シアタークリエは地下になった。

 パム・ジェムス作、栗山民也演出の歌入りのお芝居で、歌が多いという意味ではミュージカル的だが、セリフが全部歌だったりダンスがあるわけではない。どっちかというと、歌手を主人公にした普通のドラマで、その歌手の人生がハンパないのである。エディット・ピアフ(1915~1963)という歌手のことは大昔から知っていた。昔はラジオが主な情報源で、Jポップなんてものはまだなくて洋楽中心に流れていた。70年前後はロック系が多かったが、それ以外にも時々はビリー・ホリデイとかエディット・ピアフなんていう大歌手がいたんだと曲を掛けることがあったのである。僕はすごいなと思って、この二人のLPレコードを買ってしまった。
(エディット・ピアフ)
 ビリー・ホリデイ(1915~1959)は昨年「ビリー」という記録映画が公開され、最近も「ザ・ユナイテッド・ステイツvs.ビリー・ホリデイ」という劇映画が上映されている。二人は生年が同じで、40代で亡くなったことも同じ。どちらも恵まれない環境に生まれ、アルコールや薬物の中毒に悩まされる人生を送った。しかし、今も語り継がれる伝説的なシンガーで、持ち歌は現在も歌われる。もう一つ共通なのは独特な声質で、映画でビリー・ホリデイを演じたアンドラ・デイがゴールデングローブ賞の主演女優賞を受けるほど似せていた。大竹しのぶは日本語歌詞で歌っているわけだが、それでも若い頃、戦時下、薬物中毒など人生の諸時期を見事に歌い分けて、何だかラスト近くでは本人かと思うぐらいだった。

 「ピアフが、大竹しのぶに舞い降りた!」とチラシにあるけれど、まさにピアフが憑依したかという感じ。大竹しのぶが朝日新聞に連載しているコラムの中で、「ある日の公演で何だか肩が重いなと思ったら、その日は美輪明宏さんが見に来ていて『ピアフが来てたでしょ』と言われた」とか書いていた。まさか!と思うけど、そう言われても納得してしまいそうな名演である。歌も「愛の讃歌」「ばら色の人生」「水に流して」など見事に聞かせる。ただ、ピアフの生涯には悲惨な出来事が多すぎて、見てるうちに何だか辛くなってくる。決してただ楽しく見られるお芝居ではない。
(公演前の記者会見)
 ピアフの人生はおおよそフランス映画「エディット・ピアフ 愛の讃歌」(2007)で知っている。主演のマリオン・コティヤールも見事な成り切り演技で、何とフランス映画なのにアカデミー賞主演女優賞を取ってしまった。悲惨な生い立ち、街で歌っていて見いだされたが恩人が殺され、ピアフも共犯を疑われる。戦時下はドイツ兵の前で歌いながら、レジスタンスに協力。戦後になってアメリカで人気が出て、米国公演中にミドル級チャンピオンのボクサー、マルセル・セルダンと知り合って大恋愛になる。しかし、セルダンは1949年に飛行機事故で亡くなった。「愛の讃歌」は彼のために(彼の生前に)作られた曲である。激しいショックを受けたピアフをマレーネ・ディートリッヒが支えた。
(映画「エディット・ピアフ」のマリオン・コティヤール)
 そこまでが第一部で、第二部はイブ・モンタンシャルル・アズナヴールなど若い歌手を見い出しては、薬物中毒になっていく。薬物だけでなく、「恋愛中毒」でもある。あれだけ素晴らしい歌を作ったのに(作れる能力を持っていたから?)、依存症から逃れられない。大竹しのぶの「憑依」は素晴らしいわけだが、人生ドラマとしては今ひとつ紋切型という感じもする。ビリー・ホリデイと違って、国家から迫害されたわけでもないし。だけど、それだからこそ「人間の孤独」が心に迫る。

 大竹しのぶは僕より2歳下だけど、ほぼ同じ頃に都立高校に通っていたから親近感を持ってきた。若い頃から映画や舞台で何度も見てるけど、浦山桐郎監督の「青春の門」(1975)の織江役から忘れがたい役柄がいっぱいある。年に一度は大竹しのぶをナマで見たいと思いつつ、しばらく見てなかった。まだまだ元気そうだから、何度も見に行けたらいいな。コロナ禍で舞台やコンサートが随分中止になってる中、今度もちゃんと見ることが出来た。関係者の苦労に感謝したい。
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ミュージカル「ラ・マンチャの男」に感動

2022年02月08日 23時04分23秒 | 演劇
 2月7日にミュージカル「ラ・マンチャの男」を見た。「松本白鸚、魂を揺さぶる渾身のファイナル公演!」である。まさに奇跡的な舞台を目の当たりにした。僕はずっと心配だった。コロナ禍で緊急事態宣言が発出され、すべての公演が中止にならないか。出演者の誰かが感染して公演が出来なくならないか。実際、僕が見た翌日には「公演関係者の新型コロナウイルス感染症の陽性反応が確認されたことから、本日 2 月 8 日(火)18:00 公演を、やむを得ず中止とさせていただきます」とのお知らせがホームページに掲載されているではないか。僕が無事に見られたのは、まさに奇跡だったのである。

