尾形修一の紫陽花(あじさい)通信

教員免許更新制に反対して2011年3月、都立高教員を退職。教育や政治、映画や本を中心に思うことを発信していきます。

「花粉症と免疫系仮説」ー「コロナ」事態をどう考えるか②

2020年05月29日 23時04分04秒 |  〃 (新型コロナウイルス問題)
 新型コロナウイルスで日本の死者が少ない理由は、今の段階でははっきりとは判らない。①で書いたように東アジア全般で少ないので、民族性や生活様式の違いがあるのかどうか。しかし、それはこの問題の最大の謎ではない。僕が思うに、一番の謎は「ロシアの死者は何故少ないのか」だと思う。と思ったら、ロシアの死者数は大幅に増えるらしい。WHOの数え方とは違う独自の計算をしていたらしい。

 それにしても、アメリカが感染者172万、死者10万、ブラジルが感染者43万、死者2万6千、ロシアが感染者38万、死者4千、イギリスが感染者27万、死者3万7千、スペインが感染者23万、死者2万9千、イタリアが感染者23万、死者が3万3千…と感染者数を並べると、人口規模や人口密度が全然違うけれど、ロシアだけ死者数が一ケタ違う感じがする。これは計算方法だけでは説明できないと思う。

 もう一つ不思議なことは、オランダとベルギーの違いだ。オランダは人口1730万、面積4万1千㎢。ベルギーは人口1142万、面積3万㎢。オランダの方が人口、面積ともに大きいけれど、隣国だし文化的にも近い。しかし、オランダは感染者約5万、死者が5890人、ベルギーは感染者5万7千、死者が9千3百人ほどと感染者数に比べて、ベルギーの死者が倍近く多い。ベルギーの致死率はEU最悪らしいが、老人ホームなどでの「感染疑い例」もPCR検査抜きで死者にカウントしているとも言われている。

 このようにまだ判らないことが多い。最近は南アメリカ(ブラジル、ペルー、チリなど)や中東(エジプト、サウジアラビア、カタールなど)で感染が急拡大していて、未だ全体像を分析できる段階ではない。そういう中に、日本のケースもある。日本で何で感染者が少ないのか。それでも今期のインフルエンザの推定死者数を超えたと思われる。インフルエンザ感染者は今期は少なくて、700万人台と推定されている。致死率0.1%ほどとみなすと、700人前後が亡くなったことになる。現時点で日本の「コロナ」の死者は867人だから、インフルエンザを上回った可能性がある。

 日本を考えると、要するに「2月、3月に多くの人がマスクをしていた」ことが一番感染者を増やさなかった理由だと思う。「3・11」の時、世界のニュースには「マスクをして通勤する東京の人々」の画像が流れた。そこには「放射能を恐れる人々」という解説が付いていた。いくら何でも、マスクで放射線が防御出来ると思うはずがない。もちろん、それは「花粉症を恐れる人々」だった。今年は「新型コロナウイルス」もあるが、それ以上に「花粉症を防ぐ」ためにマスクをしていた人が多いはずだ。
(花粉症対策でマスクをして通勤する人々)
 マスクの穴よりもウイルスの方が断然小さい。ウイルスも通さないマスクになったら、人間が呼吸できない。しかし、マスクをしていれば、飛沫をある程度防ぐことも出来る。そして、それ以上に「無症状の感染者」が他人に「飛沫感染させるリスク」は大きく減るだろう。僕も無症状の段階で感染力があるとされてからは、「感染防止におけるマスクの有効性」を評価するようになった。ただ日本には「マスク文化がある」などと言う人もいるが、それはおかしい。花粉症や風邪が嫌だから、仕方なくしているんであって、家でも年中マスクをしている人はさすがに日本にもごく少数だろう。

 誰だったか、「免疫力を高める」という表現はおかしいと言っていた人がいた。「自然免疫力を一定レベルで維持する」と言うべきだという。そもそも「免疫力を高める」ということの意味が医学的にはおかしいらしい。仮に「免疫力が高まる」食事で実際に高まったりしたら、どうなるか。体内に入る異物どころか、自分自身をも攻撃する「免疫暴走」が起こるかも知れない。「免疫不全」も困るけど、「免疫暴走」も困る。免疫が高すぎるとアレルギーが起こりやすい。
(「免疫力を高める食品」) 
 上の画像にあるように、よくテレビのバラエティ番組などで「免疫力を高める」とされるのは、「発酵食品」や「海藻」が取り上げられる。それが本当に正しいかどうか、僕はよく判らないけれど、一般論として健康には良さそうだ。そして、味噌、醤油、納豆、鰹節、チーズ、ヨーグルト、キムチやピクルスを含めた漬物などの発酵食品、海苔、ワカメ、昆布などの海藻類と名を挙げてみれば、日本人は特に意識しなくても十分以上に摂取している。むしろ醤油、味噌、漬物などで「塩分の取り過ぎ」が大問題だ。

 昔なかった「花粉症」が増えたのは、林業政策の問題でもあるけれど、日本の衛生環境が良くなって(つまり「綺麗になりすぎて」)、同時に日本人の免疫力も食事などで高まったからではないだろうか。アレルギーも増えているようだし。十分日本人の免疫力は高くなっているし、だからこそ花粉症発症者が増えた。そう考えると、スギ、ヒノキ花粉が激増する2月から4月頃は、首都圏に住む人々の体内では免疫系総動員になっているかと思う。

 細菌やウイルスには、一端かかれば次は発症しない、あるいは軽症化するという「獲得免疫」がある。一方、もともと人間には「自然免疫」が備わっていて、病原体侵入に際して免疫系の活動で防御する。中世のペスト大流行の時でも、死者は3分の1で助かった人の方が多い。先に読んだマンゾーニ「いいなづけ」は、ペストに罹患したものの助かった人と助からなかった人のドラマだった。一番恐ろしいエボラ出血熱でも致死率9割とされ、1割の人は助かるのである。

 花粉症の季節は、発症する人もしない人も、花粉という異物がどんどん体内に入ってくるから、体内の免疫系はたとえて言えば「緊急事態宣言」が出ているだろう。突然コロナウイルスが侵入したのではなく、ウイルスではないにせよ体は準備していた。そのため感染、発症がある程度押さえられたのではないか。これが成り立つかどうか、僕は医学研究者ではないから判らない。でも人と同じことを書いても仕方ないから、何か他のファクターを考えた時に思いついた「花粉症仮説」である。
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東アジアでは死者が多い日本ー「コロナ」事態をどう考えるか①