 もちろん、それだけではない。1969年に日本で初めて公演されたとき、当時の市川染五郎はまだ27歳だった。松本幸四郎を経て、今は2代目白鸚を名乗って今年の夏には齡80歳となる。実弟中村吉右衛門は先に逝ってしまった。記者会見では、年齢を重ねてからは菊田一夫と父初代白鸚へのレクイエムとして演じてきたが、今回は対象がもう一人増えてしまったと痛切に語っている。だからこそラスト「見果てぬ夢」の大合唱で「胸に悲しみを秘めて 我は勇みて行かん」と歌い上げる時、涙なしに聴くことは出来なかった。わが人生で何回目かのスタンディング・オベーションのカーテンコールとなった。
(ファイナル公演に向けた記者会見) 
 「ラ・マンチャの男」を見るのは実は初めてである。僕はほとんどミュージカルを見てないけれど、別に嫌いというわけではなくチケットが高いのである。今まで夫婦の温泉旅行の方が断然優先度が高く、1万5千円の宿なら安いと思うのに同額のチケットだと高いと思う。とはいっても、これほど評判高いミュージカルは是非見ておきたいと思って、大分前だけどチケットを取ったことがある。確か土曜の午後だった。勤務時間外である。しかし、行けなくなってしまった。よく教員の労働問題で部活動や授業準備などが大変と言われる。しかし、僕に言わせればそれは何とかなるが、どうにもならないのが保護者会などだ。担任してると抜けられない。多分そういうものが臨時に入ったんだと思う。そういう事が時々あるので高いチケットは買えなくなった。

 それはともかく、かくして満を持してようやく見られた「ラ・マンチャの男」である。物語がよく出来ている。歌が素晴らしい。そして主演の松本白鸚が圧倒的な存在感である。そりゃまあ、恐らく歌も演技も全盛期ではないんだと思う。だけど声量は豊かだし、存在感が半端ない。思い姫ドルシネーア、実は娼婦のアルドンザは2002年から12年の公演以来10年ぶりで松たか子が演じる。年齢を重ねて円熟味が増したと思う熱演で、高齢の父を娘が支える共演である。サンチョは駒田一、牢名主が上条恒彦というキャストはここしばらくと同じ。6時に始まって8時15分には終わるという休憩なしの一気見で、それも興趣を盛り上げる。
(松本白鸚)
 「ラ・マンチャの男」は言うまでもなくセルバンテスの「ドン・キホーテ」を基にした作品だ。デイル・ワッサーマン脚本、ミッチ・リー作曲で1965年にブロードウェイで初演された。こういう機会じゃないと読まないと思って、昔買ってあった「ドン・キホーテ」を今読んでいる。(その感想はまた別に書きたい。)前編を読んだ限りでは「ドン・キホーテ」と「ラ・マンチャの男」の関係は、まあ濱口竜介監督「ドライブ・マイ・カー」と村上春樹みたいなもんだと思った。つまり確かに作品世界の大枠を借りているけれど、両者違う物という感じである。

 僕は事前に調べて行ったから驚かなかったが、「ラ・マンチャの男」では作者セルバンテス本人が出て来る。彼が教会を冒涜したとして逮捕され牢獄に放り込まれる。そして牢名主や囚人たちに身ぐるみ剥がれて、「ドン・キホーテ」の原稿も焼かれかかる。何とか作品を守りたいと、獄中で「ドン・キホーテ」の物語を劇中劇として演じることになる。セルバンテスが創作した郷士アロンソ・キハーナ、キハーナが妄想した騎士ドン・キホーテという三重構成を、牢獄内の囚人が演じる。そしてそれらを現実の役者が演じて、周りの観客が見ている。幾重にも絡み合った構成の中に、世界の重層性が現れるという卓抜な着想である。この構成にすることで、ドン・キホーテが突進する風車などの大道具も不要になる。すべてが地下の牢獄で行われる劇中劇だから。

 その結果、元の「ドン・キホーテ」とはかなりニュアンスが変わった。ドン・キホーテはあくまでも理想に向かって戦い続ける「永遠に夢見る人」。サンチョはそんな主人が好きで付いていくと歌い上げる。まさに「同志」である。意外なことに原作では全く違っていて、損得高い計算で付いていく愚者として描かれている。ドルシネア姫は原作では妄想の産物だが、「ラ・マンチャの男」ではアルドンザという形で具現化される。獄中にいる最下層の人々に「ドン・キホーテ」の思いは届くのか。ドン・キホーテにとっては、届くか届かないかではなく、人は理想に向かって歩み続けなければならないというのである。人生は勝ち負けではない。最後の最後にアルドンザがキハーナに夢を思い出させるとき、この劇に込められた深い思いに心揺さぶられた。
(松たか子のアルドンザ)
 1965年にニューヨークで「dream」という言葉を使うとき、ほとんどの人は1963年のワシントン大行進におけるキング牧師の「I Have a Dream」演説を思い出したのではないだろうか。半世紀経って、今もなお「ブラック・ライブズ・マター」が起こる重い現実がある。それを判った上で、やはり60年代の公民権運動はとても重要だった。ドン・キホーテが歌う「見果てぬ夢」とはキング牧師の夢でもあっただろう。どうしたってそう思ってしまう。まさに60年代理想主義の香り高いミュージカルではないか。60年代アメリカで、「ドン・キホーテ」を自らの物語として読み直したのである。

 「汚れ果てし この世から 正しきを救うために いかに望み薄く 遙かなりとも やがて いつの日にか 光満ちて 永遠の眠りに就くその日まで たとえ傷つくとも 力ふり絞りて 我は歩み続けん あの星の許へ

 フェイクニュースにあふれ、正義のために闘う人には足を引っ張るような声が殺到する。そんな「汚れ果てし」世になってしまったが、それでもたとえ傷つくとも、胸に悲しみを秘めながら、我らは歩みを続けて行こうではないか。そう受け取ったのだが、間違いだろうか。多くの人の心に今も力を与えてくれる、素晴らしいミュージカルだった。最後の最後に見られて本当に良かった。
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扉座公演「ホテル・カリフォルニアー私戯曲 県立厚木高校物語ー」を見る