2020年05月28日 22時45分47秒 |  〃 (新型コロナウイルス問題)
 緊急事態宣言解除に当たって、安倍首相は「日本モデル」を示したと世界に宣伝した。それは果たして正しいのだろうか。解除されても、北九州市で感染者が増大し、東京でも精神科病棟でクラスター(集団感染)が発生した。事態はまだ進行中で最終的な判断は難しいと思っている。しかし、まあ日本の感染者数と死者数が、G7各国で比較した場合は少ない状態に収まっているのは間違いないだろう。PCR検査数が少なすぎるだの、隠れコロナ死者がいるだの言われているが、それでも欧米各国ほどの惨憺たる事態になったわけではないことは確かだ。

 しかし、G7で見るなら、日本以外は皆欧米諸国である。当初は中国武漢で感染爆発が起こったが、3月末からはヨーロッパ、アメリカが感染の中心地になった。中国でも武漢以外では流行が抑えられた。今まではそれは「中国の強権体制」が理由だと思われてきた。一方、台湾や韓国は「政府の対応が適切だった」ために、感染爆発が防げたと思われてきた。

 日本では欧米からの出入国制限も遅く、PCR検査も少なく、休業要請などの強制力もなく、テレワークは進めたものの「人との接触を8割減らす」ことが当初から目標で「厳しい都市封鎖」は行わなかった。それは欧米諸国から見れば、相当に「緩い対策」だったにも関わらず、日本は欧米ほどの流行を見ていない。そこに「日本の特異性」を見ることも不可能ではないだろうが、それより考えるべきことは東アジア、東南アジア、オセアニア一帯でどこも大きな流行を見ていないという事実である。

 まあオーストラリア、ニュージーランドは南半球だから、今までは夏だった。風邪系ウイルスは流行しにくいし、人口密度も低い。しかし、東アジアは世界でも人口密度が多い地帯であって、大感染が起こっても不思議ではない。何故東アジアでは比較的に感染が抑えられたのか。「政府の対策」や「国民性」、あるいは「生活様式」「食生活」など多くのファクターが想定できる。

 「人種」だという人もいるかもしれない。現在では「人種」概念そのものが疑問を持たれている。「人種」とは世界を「白色人種」(コーカソイド)、「黒色人種」(ネグロイド)、「黄色人種」(モンゴロイド)に分類し、世界の人々をそのどこかに当てはめた。自分の頃には世界地理でそう教わったわけだが、複雑な世界の中で「人種」で分けるのは今ではおかしい。だが「遺伝子」レベルでなくても、社会習慣や生活実態で世界がいくつかの「文明圏」に分けられるのは確かだろう。

 現時点ではデータがないので、これ以上深入りしない。ただ日本でいち早く承認された薬「レムデシベル」について、山中伸弥氏が紹介するアメリカの研究では、白人には優位な効果があり、黒人では効果が少なく、アジア系では効果がなかったという結果になっている。当初から武漢ではレムデシベルの効果が証明できないという話があったが、アメリカの研究でも同じような結果が出たのである。現実に薬効に民族的な違いが見られるらしい。ニューヨークには多くの日本人もいるし、中国系、韓国系の移民も多い。感染者や重症者に違いがあったのかは、やがて科学的なデータが出てくるだろう。
(東アジア各国の10万人当たり死者数)
 ところで、そのような何故だか決定的要因は判らないながら、感染がある程度に抑えられた東アジア各国の中で、日本は「10万人当たりの死者数」が一番多い。中国の方が多いだろうと思うと、ほぼ武漢の大流行に留められたので、人口が多い中国では「10万人当たり」では少ないのである。欧米各国に比べればずいぶん低いものの、東アジアでは一番高かったのである。日本では重症患者の対応で優れた結果を残した。集中治療室(ICU)や人工呼吸器で多くの患者が救命されたという。

 それでも死者数が東アジアで一番多かったのは何故か。それは「高齢化率」が世界で一番高い日本で、「院内感染」が多発したからだ。今病院名は挙げないが、日本中で多くの病院や福祉施設でクラスターが発生した。その結果、多くの病院で、コロナ以外の患者受け入れが停止され、その分他の病院が大変になった。院内感染が起こると、医師や看護師の多くが「濃厚接触者」になってしまい、「戦力外」になる。こうして残った医療関係者がますます疲弊してしまい、再びどこかで院内感染が起きる。「医療崩壊」は定義次第だが、一時はほぼその直前まで追い詰められたと思う。

 病院には元々多くの高齢者が入院している。面会も禁じられたまま、院内感染で亡くなってしまうのはあまりに悲しい。しかし、元々他の病気やケガで入院していて、体力も落ちている。ちょっとしたことで、感染がどんどん広がってしまう。それを防ぐためには、「医療資源」にもっと投資する以外ない。医者、看護師、臨床検査技師などの充実、マスク、防護服などの備蓄、人工呼吸器等の整備などいろいろ挙げられる。しかし、もっと根本的な問題がある。

 今回、医療従事者が差別されるという信じがたい事態が起こった。「目の前の心配」と「真の敵」が区別できない人が多数いるのだ。労働条件が厳しく、給料もそれほど恵まれないのに、今後誰が医療の仕事を目指すんだろうか。あるいは「基礎研究」の重要性はいつも指摘されるが、政府は「目に見える結果」を大学にも求めてきた。今の危機によって、多くの大学院生が研究の場を去ってしまう可能性もある。日本の「衰退」は取り返しが付かないのだろうか。ここで「一番大事なもの」に投資するように国を変えないといけない。それは「」である。「アメリカとの関係」ではない。
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「緊急事態宣言」が明けてー安倍首相の取り組みをどう評価するか

2020年05月26日 23時33分21秒 |  〃 (新型コロナウイルス問題)
 5月25日夕方に政府は「新型インフルエンザ等対策特別措置法」に基づく緊急事態宣言を残されていた5都道県で解除した。これで全国全てで解除されたことになる。しかし、「新型コロナウイルス感染症」そのものは当然まだ残っている。26日の東京の新規感染者は10名だった。「第二波」を恐れる声も多い。世界ではヨーロッパの感染者は減少しつつあるものの、アメリカはまだ多い。最近はブラジルで急激に感染者と死者が増加してる。この段階での解除は早すぎたのか、それとも遅すぎたのか。
(解除を報道するテレビニュース) 
 4月7日緊急事態宣言が7都府県に発出されたとき、「正気を保って生き延びる-緊急事態宣言の下で」(2020.4.7)を書いた。そこで「いよいよ緊急事態宣言である。これが「遅すぎた」あるいは「危険なものだ」とする意見も多いが、まさに適切な時期に出されたものかどうか、もうすぐ判る。それまで「観察」を続けたいと思う。」と書いた。この間、東京では49日間の「緊急事態」が続いた。

 まず経過を簡単に振り返っておきたい。まず4月7日に7都府県に5月6日までの緊急事態宣言が出された。16日に全都道府県に拡大され、5月4日にさらに5月31日まで延長された。その後、5月14日に39県で解除され、21日に近畿地方の3府県で解除された。そして、25日に残った5都道県でも解除されたという運びになる。確かに感染者数は減少はしたものの、最後の方はなんだかなし崩しに解除された感もあった。「解除の目安」がはっきりと示されず、数字だけでは神奈川や北海道は解除できなかった。しかし、今回の解除はやむを得ないだろう。これ以上はもう学校やお店を閉められない。

 この間の「観察」をまとめてみると、僕はまず「今回の緊急事態宣言はやむを得なかった」と考えている。2月末の大型イベントや博物館・美術館等への自粛要請、及び全国一斉の学校休校要請必要なかったと考えている。実際、2月段階ではまだ欧米の大感染は起こってなかった。クルーズ船対応などが世界から批判され、五輪開催に向けて先走った対策が取られたと思う。その段階で学校やライブハウス等が閉められて、多くの派生的問題が生じた。しかし、「困っている人」をどう救うかの対応策はほとんど取られなかった。右往左往しながら、欧米帰りのウイルスによる感染拡大を招いた。

 一方、「アベによる緊急事態宣言を許すな」と呼びかける人もいた。「リアル集会」や「リアルデモ」まで行われている。安倍首相は今まで人々の自由と人権を損なうような言動が多かった。だから緊急事態宣言の名の下に、恐るべき人権侵害が起こると心配する人がいたのである。しかし、いくら何でも今回はやむを得ない。東京では毎日のように200名を超える感染者が出た。しかも検査数が少なく、もっと多くの感染者がいると思われていた。院内感染も多く起こって、ほとんど「医療崩壊」が起こりつつあった。高齢者を抱える家族(自分もそうだが)では、この間強い緊張を強いられた。結果的にそこまで心配しなくても良かったのかもしれないが、多くの人がやはり恐れを抱いたのである。

 この「感染拡大」そのものは、安倍内閣でなくても(誰が最高責任者でも)防げなかったと判断している。しかし、国民への「説得力」、「科学的思考力」が低く、みんなが感染の心配だけでなく、今後の生活に大きな不安を感じるようになった。「専門家会議」というものがあっても、「結論」が決まっている感じだった。宣言発出も解除も、前日ぐらいから新聞やテレビで伝えられていた。じゃあ、専門家会議をやる時間はムダではないか。政府の「諮問機関」というのは、いつも同じである。

 特にダメだったのが、最初の「宣言」の後で、「補償」に関する対策がすぐに出て来なかったことである。結局、自治体が先行し、政府は追認することになった。そして、9日後に全国に緊急事態宣言が拡大された。しかも、5月6日までという連休最後の日に期限が決められていた。これでは仮に解除されていたとしても、連休中ですぐに態勢が整わない。最初から「全国一斉で、5月11日(月曜日)まで」として、すぐに補償措置などを打ち出していれば、そこで解除出来たのではないだろうか。
(5月25日の首相記者会見)
 安倍首相は4月7日の記者会見で、イタリア人記者の「成功だったら、もちろん国民だけではなくて世界から絶賛だと思いますけれども、失敗だったらどういうふうに責任を取りますか」という質問に対して「最悪の事態になった場合、私たちが責任を取ればいいというものではありません」と述べた。そして、宣言の延長時の記者会見では「責任を痛感している」とも述べた。安倍首相が「責任」を痛感するのは何回目だろうか。誰か大臣が辞めるたびに、「任命責任者として責任を痛感している」と述べてきた。「責任を痛感する」=「責任は取らない」なのである。

 日本は「成功」したのだろうか。「成功」であれ、「失敗」であれ、その理由はなんだろうか。それはまた別に考えたいが、今回の緊急事態宣言下にはっきりしたのは、「安倍首相のリーダーシップには問題が多い」ということだ。「説得力」が少なく、「誠実さ」が感じ取れない。「私が責任を取る」と言って、当初から大胆な補償措置を打ち出していれば、これほど長く学校や食堂、劇場、映画館、観光施設などが閉鎖され、国民生活が追い詰められることはなかったと思う。「私が責任を取る」と言明しても、「真にやむを得ない事情」があるならば、国民だって支持したに違いない。
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「小さな政府」の帰結-PCR検査問題

2020年05月18日 22時47分01秒 |  〃 (新型コロナウイルス問題)
 新型コロナウイルスの問題に関して、まだ書いてないことがたくさんある。そもそも今はまだ「渦中」であって、ウイルスに関しても、感染対策の評価に関しても、全体的な評価は難しいと考えている。当初は中国でも武漢のみで「封じ込め可能」な感じを持っていた。その後、世界に広がってゆくが、中では台湾韓国ドイツニュージーランドなどは比較的に「うまくコントロールされている」と評価されている。だからドイツや韓国を見習えという議論も多いけれど、両国とも経済活動を少し再開させたところで集団発生が起こった。他国に学ぶのは大事だが、まだ完全に「成功」という評価はどこにもできない。

 日本は感染者が発生したのは早かったが、その後の感染者数や死者数は他国に比べて少ない。いや、それはPCR検査が少なすぎて感染の全体像が判らないだけだとも言われる。専門家会議の尾身氏もそれは認めていて、国会で「10倍か、20倍か、30倍か」などと発言している。まったく無責任極まる発言だ。大体どう考えても、常識的な水準として、10倍以上ということはないだろう。死者数も「隠れコロナ死者」がいるという批判もあるが、それを考えてもやはり少ないのは間違いない。なんで日本の感染者、死者が他国に比べると低水準なのか。今のところ、完全に納得できる説明はないと思う。
(PCR検査の様子)
 それにしても「PCR検査」はどうして増えていかなかったのだろうか。当初は確かに「クラスター対策」に集中的に人材を投入したということがあるだろう。主に中国人観光客から発生したと思われる感染者増が2月末に見られた。その時は「濃厚接触者」を優先することに意味はあったかと思う。だが3月中旬から、感染経路不明の患者が増えてくる。そして多くの病院や福祉施設で「院内感染」が発生した。その時に、病院や保健所がパンク寸前になって、もう対応が不可能になっていった。