2021年12月08日 00時14分29秒 | 演劇
 紀伊國屋ホール扉座公演「ホテル・カリフォルニアー私戯曲 県立厚木高校物語ー」を見た。1997年に同じ紀伊國屋ホールで初演された有名な作品で、劇作家横内謙介の高校生活を描いている。ものすごく面白いという評判通りの作品。扉座(1982年に劇団善人会議として結成)の40周年公演である。初演当時のメンバーができる限り、同じ役で出ているという。六角精児などが詰襟学生服で出演しているが、そういう設定なんだと判っているから違和感はない。とにかく面白くてよく出来ているが、客席には空席もある。19日までやってるから、是非多くの人に見て欲しいなと思った。ぴあやカンフェティなどのチケットサイトでは売ってなくて、扉座オンラインチケットか紀伊國屋ホール5階のチケットセンターでしか買えないので注意。

 進学校の神奈川県立厚木高校に入学した横山は特にやりたいこともない。潰れると困るので人数確保のため、頼まれて幽霊部員でいいからと演劇部に入る。でも演劇など全く関心がない。ところが「父兄面談」(「父兄」なんて言ってた時代なのである)に来た母親に東大目指せとか言われて、グレてやるなんて口ずさむ。それが新宿に行ってやるというセリフになるのがおかしい。舞台となる厚木というのは、神奈川県中央部にあって、小田急線で新宿に一本である。その日演劇部の先輩に会って、新宿に連れて行ってやると言われる。紀伊國屋ホールでつかこうへいの「熱海殺人事件」をおごるというのだ。そこで彼は演劇に目覚めてしまった。

 そして演劇に入れ込んで、初めて書いた作品「山椒魚だぞ!」で、全国大会まで進出する。これがいかに凄いことか、高校野球で甲子園に出る以上の凄さだと思うよ。なぜって作品を自作したわけだから。演劇にドラフト会議があれば、これで文学座から1位指名、劇団四季と1億円で契約とか言ってるのがおかしい。でも、そんなものはないから、受験勉強に励んで大学を目指さなければいけない。しかし、高校最後なんだから、文化祭の後夜祭を盛り上げたい。という生徒が出て来るが、受験を控えてクラスの皆は協力できるか。生徒会の話、革命とか受験勉強に意味はあるかなど、70年代の青春らしきセリフが散りばめられていて共感する。

 70年代の曲(「ホテル・カリフォルニア」だけでなく、「心の旅」「いとしのエリー」など多数)がいっぱい流れるので、同時代で知ってるものには懐かしくてたまらない。つかこうへいに熱中するのも懐かしい。全体的に懐かしいムードが覆っているが、それだけでなく「青春」というものの普遍的な匂いを放っている。置かれた時代、地域は違っても、多くの人にこの戯曲が好評をもって迎えられたのも、つまりは「同じようなこと」を人は抱えていたのだ。受験や恋愛、人生行路、人間関係のつまずきなどが誰しも何かしら思い当たるのではないか。ラストでは(時代がちょっと違うが)ロッド・スチュワートの「セイリング」が流れる。高校を出て荒海に乗り出すのである。

 僕も最初の方で「フォークソング」の「マイムマイム」や「オクラホマミクサー」が流れると、懐かしさに心が満たされた。僕は高校時代に生徒会役員をしていて、文化祭前日に先生には相談せずに、突然「前夜祭をやりましょう」と放送して「オクラホマミクサー」を流した思い出がある。(それは「定時制の成績会議中だ」とすぐに先生たちに中止させられてしまったが。)そんなこんなで、自分の高校時代をいろいろと思い出したのだが、同時に今となっては教員時代の文化祭や演劇部のことの方をもっと思い出してしまう。クラスの出し物も大変だったが、文化祭全体の担当をして盛り上がった時は本当に嬉しい。それにしても、初めて書いて、全国まで行った横内謙介は本当に凄いなあ。

 横内謙介(1961~)は僕より6歳若い。70年代の6歳はひと世代違うほどの意味があるだろう。年齢からして、三島事件連合赤軍事件に同時代人として大きな衝撃を受けた世代じゃないだろう。演劇部や文化祭に打ち込んだからか、現役では受からず、一浪して早稲田大学第一文学部に入学、学生時代から演劇活動を続けている。僕もあまり意識していなかったが、スーパー歌舞伎を多く手掛けている。「八犬伝」「新・三国志」「ワンピース」「新版オグリ」など皆この人。それとウィキペディアを見たら、テレビドラマ「ダンドリ」(2006)をこの人が書いていた。いや、担任していた生徒が出てたのです。

 この日は新宿武蔵野館で「悪なき殺人」という映画を見て、紀伊國屋書店で文春や河出の文庫新刊を確認、続いて新宿中村屋でシーフードカリーを食し、紀伊國屋ホールへ向かうという「オール新宿デイ」。それぞれ何度も行ってるけど、同じ日に全部行ったのは初めてかもしれない。紀伊國屋ホールは久しぶりで、それというのも耐震性に問題ありとされたから敬遠していた。都内では他に日大板橋病院(大江光が産まれたところ)も引っ掛かっていて、だから建て替えで裏金問題に通じる。紀伊國屋ホールは数ヶ月耐震化工事をしていたから、もう大丈夫かと思う。椅子が良くなっていたのが嬉しい。演劇チラシが山のように置いてあった机は少し小さくなったように思う。
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文学座公演「ジャンガリアン」(横山拓也作)を見る

2021年11月13日 21時12分06秒 | 演劇
 紀伊國屋サザンシアターで始まった文学座の公演「ジャンガリアン」を見た。横山拓也作、松本祐子演出で、20日まで。ナイトチケットの方がずいぶん安いから12日夜の初演を見たが、とても面白かった。作者の横山拓也は大阪出身で、iakuという劇団の代表。僕は知らなかったが、2918年「逢いにいくの、雨だけど」、2019年「ヒトハミナ、ヒトナミノ」、「あつい胸さわぎ」など、最近コンスタントに注目作を連発しているらしい。今回の「ジャンガリアン」もトンカツ屋の内部だけを舞台にしながら、世界につながる現代を描き出して秀逸。客席には笑いも絶えず、演劇を見る楽しみを味わえる。

 舞台は大阪のどこかの商店街の一角にあるトンカツ屋「たきかつ」。今日はリニューアル休店前の最後の日である。創業60年という老舗として常連も付いているが、何しろもう古い。店を開いた祖父が亡くなったのを機に、家業に目もくれなかった長男、琢己が継ぐことになった。店で長いこと勤めてきたアキラさんは、新しくなる店に不安も覚えながら「若旦那」を立てている。そこに様々な人がやって来る。琢己の両親は離婚していて、父親高安は今は近くに別の店を出して商店会の会長をしている。両親は犬猿の仲で、「たきかつ」は商店会にも入ってないぐらい。琢己の妻、アイは保育士をしていてバツイチらしい。

 そんなところに、外国人の支援をしている女性がモンゴル人留学生を連れてくる。「フンビシ」という名のモンゴル人は、最初はジャンガリアンを持ってくるために店に来たのだった。題名にもなっているジャンガリアンとは何か。演出の松本祐子も最初は知らなかったというが、何とハムスターの一種だった。「たきかつ」は古くなりすぎてネズミが出るという。いくら何でも食べ物屋でまずいだろうと思った琢己に、ジャンガリアンを飼えばと勧める人がいた。同じネズミの一種で、なわばり意識があってジャンガリアンを飼ってるとネズミが出ないというのだが…。
(ジャンガリアン)
 そんなこんなでゴタゴタしている時に、琢己が倒れてしまう。救急車を呼ぶ事態になってしまい、すべてリニューアルの工程表を作ってある工務店の担当は困惑する。そこからこの小さな店をめぐる人間関係が細かな会話を通して見えてくる。それは思わず「日本人とは何か」を考えさせるものになっていく。商店会の会長(つまり「たきかつ」の琢己の父)は外国人との交流も大切と考えていて、祭にベトナム人やモンゴル人が豚の丸焼きをするコーナーを認める。それが子どもたちから「残酷」だと非難されたらしい。日本人はトンカツを平気で食べているのに、丸焼きにすると残酷だと言い出す。
(舞台風景)
 琢己が入院中でリニューアル工事も頓挫している間に、フンビシを二階に住まわせて店を手伝って貰えばという話になる。しかし、外国人を雇うことに反対もあるし、リハビリが必要になってしまった琢己には鬱屈が絶えない。そこにアキラの人生、先代の教えが語られるときに、許すこと信じることの大切さというテーマが見えてくるのである。小さな店の小さな人間模様をユーモアたっぷりに語りながら、案外大きなテーマがあぶり出されてきた。もっとも最後は出来すぎ的なウェルメイドプレイになってしまったかも。しっかりした演技に支えられた社会性とユーモアは、「新劇」の意味を再確認させてくれるような感じがした。

 出演は父がたかお鷹、琢己が林田一高、アキラが高橋克明、フンビシが奥田一平、工務店の担当が川合耀祐、母親に吉野由志子、フンビシを連れてくる団体の女性が金沢映美、妻アイが吉野実紗。僕もほとんど知らないけれど、みな達者な演技。サザンシアターはまあ椅子がいい方だから、時々行きたいなあと思う。舞台でも新作ではなく、最近は再演が多い。若い作家の新作を追いかけて見るのは大変だが、なかなか注目の才能だなと感じた。
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シス・カンパニー公演、安部公房「友達」を見る

2021年09月22日 23時07分06秒 | 演劇
 ずっと演劇を見てなかった。値段の問題もあるのだが、コロナ禍で公演中止が多い。人気公演は事前にチケットを買っておく必要があるが、チケット代は戻ってくるけど「チケットぴあ」のシステム利用料が戻ってこない。ケチなことを言ってるけど、俳優の誰かが感染するリスクを考えてしまう。でも、まあそろそろ見たいから、シス・カンパニー公演の「友達」に行った(新国立劇場)。ちょうど勅使河原宏監督の映画で安部公房原作映画をいっぱい見た頃に「友達」の予約があったから見てみたいなと思ったのである。有村架純も出てることだし。

 久しぶりに演劇を見て、そうだったと思いだしたことがある。舞台から遠い席だったので、小声のセリフだと半分ぐらいしか聞こえないのである。右耳の聴力が相当に落ちていて、だから字幕付きの外国映画を見るのが一番好きなのだ。お芝居を観るたびにそう実感するのだが、しばらくすると忘れてしまう。それはライブの魅力に触れたくなるからだ。その意味では満足だったけれど、セリフの聞こえに問題があると辛いのも事実だ。

 安部公房の戯曲「友達」は「砂の女」「他人の顔」「燃えつきた地図」と一緒に「新潮日本文学」に入っていたので、もうずいぶん前、多分高校時代に読んだ。1967年に発表され、青年座で初演された。1967年の第3回谷崎潤一郎賞を受賞した。この年は大江健三郎万延元年のフットボール」と共同受賞だった。ノーベル賞受賞小説と同じ年なのだから、この戯曲への評価が非常に高かったことが判る。安部公房はその時初めて読んだと思うが、とても面白かった。たくさん出ていた文庫本はほぼ読んだはずだし、「箱男」「方舟さくら丸」などその後に出た長編小説も読んだ。でも70年代に活動していた「安部公房スタジオ」の演劇公演は一度も見ていない。
(舞台稽古のようす)
 ということで生前にほぼ読んじゃったので、1993年の没後以来一つも読んでない。「友達」も詳しくは覚えていなかった。果たして今の時代に生きているテキストなのだろうか。さすがに今演じるとなるとスマホもないのはおかしいので、そういう変更はされている。加藤拓也演出・上演台本で、ウィキペディアで見ると所々で変更箇所があるようだ。でももちろん基本的設定は同じである。ある日、一人暮らしの男の部屋に9人もの大家族が闖入してくる。不法侵入だと警察を呼ぶが、暴力などがあるわけではなく知り合いではないかと思われ相手にされない。そのうち居着いてしまって、男が家事仕事を担当するようになる。