 単に新型コロナウイルス対応が無理になってきたということではない。もともと保健所を減らし、病院を減らし、医者の数も減らしてきたから、限界が早く来る。そして一番の問題は、「公務員削減」と「バッシング」を続けてきた結果、現場に柔軟な対応力がなくなってしまった。それは医療系ばかりでなく、虐待事件が起こったときの「児童相談所」、いじめ事件が起きた時の「学校」なんかも同様だ。もう事件対応に手一杯で、今後の展望もなければ、こうすれば良かったというアイディアも生まれない。そしていつも「上」は現場に責任転嫁してくる。今回も同じような構図が見て取れる。

 驚くべきことに、東京都で保健所から都への報告がファックスだったという。そして報告漏れや二重カウントがあった。再調査して感染者数が100名以上増えたという出来事がちょっと前にあった。日本のあちこちに残る「紙とハンコ文化」の悪弊である。昔からのやり方が続いていて、変えることが出来ない。忙しくて変えるヒマもない。そんなことが日本のあっちこっちで起こっているんだろう。保健所がいかに減らされていったか、前に「今こそ「生存権」を確認し、「防衛」の意味を考える」(2020.4.13)の下の方に載せておいた。全くビックリしたんだけど、1992年度には852か所の保健所があった。2019年度には472か所に激減しているのである。これは「小さな政府」の帰結だろう。
(「保健所の現状」4.25共同通信記事)
 それにしてもPCR検査は、安倍首相が記者会見で何回も増やすと述べているのに、なかなか増えなかった。一番重要なときに、検査を受けられない人がいた。病院に入れない人がいた。落ち着いた段階で、国会で調査委員会を作ってウイルス対策全般を検証しないといけない。臨床検査技師も不足しているということだから、PCR検査を増やしたくてもどうしようもなかったのかもしれない。それにしても、緊急事態なんだから、閉鎖されている医学系、理系の研究室や大学院生を利用するなど、いくらでもやれたはず。韓国も検査キットなどの「援助」の意思を示していたが、安倍政権の対韓政策が影響しているのか無視されてしまった。その経緯もしっかりと検証しないといけない。

 日本は少子高齢化が進み、莫大な財政赤字がある。それに対して自民党内閣が取ってきたのは、「小さな政府」ということだった。安倍政権だけの問題ではない。むしろ小泉政権の責任の方が大きい。そういう政府が「起こるか起こらないかも判らないパンデミック」に予算を投じるわけがない。ある程度はそれも仕方ないと思う。パンデミックと違って、「いつかは判らないけれど、いつかは必ず起こる大地震」の方が優先だと自分も考えたのではないか。

 そして多くの大地震が起こり、市役所に大被害が起きたこともあるけれど、中国の四川大地震のように学校が倒壊するようなことはなかった。「学校の耐震化」には予算を投じてきた。地震、水害対策道路・橋・ダムなどのメンテナンスと合わせて、今後は再び起こるか判らないけれども、起こると仮定して「第二波」「第三波」のパンデミックに備えた対策を怠らないようにしなければいけない。「国のあり方」を一から作り直さない限り、持つはずがない。「やらなくてもいいこと」(それが何かは国民皆が参加して決めないといけない)は止めましょう。
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欧米由来の「弱いウイルス」ー新型コロナウイルスをどう理解するか

2020年05月15日 22時40分07秒 |  〃 (新型コロナウイルス問題)
 日本、あるいは諸外国の「新型コロナウイルス」対策を考えるときには、そもそも「このウイルスをどう理解するか」を考えないといけない。何しろ新規に出現したウイルスだから、政治家や評論家はもちろん、医学者であっても間違うことはあって、それは批判できないものだと思う。だけど、その時点で最新の科学的情報を収集し、それによってそれまでの見方に検討を加えて行かなくてはいけない。

 ウイルスの出現経過については、まだ定説がない。僕は2019年末に中国湖北省武漢で最初の集団感染が発生したのは間違いないと判断してきた。しかし、もっと早く別の場所で起こっていたという説もあるらしい。また武漢でも、動物由来の自然感染なのかウイルス研究所から事故で流出したのかは、僕には判断する材料がない。ただし、中国(またはアメリカ)の生物兵器だという説は成り立たない。それは前に書いたけれど、グローバルに絡み合った世界経済を破綻させただけで、誰の得にもなっていない。事前に判っているなら、そろそろ「新薬」や「ワクチン」が登場してもいいはずだ。

 そしてウイルスは中国からヨーロッパ各国に広がった。2月段階では中国以外では、韓国・大邱の新興宗教集団や横浜のクルーズ船が騒がれていた。しかし、2月末から3月に掛けてヨーロッパ各国に急速に感染が拡大した。そして3月末になると、アメリカの感染者が世界最大となった。その頃書いた「イタリアで何が起こったのか」(2020.3.20)では以下のように書いていた。

 「そもそもウイルスが同じものなのかも僕には判らない。ウイルスはどんどん変化をするもので、感染さなかにも変わっていくことがある。普通は「感染が拡大すると弱毒化する」と言われる。ウイルスはそもそも自己増殖できず、他生物の細胞を利用して初めて増殖できる。だからあまりにも強毒なウイルスが感染力も強くなると、宿主ごと滅んでしまうことになる。そのため普通はウイルスが広がると、毒性は低下すると言われる。」

 このウイルスの違いに関しては、国立感染症研究所が4月27日に、「新型コロナウイルスSARS-CoV-2のゲノム分子疫学調査」を発表した。それによれば、やはり「中国発の第1波」と「海外帰国者経由の第2波」は明らかにウイルスのゲノム情報が違うという。ヨーロッパでそれほど大流行したのは、やはりウイルスの変容があったのだ。(感染症研究所の発表要旨は一番下に引用しておいた。)
(感染研のゲノム分析)
 この欧米から持ち込まれた新型コロナウイルスは、「より強毒」なものなのだろうか。これほど大流行したのだから、よほど強毒化したのかと僕も当時は考えていた。もっとも「」というのは、人間の体内で不都合な科学反応を起こす物質のことだから、ウイルスはそもそも「毒物」とは違う。体内で細胞に入り込んで勝手に増殖するだけで、その増殖スピードが速すぎると細胞が破壊されたり、体内各所に炎症を起こして体力を奪うことになる。