 ありえない設定で進む「不条理演劇」だが、別役実ともベケットイヨネスコなどとも違う独特のタッチがある。「ブラックユーモア」というべきかもしれないが、笑えないのである。それはこの戯曲の持つ多義的な読解の幅が非常に深いということでもある。冒頭で多人数が訪れて主人公があたふたするシーンでは、これは「難民問題」の暗喩だと思った。男は何で関係ない部屋に入り込んで来るんだというが、侵入者たちは多数決を取って「賛成多数」で決定と押しつける。こうなると形式的民主主義への批判である。
(舞台稽古のようす)
 侵入者が「連帯」を強要し「原住民」の「孤独」が冒されていくとも読めるが、それは「共同体批判」か、偽善的な「絆」への批判か。いくらでも現在に引きつけられて読めてしまう。物語性ではなく、シチュエーションだけで進む劇で、セリフの研ぎ澄まされ方が素晴らしいから、なんだか考え込んでしまうのである。しかし、僕はこのお芝居の設定にずっと苛ついた。「ブラック」であれ「ユーモア」を昔は感じたと思うが、今見るとただ傍迷惑なだけである。こういう傍迷惑な「偽家族」を現実にいっぱい見たではないか。その後の日本には、こういう「善人の押し売り的に侵入してくる輩」ばかりが多くなった。早く出て行ってくれ、放っておいてくれ。

 ドアは普通はタテに設置するものだが、この演出では舞台真ん中に穴のように置かれる。持ち上げると地下室のように人が出て来る。この舞台装置は秀逸。主要なキャストは、鈴木浩介(男)、西尾まり(婚約者)、浅野和之(祖父)、山崎一(父)、キムラ緑子(母)、林遣都(長男)、岩男海史(次男)、大窪人衛(三男)、富山えり子(長女)、有村架純(次女)、伊原六花(末娘)などなど。これだけ侵入家族が多いと、特に誰が良いとか悪いとかはないけれど、父の山崎一や長女の富山えり子が印象的。次女の有村架純はラストで重要な役を演じる。林遣都もいいけど、鈴木浩介の主人公もうまかった。6時開演、7時半終演というコロナ禍のコンパクト上演。
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劇作家・清水邦夫の逝去を悼む

2021年04月17日 22時57分20秒 | 演劇
 朝刊を見たら、劇作家の清水邦夫の訃報が載っていた。2021年4月15日死去、84歳。死因は老衰と報道されている。妻の松本典子は2014年3月に死去している。妻に先立たれて7年というのは、長生きしたというべきかもしれない。昨夜からパソコン、スマホ、テレビなどでニュースを見ていたが、清水邦夫の訃報には気付かなかった。やはり新聞という媒体は必要なのである。
(清水邦夫)
 東京新聞から引用すると、「若者の苦悩やいら立ちを詩的なせりふで描いて人気を集めた劇作家」とある。「早稲田大在学中に書いた戯曲「署名人」で注目され、劇作の道へ進んだ。一九六〇年代後半から七〇年代初めにかけて、東京・新宿の映画館を拠点に演出家蜷川幸雄さんとのコンビで活動。「真情あふるる軽薄さ」「ぼくらが非情の大河をくだる時」など、若者の政治的挫折に伴う心情を描いた作品を発表し、全共闘世代の熱狂的な支持を得た。」

 まあそういうことになるけれど、「署名人」から「真情あふるる軽薄さ」の間がある。まず卒業後は1965年にフリーとなるまで岩波映画に所属した。岩波出身の映画監督、羽仁進の「充たされた生活」(1962)「彼女と彼」(1963)の脚本を手掛けている。ドキュメンタリー的な手法も使って、現代日本を鋭く切り取った意欲作だ。先の話を書いておくと、脚本では黒木和雄監督の傑作「竜馬暗殺」の共同脚本(田辺泰志と)の素晴らしい独創性も忘れられない。

 戯曲では1969年3月に俳優座で上演された「狂人なおもて往生をとぐ」がある。僕は劇評を新聞で読んで、とても面白そうだと感じた。中学生の時だから、実際に見に行ったりはしない。それでも劇評を読んでいたのである。だから1970年1月に出た戯曲集を買っている(中央公論社)。表題作はすぐに読んで、とても面白かった。まだ題名が歎異抄のパロディだとも判らない頃だ。「六全協から中ソ論争。そして七〇年へ。政治の季節を生きる真情あふるる若者たちの魂の受難を描いて、充足することのない戦後世代に青春を表象する代表作三篇」と帯にある。
(「狂人なおもて往生をとぐ」)
 同書には「署名人」と「真情あふるる軽薄さ」が収録されている。後者の「真情あふるる軽薄さ」こそ、映画館新宿文化で行われた清水邦夫+蜷川幸雄の「アートシアター演劇公演」だった。演出蜷川幸雄、出演岡田英次石橋蓮司蟹江敬三など。映画上映終了後の午後10時から行われた公演だから、もちろん僕が行けるわけない。1969年9月10日から22日に上演され大評判となった。終幕に機動隊役が乱入する演出に騒然となったという。
(葛井欽志郞「遺書」)
 新宿文化の伝説的支配人だった葛井欽志郞の「遺書」という本がある(河出書房、2008)。これは60年代末から70年代にかけての映画、演劇界の興味深い話が詰まった実に面白いインタビュー集である。この本を読むと、蜷川幸雄が企画を持ち込んだ時の話が出ている。その前から演劇公演を時々行っていたが、寺山修司や三島由紀夫、別役実、エドワード・オルビー、ベケットなどの魅力的なラインナップになっている。