 欧米由来のウイルスは、以前にも増して「発症までのスピード」が遅い。そして時には、発症に至らないこともあるらしい。それでも感染力がある。どんな強いウイルスかと思うが、よく考えて見れば、通常のインフルエンザウイルスや風邪を引き起こすウイルスも同じだ。教室に一人インフルエンザ感染者がいると、他の人にも移ると言われているが、それと比べて「欧米型新コロナウイルス」の方が強いと言えるのだろうか。欧米でも日本でも、発症していない(感染の自覚がない)感染者がウイルスを広めたと言われる。これは「感染力が強い」のではなく、むしろ「発症力が弱い」というべきではないか。

 それなのに、欧米であれほど多くの死者を出したのは何故だろうか。もっとも「通常のインフルエンザの大流行」に比べて、どのぐらい多いのか判らない。それはともかく、医療体制の不足、貧困層の不健康(肥満や糖尿病など)、医療保険の状況、マスクをしなかったり濃厚な挨拶をする文化的な違いなど、多くの感染爆発因子が想定できる。しかしながら、いくら何でも高熱を発し咳が絶えないような人は、あまり外出はせず家族以外には感染させないだろう。欧米で感染が爆発的に増えたのは、やはり「感染の自覚がない人」が広めてしまったのだと思う。そうすると、ウイルスそのものはやはり「弱毒化」した、つまり「増殖スピードが落ちた」と見るべきではないか。

 ウイルスの性格をどう理解するかは、対策の評価に直接影響する。「3密を避けよ」と言われたときに、気付くべきだった。要するに誰が感染しているか、判らないのである。それぐらい「怖いウイルス」なのではなく、ほとんど発症しない人までいるぐらい「弱いウイルス」なのである。しかし、特効薬がない段階では「重症化リスク」が高い人は死亡する。その致死率レベルは、おそらくインフルエンザの10倍程度だと思われる。以後の記事は、この認識を前提にして考えておくことにしたい。

感染研の分析結果)中国発の第1波においては地域固有の感染クラスターが乱立して発生し、“中国、湖北省、武漢” をキーワードに蓋然性の高い感染者を特定し、濃厚接触者をいち早く探知して抑え込むことができたと推測される。しかしながら、緻密な疫学調査により収束へと導くことができていた矢先、3月中旬から全国各地で “感染リンク不明” の孤発例が同時多発で検出されはじめた。このSARS-CoV-2 ハプロタイプ・ネットワーク図が示すように、渡航自粛が始まる3月中旬までに海外からの帰国者経由(海外旅行者、海外在留邦人)で “第2波” の流入を許し、数週間のうちに全国各地へ伝播して “渡航歴なし・リンク不明” の患者・無症状病原体保有者が増加したと推測される。この海外旅行者を契機とした同時多発と3月中旬以降の行動制限への理解が不十分だったことを鑑みても、由来元が不明な新型コロナウイルスが密かに国内を侵食し、現在の感染拡大へ繋がったと考えられる。
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安倍首相に見る「問いに正対しない能力」

2020年05月13日 17時06分17秒 |  〃 (新型コロナウイルス問題)
 安倍首相の国会答弁、あるいは記者会見での応答を見ていて、「問いに正対していない」と思うことが多い。それを「バカにしている」とか「理解力が不足している」などと批判する声もあるが、僕は違うと思っている。それは「問いに正対しない能力」だと思っているからだ。なんでそう思うのかというと、そういう人を21世紀になってからずっと見てきたからである。

 新型コロナウイルス問題で安倍首相は何回か記者会見を行っている。その様子は官邸ホームページに載っている。そこでは「エー」とか「あのー」とかの間投詞は省略されているから、ある程度スッキリした印象を与える。実際に生放送で聞いていると、何を言いたいんだかよく判らないことが多い。

 直近の5月4日、全国の緊急事態宣言を5月末まで延長した時の記者会見から引用してみる。
記者
 日本テレビの菅原です。よろしくお願いいたします。
 今回の感染者数の減少についてなのですけれども、残念ながら十分に期待されたレベルには達さなかったということだと思うのですけれども、この要因について、例えば休業に対する補償や支援によって十分な安心を与えられなかったとか、いろいろなことが考えられると思うのですけれども、政府としてこの要因をどのように分析していらっしゃるのかということと、それをこの先の1か月にどのように生かしていこうというふうにお考えでしょうか
(5月4日の記者会見)
安倍総理
 緊急事態宣言を発出してから、この1か月間、最低でも7割、極力8割、人との接触を減少していただきたいというお願いをさせていただきました。本当に多くの方々が御自宅で過ごしていただいていると思います。新規感染者数の減少はまだ十分なレベルとは言えないわけでありますが、例えば先ほど申し上げましたように、夜の街につきましても、全国で多くの、いわゆる夜の街においては、大体1割を下回るところもあります。営業しているところがですね。人の流れはほとんどもうなくなっているわけでありますが。また、例えば駅の改札などの通過数を見ますと、実はこれは8割から9割減っているのです。つまり、8割をそういうところでは大きく上回っている。夜の街でも、言わば8割を上回っているという大変な御協力を頂いています。
 そもそも罰則がない中でそこまでいただいている、協力を頂いていることに感謝を申し上げたいと思いますが、ただ、医療現場の過酷な状況の中において、更なる努力が必要である。1日の新規感染者を退院、回復される方、100人の水準以下に抑える必要があると、そのように判断をしたということであります。
 しかし、その中でも、先ほど申し上げましたように、そういう成果が出てきておりますので、この13都道府県におきましても、8割の接触回避のお願いをいたしますが、博物館や美術館や図書館などの使用制限を緩和したいというふうに考えているところであります。補償等につきましては、先ほど申し上げました持続化給付金について一日も早くお手元にお届けをしたいと、こう思っています。これは、国際社会で見ても遜色のない支援レベルだと思っています。

 質問に対して答弁が長いけれど、見事なまでに何も答えていない。質問は「感染者数が十分に減少しなかった要因の分析」と「分析結果を今後どのように生かしていくか」である。しかし、安倍首相は「罰則がない中、協力頂いていることに感謝したい」「美術館や博物館の使用制限を緩和したい」「補償金は国際的に遜色ないレベル」などということを羅列的にまくし立ているが、問いには答えていない。もし答弁の通りなら、感染者数が減って緊急事態宣言を解除できるはずである。延長せざるを得ず「責任を痛感している」はずの人が、1ヶ月の「分析」をしていないのか。

 しかし、これは例外的な答弁ではなく、国会も含めて大体いつもこんな感じである。「問い」に真っ向から答えるのではなく、問われていることからずれていって、自画自賛レベルで終わる。今までだと「問いに正対する能力」しか問題にされなかった。問われたら可能な限り素早く正答を導き出す。これが日本の学校で「試験」されてきた。だから問われていることに「正対しない」のは、「能力の不足」と考えられてしまう。実際、反安倍首相派には「無能」だと言って、「これ以上アベ政治が続くと、国民は(ウイルス対策や補償措置の遅れによって)殺されてしまう」と訴えている人が多い。(ちなみに反首相派の多くは、何故だか「アベ」とカタカナで表記するのが好きである。何でだろう?)