 清水・蜷川コンビの作品は「想い出の日本一萬年」(1970.9.10~26)、「鴉よ、おれたちは弾丸をこめる」(1971.10.6~19)、「ぼくらが非情の大河をくだる時」(1972.10.6~21)、「泣かないのか、泣かないのか、一九七三年のために」(1973.10.12~27)と毎年秋に5年続いて伝説となった。今上演日などは、先の「遺書」にあるリストに基づいて書いている。ここには映画や演劇の全記録が載っている。ちなみに料金も出ていて、最初は400円、600円が2年、700円が2回だった。
(「想い出の日本一萬年」)
 「ぼくらが非情の大河をくだる時」は劇作家の登竜門である岸田國士戯曲賞を1974年に受賞した。70年代に入ってから、唐十郎佐藤信井上ひさしがすでに受賞していて、遅すぎた受賞だろう。「熱海殺人事件」のつかこうへいと同時受賞だった。僕は受賞作が載った雑誌「新劇」を買って読んだ記憶がある。すでに新しい演劇ブームを起こしていた「熱海殺人事件」ではなく、僕は敗北の抒情を冷え冷えと描き出す「ぼくらが非情の大河をくだる時」に強く惹かれた。
(「ぼくらが非情の大河をくだる時」)
 帯を引用すると「愛もなく夢もなく、希望もなく……〈闘い〉に敗れ挫折した青春の魂はどこへいく。夜の街角へ、公衆便所の暗闇へ、虚空の彼方へ、冷えきった若者たちの新宿への愛と別離を、幻想と残酷のリズムに描く。」僕はもともとそういう世界が好きなのである。この作品世界が70年前後の「革命」の挫折を受けているのは言うまでもない。しかし、世界全体がこの先どうなるんだろうという時代だった。73年の「オイルショック」を受け、日本では「破滅論」ブームが起きた。そんな時に書かれた「泣かないのか、泣かないのか、一九七三年のために」は、大学受験を控えた僕の気分そのものを表わしている感じがしたものだ。

 その前に1971年に「あらかじめ失われた恋人たちよ」という映画を作っている。清水邦夫田原総一郎の共同脚本、共同監督ということになっている。東京12チャンネル〈テレビ東京〉のディレクターだった田原を監督に起用した理由は、先の葛井「遺書」で触れられている。清水、田原どちらにもただ一本の映画監督である。北陸の海岸を男二人、女一人でさすらう。一人の男は唖で加納典明。もう一人は石橋蓮司だが、女は新人の桃井かおりが抜てきされた。この奇跡のようなキャストで描かれた白黒映画で、何といっていいのか判らないけれど魅力的だった。記録的な不入りだったそうだが、僕は翌年に文芸地下で見た。数年前に再見して、成功作とは言えないが魅力はあると思った。「メリー・ジェーン」の曲を知った映画。

 1978年に「木冬社」を作って、旺盛な執筆活動を開始する。「雨の夏、三十人のジュリエットが還ってきた」(1982)、「タンゴ、冬の終わりに」(1984)などが代表作とされる。また1977年の「楽屋」(1977)は累計上演回数日本一とウィキペディアに出ている。しかし、僕は読んでる割には見ていない。80年代は仕事で忙しく、小説や映画でも落としているものが多い。映画は後から見られるが、演劇では再演があっても時代感覚がズレることが多い。蜷川とのコンビも80年代に復活したが、ほとんど見ていない。若い頃に読んだ抒情的な劇世界が僕にとっての清水邦夫。井上ひさし別役実に続き、清水邦夫も亡くなり、一つの時代が終わった感じがする。
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二兎社公演「ザ・空気 ver.3 そして彼は去った…」

2021年01月13日 22時09分47秒 | 演劇
 永井愛作・演出の二兎社公演44「ザ・空気 ver.3 そして彼は去った…」を見た。(東京芸術劇場シアターイースト)ずいぶん久しぶりに演劇公演を見たけれど、緊急事態宣言と重なって観客は6割ほどという感じだった。もともと全席販売で、ネットで買ったときにはほぼ売れていた。去年の緊急事態宣言時に、国立劇場で見た桂文珍、笑福亭鶴瓶の落語会は半分以上空いてた。比べれば、まだしも入っていたと言うべきか。

 2時開始で1時間45分ほどと短い。俳優もマスクをしている。ロミオとジュリエットがマスクをしてたらおかしいけど、現代日本のテレビ局が舞台だからマスクをしてないと不自然である。「ザ・空気」シリーズは、1回目でテレビ局の「忖度」、2回目で国会記者会館屋上を舞台に「記者クラブ」を描いた。3回で完結らしいが、今回は再びテレビ局を舞台にしている。(以下、内容に触れるので、今後見る予定の人は注意。なお、当日券は売らないようだ。)

 「そして彼は去った…」と副題が付いているが、この「彼」は直接的には劇中の政権寄りの「政治ジャーナリスト」、横松輝夫佐藤B作)を意味しているが、もう一人「日本の前首相」も意味しているだろう。劇中でも「新首相」になっていて、生放送番組の「報道9」内の「激論」では「新政権の4ヶ月」がテーマである。政権批判派を呼ぶときは、必ず政権擁護派も呼ばなければいけないというテレビ局首脳の命令により横松が呼ばれた。しかし、「検温」すると何度やっても37.4度。これが笑わせる。規定内だがギリギリで、ちょっと怖いから一人だけ会議室に「隔離」される。
(永井愛)
 その会議室は数年前に政権批判で知られた桜木が自殺した場所だった。横松は桜木とは同じ新聞社の社会部で働き、その当時はジャーナリストとしての矜持を持っていた。会議室には若いアシスタントディレクター袋川昇平金子大地)しかいないので、横松は自分が何で「隔離」されるんだ、チーフプロデューサー星野礼子神野三鈴)を呼べとうるさい。そこで佐藤B作と神野三鈴の丁々発止のやり取りになる。星野はどうも局幹部によって飛ばされたようで、今日が最後の担当日。異動先は「アーカイブ室主任」で、「昇格だけど左遷」である。