 いくら何でも「国政最大与党のトップ」を長く続け、その間国政選挙の何度も勝ってきた人がそれほど「無能」だということがあるんだろうか。安倍首相の答弁スタイルは、むしろ「問いに正対しない能力」の発揮だと考えた方がいいんじゃないだろうか。そう思うのは、21世紀初頭に東京都教育委員会の事務方(教育庁)の答え方を何度も聞く機会があって、ほとんど同じだからである。いろいろな研修において、教科書採択をめぐる請願において、いつも決まって「問いに正対しない」まま「時間だから」と消えていくのである。全くよく似ていると思うけど、都教委が発祥というわけじゃないだろう。

 21世紀に何が変わったのか。一つは「情報公開法」である。中央政府に対する情報公開制度が制定されたのは、1999年だった。もう一つは「インターネットの発達」である。この結果、官僚は文書に「ホンネ」を残さないような技術を発達させた。また一度の失言が何度も検索されてしまうから、「はっきりしたことは言わない」「言質を取られない」「わざとあいまいに答える」ということに注意が向くようになる。その結果「問いに正対しない」答弁力が磨かれてしまったんだと思う。

 それでも小泉元首相などは、21世紀になってもずいぶん乱暴な答弁や演説を繰り返していた。「(イラクでの)非戦闘地域がどこか、私に聞かれたってわかるはずがないじゃないか」というのが代表。でも小泉氏は長く自民党の中で「非主流」で、何度も自民党総裁選に立候補して、「変人」(by田中真紀子)とまで言われていた。小泉元首相にとって、権力の座は「勝ち取るもの」であり、そのためには「悪名もまた名声のうち」という「炎上商法」も必要だった。一方、安倍氏は小泉政権から権力を継承し、選挙区でも世襲だから、「何も言わない」ことに利益がある。

 2期目以降の安倍政権は、「日本を取り戻す」と称して「権力を勝ち取った」ように主張することがある。しかし、選挙の実態を調べてみれば、2009年の「政権交代期待票」が雲散霧消したことで自民党議員が当選し続けているだけだ。世論調査を見ても、安倍首相支持率は高いけれど、その理由は「他にいい人がいない」がいつも一番多い。だから、何もしなくても、というか何もしないほど、支持率が安定してしまう。「他の首相候補より優れていること」を証明する必要が無いのである。

 説明能力が不足して、リーダーシップを発揮しない人が最高責任者では困る。「エビデンス」なき政治がいつまでも続いては大変だ。しかし、日本の政治や経済の現場では「問いに正対しない能力」を発揮して、今の役職を務めてきた人が山のようにいるはずだ。やる気あるアイディアをつぶすことが彼らの今までの仕事だった。そのような社会の中で、安倍政権を批判しても、その声は半分の人にしか届かない。この問題は非常に難しい。「対抗デマゴーグ」の登場を願ってはいけない。きちんと「問いに正対する能力」を見極め、情報リテラシーを高める以外に生き延びる方法はないと思う。
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「エビデンス」なき安倍政治

2020年05月11日 22時13分39秒 |  〃 (新型コロナウイルス問題)
 日本のPCR検査数があまりにも少なくて、感染状況の全体像が見えないと批判されてずいぶん経つ。相変わらず増えていかないのは、日本社会の仕組みの中に「何か」があるということだろう。政府も、「専門家」も、感染者数や検査が増えない理由を問われても判らない。もちろん、無症状の人も一定数いるというウイルスだから、国家が完全に捕捉出来ている国はどこにもない。それにしてもある程度「全体像」が見えないと、「エビデンスなき対策」になってしまうとテレビで批判していたのは、今や「コロナの女王」と言われている岡田晴恵氏だっただろうか。

 「クラスター」とか「ロックダウン」とか、全然聞いたこともないカタカナ語を今回はいっぱい聞いた。日本語で言えばいいような言葉も多いけれど、まあ「エビデンス」ぐらいは判る。英単語的には必須だろうが、学問用語としては単なる「証拠」という以上の重い語感が感じられる。思いつき的な「証拠」ではなく、ちゃんと学問的な検証に耐えうる厳密さが要求される。

 しかし、と僕は思うなあ。今さら安倍政権の対応を「エビデンスがない」と批判しても、なんか「のれんに腕押し」感がしてしまう。森友学園問題加計学園問題の時に、もうそういう批判はずっとあった。昨年来の「桜を見る会」問題だって、これは安倍晋三後援会にしか関わらないことだから自分で証拠を出して「潔白」を証明すればいいだけのことだ。しかし、証拠を出したくても、証拠など存在しようもない「言い訳」をするから、何だかんだ証拠の提出を出し渋る。そのうち他の問題が起こって、いつのまにか「事実上の不問」状態になる。その繰り返しが安倍政権の7年半だった。

 どこかで安倍政権の支持率がものすごく下がり、地盤の弱い自民党若手議員が選挙を気にして、安倍退陣になっていたらどうだったのか。元々安倍氏が自民党総裁に返り咲いたとき、総裁任期は「2年2期まで」だった。だから政権に復帰した安倍政権は、長くても2016年までのはずだった。(総裁に復帰したのは、2012年9月。)その後に任期3年に変更され、自分の代から適用として、さらに3期まで可能とした。総裁任期を変えるのは、自民党という私的結社の自由だけれど、本来は自分までは従来のルールで、次の人から新ルールというのが普通だろう。プーチンやエルドアンなどを見てると、自分で変えて自分から適用するのが何だか国際ルールかと思ってしまうが。

 安倍首相に関しては、そもそも「エビデンス」を必要としない政治スタイルを取ってきた。突然の「全国一斉休校要請」がその代表例だ。施政方針で「ポエム」みたいな演説をとうとうと読み上げたこともあった。歴史認識問題でも「エビデンス」なしの「思い入れ」を持っているようだ。どうも「生育歴」に起因するのではないか。「エビデンス」に対する敵意すら感じることもある。そう言えば、夫人もスピリチュアルな傾向が強く、その影響もあるのかもしれない。右派的なスタンスの政治家は、「民族」「祖国」などの言葉だけで酔えるところがある。冷徹な「エビデンス」意識が薄れて行くのも当然か。

 安倍政権の「新型コロナウイルス」対応が場当たり的に見えたりするのも、国民に対する発信力が弱いのも、「エビデンス」意識がないということと合わせて、同じ根っこから発していると考えられる。もう安倍首相本人をあれこれ論じても遅い。今まで支持してきた人の考えを知りたいところだ。
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予想以上に多い(?)感染者数ー新型コロナウイルス問題

2020年04月22日 17時48分14秒 |  〃 (新型コロナウイルス問題)
 日本ではPCR検査数が少なすぎて実態を表していないという批判がずっとあった。それは間違いないと思うが、そのことを証明するように「変死者に感染者が多い」という報道があった。5都県で11人に上るという。路上で倒れて死亡していた人を調べたら感染していたケースは僕の住んでいる区だ。一人暮らしだったらしいから、誰にも相談できず受診もしなかったのか。感染源も判らないだろう。
(「変死者」に感染が多いというテレビ報道)
 これは検査数だけの問題ではない。国立感染症研究所は4月20日に「濃厚接触者の定義」を変更した。従来は患者が「発症した日以降」としていたのを、「発症2日前」に早めた。これは以前の記事で紹介したように、発症前に感染するという研究に基づくものだろう。こうなると、発症してないんだから、行動を自粛出来ない段階で他人にうつすことになる。そして案外発症しなかったり、軽症で済む人も多いらしいから、市中には予想以上に感染者が多いのではないかという観測が多くなってきた。

 そのため「抗体検査」を行って、実際にどのぐらいの人が抗体を持っているかを調査しようという動きが各国で起こっている。ニューヨーク州でも無差別に抽出した住民の抗体検査が始まった。スタンフォード大学の調査が報道されているが、カリフォルニア州サンタクララ郡の3300名の住民に対して、抗体検査を行ったところ、50名が陽性だったという。郡の人口に換算すると、48000から81000人の感染者がサンタクララ郡にいることになるらしい。PCR検査で報告されている感染者数の50~85倍である。誤差はあるだろうが、この数字を単純に日本に当てはめると、50万人の感染者がいることになる。
(ニューヨーク州の抗体検査)
 自治体で日本で感染者が一番多いのが東京都である。そこで毎日の感染者数が大きく報道される。見てみると、多少減って「最悪期」は脱したかという感じがしないでもない。しかし、検査数が増えてないんだから、これはまやかしの数字だ。実際には医療につながらない多くの感染者がいると考えられる。「爆発的感染」までには行ってないかもしれないが、「高止まり」が続いている。5月6日まで出されている「緊急事態宣言」も延長されるという観測が強い。

 今年は花見も出来なかった。ゴールデンウィークも旅行できない。デパートも映画館もやっていない。仕方ないのは判っている。ガマンもしないといけないだろうが、どこまで続くぬかるみぞ。東京新聞のコラム「筆洗」で小津安二郎監督の「彼岸花」のセリフを紹介していた。田中絹代の妻が佐分利信の夫に、戦争中のことを振り返って言う。「戦争は厭(いや)だったけれど、時々あの時のことがふっと懐かしくなることがあるの。あなた、ない?」「私はよかった。あんなに親子四人でひとつになれたことなかったもの」。何年か経って、こんな風に振り返る日も訪れるんだろうか?
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「一律10万円」、自民党議員も受け取るべきである

2020年04月21日 22時51分36秒 |  〃 (新型コロナウイルス問題)
 ちょっと新型コロナウイルス問題に戻って。政府は「一人当たり一律10万円給付」を決めた。一度閣議決定まで行った補正予算を引っ込めて組み直すことになった。政界の常識では「メンツ丸つぶれ」だが、まあ「異常事態」だからそれは追求しない。しかし、どうせこうなるんだったら、元々の本予算を組み替えていたら、それは大英断と評価されていただろうと思う。日本ではちょうど年度代わりに当たったこともあるが、予算案成立、特措法成立、補正予算編成とおよそ一ヶ月以上をムダにした。

 僕は4月4日に『「世帯」か、「個人」かー新型コロナウイルスの緊急経済対策』を書いて、「世帯ごと」給付案を批判した。それを考えると、「一人当たり一律」は一応評価出来るが、結局給付方法そのものは「世帯ごと」になるようだ。これではまた問題も起こるかと思うが、給付の時間を考えると仕方ないかもしれない。当初、首相が「すべての国民に」と述べたことから、定住外国人に給付されないのではという批判もあった。僕は前例に則って制度設計されるだろうと思ったから、あえて論評しなかった。
(「10万円」給付の仕組み)
 ところで、この「10万円給付金」を閣僚は受け取らないという。自民党議員も受け取らない方向で調整しているという。(「10万円給付、閣僚は受け取らず 自民の国会議員も調整」朝日新聞ウェブ版)これは多くの人が当然視しているかと思うが、僕はおかしいと思う。そのことはほとんど誰も言ってないようだから、ここで書いておきたい。僕は自民党議員も「10万円」を受け取るべきだと思う。ただし、受け取らないのが絶対的な間違いとは言わない。そこらあたりのことを詳しく説明したい。

 閣僚あるいは自民党議員が受け取らないというのは、要するに「歳費が支給されるので、生活に困ってないんだから、受け取るな」という「国民感情」を気にしてるんだろう。しかし、その時点ですでに勘違いがある。敢えて言えば「欺されかかっている」とさえ思う。3月9日付で「大胆な緊急経済政策が必要だー新型コロナウイルス問題」を書いた。そして「緊急経済対策」を予算案を組み替えても早期に実施するべきだと書いた。4月4日付記事の副題は「新型コロナウイルスの緊急経済対策」である。「一人10万円給付」はウイルス問題で急激に落ち込んだ経済を支えるための経済対策なのである。

 首相は3月1日に「今回の感染拡大によって経済的な影響を受けた事業者や、政府の要請を受けてイベントや営業等を中止した事業者については、それぞれが直面する課題について、その声を直接伺う仕組みを作り、強力な資金繰り支援を始め、地域経済に与える影響に配慮し、しっかりと対策を講じます」と述べた。これは今自分が3月9日に書いた記事から引用した。細かい日付などはもう忘れていたが、確かに首相は地方任せなんかじゃなくて「イベントや営業等を中止した事業者」に対する「しっかりした対策」を約束したのである。それは「一律10万円」のことではない。勘違いしている人がいると思うが、今ホントに困っている事業者への対策は別に緊急に講じなくてはならない。