 他にチーフディレクター新島利明和田正人)、サブキャスター立花さつき韓英恵)と登場人物は5人。横松は大病したばかりで久しぶりのテレビ出演。「政権擁護」の役回りだが、リハーサル中に何故か桜木が乗り移ったかのように「新首相批判」を始めてしまう。どうもおかしい、やはり病気か、どうすると混乱するうちに、横松が特ダネがあると言い始める。新首相が「日本学術アカデミー」の会員候補6人の任命を拒否した問題で、候補者の「政権批判度」の「通信簿」を作ったのは自分だ、スマホに証拠の文書があると暴露する。

 この特ダネを報じるかどうか。そこで各人の立場が浮き彫りになってゆく。下請けの立場の新島は、これで番組がつぶれたら困る。若い袋川は何か大きなことがしたい。いつも横松に「セクハラ」されている立花さつきもやっちゃえと乗り気。そして最初は大乗り気だった星野だったが…。「世代」や「働き方」による違いの中にあって、次第に大問題になってしまって星野も揺れていく。そんな星野に対して、「正義を語っていられたのは、自分のような政権擁護派がいるから、安心して批判できるんだ」と横松は語る。そして今日は帰ると言って去って行く。

 面白いんだけど、僕は2作目が一番面白くて出来も良かったと思う。今作に関しては、「新首相」がドラマの敵役としては「小粒」なのかもしれない。それに観客も今までに比べて少なく、隣との区切りもあるから少し乗りにくかった。それもあるけれど、今回の「特ダネ」自体が弱いのかなと思う。「民間人作成の文書」に過ぎず、「参考にしたかどうか」以前に「横松から受け取っているか」さえ「人事の問題なので、お答えを差し控えさせて頂く」で終わってしまうだろうと僕は予想する。それでも「日本学術会議」問題をこれほど鋭く取り上げていることに感銘した。
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劇作家・別役実の逝去を悼む

2020年03月13日 21時12分41秒 | 演劇
 劇作家の別役実が3月3日に死去した。82歳。葬儀は親族で営み、訃報は10日に発表された。姓の読み方は「べつやく」だと思っていたし新聞の訃報にもそう出ているが、日本人の姓としては「べっちゃく」と読む方が多いらしい。訃報を見ると、どれも「不条理演劇を確立した」と出ている。カフカやベケットの影響を受け、日本で不条理演劇を書き始めたとか…。まあ、その通りなんだけど、それでは一度も見てない人はきっと「すごく難しいお芝居なんだろうなあ」と思ってしまうだろう。

 僕が最初に見た別役戯曲はテレビだった。文学座アトリエ公演「にしむくさむらい」が評判になって教育テレビで放映していたのである。その不思議な劇世界にものすごく心惹かれた思い出がある。(ところで最近は「西向く侍 小の月」を知らない人がいるらしい。)別役は生涯に144本もの劇を書いていて、全部が載ってるサイトが見つからない。だから正確な時期が判らないけれど、同名の戯曲集は1978年に刊行されているから1970年代後半だ。自分は大学生だったからお金の問題で演劇を気軽に見に行くことは難しい。映画だってロードショーじゃなくて、ほとんど名画座で見ていた時代なんだから。

 いつ実際に公演を見に行ったのかも覚えてない。でも別役実の新作はできるだけ見ようと思っていた時があって、結構見ている。その多くは信濃町の文学座アトリエで見たと思う。「天才バカボンのパパなのだ」(これが最初かも)、「ジョバンニの父への旅」「やってきたゴドー」なんかは見たと思う。文学座の名優三津田健の最後の作品「」も見てる。どうも「見てると思う」という書き方になってしまうけど、別役作品は「ストーリー」じゃなくて「シチュエーション」(状況)だから、どれを見てもストーリーで覚えていることが出来ない。それが「不条理演劇」ということになる。

 あり得ない状況がすでに設定されていて、そこにあり得ない展開が連続してゆく。見てると笑いの連続で、しかし「世界のフシギ」が露出している感じがする。状況がおかしいので、普通に話せば普通のはずのセリフが微妙におかしく感じられる。晩年になると、どうも毎回似てるな感が強くなったきがするが、いずれにせよ、そこには「世界の荒涼」が見え隠れする。70年代、80年代の劇にはそんな感触が強かった。僕は面白いからというよりも、その精神の荒野に惹かれて見ていたと思う。

 そしてそれは別役実が「引揚者」だったからだろうと思っていた。別役は1937年に当時の「満州国」の首都「新京」(長春)で生まれ、幼くして父が亡くなり敗戦とともに母と長野県に引き揚げてきた。そこで生まれたんだから、元々は日本の侵略だと頭で理解出来ても「ふるさと」を失ったという思いは消えない。1932年生まれの作家、五木寛之も生後まもなく朝鮮半島に渡り父の勤務とともに各地を転々とし、敗戦後に日本に帰った。21世紀になって、仏教(というか親鸞や蓮如など)の作家というイメージになったが、若い頃は「デラシネ」(根無し草)を称して漂泊者のロマンを紡いでいた。

 他にも安部公房日野啓三三木卓など、「引揚者」の文学系譜がある。30年代生まれの子どもたちが幼くしして故郷を失い「本国」へ戻っても受け入れられない現実に直面した。その子どもたちが70年代、80年代に「自己表現」を始めたのである。時間が経って忘れられたかもしれないが、僕の若い頃には多くの人が意識していた。これらの人々の書いたものには、どこか共通の感覚がある。何だか日本じゃないような場所で、幻想か現実かも判らないような不思議な世界。別役実の劇世界も、僕はそのような日本近代史の背景の中で出てきたものだと思っている。

 劇だけじゃなく、小説、エッセイ、評論もものすごくたくさん書いている。評論はあまり読んでないが、エッセイに当たるんだろう「虫づくし」(1981)は面白かった。「○○づくし」というシリーズがある。小説というか童話なんかも沢山書いていて、教科書にも載ってるらしい。「別役実」と検索すると「別役実 教科書」というワードが出てくる。残された別役世界はずいぶん広いようだ。

追加・そう言えば小室等と六文銭が歌った「雨が空から降れば」は別役実の作詞だったと人から指摘されて、そうだったっけと思い出した。そうだ、それは70年代にはとても意味を持っていたことだった。調べてみれば、「スパイものがたり」というミュージカルの挿入歌だったとある。2015~16年に開かれた「別役実フェスティバル」では「別役実を歌う~劇中歌コンサート~」というコンサートまで開かれていた。僕は行かなかったので、当時チラシを見たことをすっかり忘れていた。「雨が空から降れば」は、僕らの世代では今でも雨の日につい口ずさむ名曲だ。作詞のことはすっかり忘れてた。
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「ねじまき鳥クロニクル」の舞台化を見る

2020年02月14日 22時25分19秒 | 演劇
 村上春樹の大長編小説「ねじまき鳥クロニクル」が舞台化された。東京芸術劇場プレイハウスで3月1日まで上演中。最近はなかなか劇場に行くこともなかったんだけど、昨年「海辺のカフカ」を見たから、こちらも見ておきたいと思った。これがまたミュージカル仕立ての不思議空間で、物語は原作同様に判らないながらも魅力的な舞台だった。それにしてもよく判らなかったけど。

 「ねじまき鳥クロニクル」は1994年に第1部、第2部、1995年に第3部が刊行された大長編で、このように3部まであるのは他には「1Q84」だけである。村上春樹文学の転換点になったと言ってもいい長編小説で、後の「海辺のカフカ」「1Q84」「騎士団長殺し」につながってゆく世界観が示されている。だけど、後の作品群が「判らないけど、判りやすい」のと違って、「判るけど、全然判らない」ような感じの小説だと思う。読んでない人には通じない表現だと思うが。舞台の物語はほぼ原作通りのイメージ。

 不思議なことに、登場人物が突然歌い出すシーンがある。まあそれはミュージカルと同じだから、趣向を知らなかったからビックリしただけで珍しいことではない。だが主人公「岡田トオル」役に成河渡辺大知の二人がキャスティングされている。普通の意味のダブルキャストではなく、シーンごとに演じ分けるのでもなく、二人共に舞台に出てくる時もある。一人の時もある。不思議で、どうもよく判らない。岡田トオルの猫が行方不明となり、見つかったと思ったら、妻が家を出て行く。猫を探すときに知り合う女子高生笠原メイ門脇麦。他に大貫勇輔(綿谷ノボル)、徳永えり(加納クレタ/マルタ)、吹越満(間宮中尉)、 銀粉蝶(赤坂ナツメグ)等々。なかなか豪華キャストだが俳優で見る演劇じゃない。

 スタッフを見ると、演出・振付・美術:インバル・ピント、脚本・演出:アミール・クリガー、脚本・演出:藤田貴大と演出に3人、脚本に2人の名前がある。インバル・ピントは「イスラエルの鬼才」とチラシにある。「100万回生きたねこ」など日本での経験も豊かなダンス演出家だという。アミール・クリガーは「気鋭」とあるがよく知らない。藤田貴大は近年注目され続けている劇作家・演出家。役割分担は判らない。そこに 音楽:大友良英が加わり、ライブで音楽を繰り広げる。

 ホームページにあるストーリーをコピーすると以下の通り。飛ばして貰って構わない。
岡田トオルは妻のクミコとともに平穏な日々を過ごしていたが、猫の失踪や謎の女からの電話をきっかけに、奇妙な出来事に巻き込まれ、思いもよらない戦いの当事者となっていく――。トオルは、姿を消した猫を探しにいった近所の空き地で、女子高生の笠原メイと出会う。トオルを“ねじまき鳥さん”と呼ぶ少女と主人公の間には不思議な絆が生まれていく。

 そんな最中、トオルの妻のクミコが忽然と姿を消してしまう。クミコの兄・綿谷ノボルから連絡があり、クミコと離婚するよう一方的に告げられる。クミコに戻る意思はないと。だが自らを“水の霊媒師”と称する加納マルタ、その妹クレタとの出会いによって、クミコ失踪の影にはノボルが関わっているという疑念は確信に変わる。そしてトオルは、もっと大きな何かに巻き込まれていることにも気づきはじめる。

 何かに導かれるようにトオルは隣家の枯れた井戸にもぐり、クミコの意識に手をのばそうとする。クミコを取り戻す戦いは、いつしか、時代や場所を超越して、“悪”と対峙してきた“ねじまき鳥”たちの戦いとシンクロする。暴力とエロスの予感が世界をつつみ、探索の年代記が始まる。“ねじまき鳥”はねじを巻き、世界のゆがみを正すことができるのか? トオルはクミコをとり戻すことができるのか―――。」

 読んでいても判らないと思うけど、舞台を見ても原作を読んでも同じように判らない。しかし、「井戸」「行方不明」「日本軍」「異世界での戦い」など、その後の村上春樹世界に決まって登場するシチュエーションがここで出そろった作品だった。それらの複雑なイメージが万華鏡のように散りばめられているので、キラキラ光る魅力はあるが完全に納得した感覚が持てない。そういう原作そのままが舞台化されていて、だから難しいけど音楽やダンスがあるから楽しい。そんな感じかな。何しろ一番判らないのは、笠原メイが主人公を「ねじまき鳥さん」と呼ぶこと。ねじ巻き鳥って何だろう、世界のネジを巻き続ける鳥? What? それが結局よく判らない。
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