 それは「約束」だったのである。「一律10万円」は元々「困っている人向け」ではないのだ。そこを勘違いさせてしまうのが、「困ってない人は受け取るな」論だ。世の中にはいろんな人がいて、野党が要求して安倍内閣も受け入れたんだから、安倍支持者は辞退せよとか言ってる人もいる。一方、首相の大英断を批判するだけの安倍批判者は受け取るなという人もいる。「公務員」は恵まれてるんだから受け取るなと煽動する人もいる。大変な現場で働いている保健所や公立病院のスタッフに辞退せよというのか。大体誰がどこに勤めているか、いちいち調べて確認してたら時間が掛かりすぎる。だから「一律」なんだから、みんな受け取ればいいのである。
(こんな書類が送られてくる)
 大体政府や自民党幹部の言ってることを聞いていると、「私=お金をあげる人」「国民=お金をもらう人」といった感覚を感じてしまう。国会議員は国民の代表なんだから、国民一律に10万円と決めたんなら受け取ればいいのである。そしてそれを「寄付」するなりして、有効に生かせばいい。ただ自民党議員のことだから、「寄付」と言っても医療機関じゃなくて、選挙区の自治体に「ふるさと納税」したりしかねない。それも「寄付」ではあるが、「公職選挙法」違反っぽい。自民党が一度全員分集めるのも面倒だから、最初から止めとく方が賢明かもしれない。

 10万円を辞退すれば、その分少額とは言え赤字国債を少なく出来る。そうも言えるだろうが、10万円を消費すればその分落ち込んだ経済を支えることが出来る。いま特に困ってる業界は、飲食店旅館や旅行社などの観光業界ライブハウスや演劇、音楽、ミニシアターなどの芸術・芸能業界ではないか。とすると10万円を貰っても、すぐには応援できないかもしれない。しかし、他にもお店は大体困ってるだろうし、世の中の経済を回すためには皆が好きなように消費すればいいんじゃないか。

 貯金しちゃいけないわけでもないが、出来れば少しでも誰かの役に立つように生かしたいと思う人が多いと思う。よほどの大金持ちなら別かもしれないが、みんなが受け取って生かしていけばいい。それを「誰それは受け取るな」「私は受け取らない」とか言い出すと、人々の間に分断をもたらすことになる。そういう言い方は止めるようにしたい。(それに自民党議員であっても、家族はまた別の事情もあるだろうから、家族分は受け取るべきだ。)
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発症直前に感染力が最高?ー「新型コロナウイルス」の特性(4.18段階)

2020年04月18日 22時48分13秒 |  〃 (新型コロナウイルス問題)
 「新型コロナウイルス」について、最初はものすごく危険なウイルスだと思わなかった。実際に、多くの人は感染しても軽症で済んでいるようだ。その意味では「軽い風邪」とみなしても、全く間違いではないと思う。しかし、世界の経済活動は急ブレーキがかかってしまい、全世界で大混乱が起こっている。欧米諸国ではたくさんの死者が出て医療崩壊が起こっている。「先進国」の意外な脆弱性を見せつけられた感じだ。それを追求するのも大切だが、そもそものウイルスをどう評価するべきか、現段階でいくつかの指摘をまとめておきたい。

 まず中国で流行したウイルスと欧米のウイルスは同じものなのか。ウイルスは構造が簡単なため、変異も大きいとされる。これに関して「新型コロナは3タイプ」という報道があった(朝日新聞4.10夕刊他)。検索すれば記事が出てくる。独英の研究チームが160人分のウイルス遺伝子を分析した結果、Aタイプ=コウモリから見つかったウイルスに最も似た群。広東省の住民や日本人、武漢滞在歴のある米国人から見つかった。Bタイプ=Aから別れて、武漢を含む中国や周辺国に多い。Cタイプ=Bタイプに由来し、フランス、イタリア、スウェーデン、米国、ブラジルなどだが中国では未発見。
(3タイプを示すという図表)
 画像は論文に掲載されたものだというが、僕にはよく理解出来ない。この分析が正しいかどうかの評価も出来ないが、やはり欧米では「欧米で流行しやすいタイプ」だったのかもしれない。ただし、民族ごとに感染しやすさに違いがあるかどうかも判らない。この問題については、今後もっと研究が進んでいくのを待ちたいと思う。さて、もう一つ非常に注目すべき研究が山中伸弥氏のホームページ「山中伸弥による新型コロナウイルス情報発信」に掲載されていた。このサイトは時々チェックすべき。

 「感染力は発症直前が最強か」(4.17)という重大な指摘。中国の広州第8人民病院の報告だという。「最初の感染者の発症日と2次感染者の発症日の間隔は、平均5.8日であった。一方、感染してから発症するまでの潜伏期は、平均5.2日と報告されている。この2つの数値の差は、2次感染者の多くは、最初の感染者が発症する直前(平均0.7日前)に感染したと推定される。」山中教授のコメントは「SARSは発症後7日目くらいが感染力のピークであり、発症者を隔離することにより2次感染を防ぐことが出来る。新型コロナウイルスは、発症前に感染力のピークがあるとすると、発症者の発見と隔離のみでは感染の封じ込めは出来ない。社会的距離の徹底が重要である。」

 発症しなければ、自分が感染しているかが判らないし、行動の自粛(仕事に行かずに家で休養する等)も出来ない。発症前に感染力が一番強いというなら、自分が感染したかもと疑問を持つ以前に誰か他人にうつしているのである。これでは一度爆発的に感染拡大が始まったら、なかなか止められないはずである。これはどういうことかと考えて見ると、「新型」であることとそれほど強力な「毒性」を持っていないということの複合だと思う。強力な「毒性」(細胞に入り込んでウイルスを複製する強さ)を持っていれば、新型だから免疫がないにせよ、もっと強力な「抵抗」を示してもいいと思う。

 風邪をひいたり、インフルエンザにかかると、普通はのどが痛み発熱する。その発熱こそが体の「抵抗」である。のどの炎症が起こって痛みが激しいのも、そこでウイルスと体の免疫機能が戦っている証だ。上気道の「のど」で抵抗して、本丸である奥の肺に敵が侵入しないように防御している。今回の報道では、発熱もそれほどではなく、のどの痛みなども見られないのに、肺炎症状になるという例もあるらしい。関所である「のど」が通過されてしまうのである。のどに炎症が起きれば、咳やくしゃみで排出しようとするから、発症後の方が感染力が強くなるはずだ。

 今回の新型は同じコロナウイルスでも、SARS、MERSのような「横綱級」ではない。だから少し安心していたのだが、なんというか「小兵力士」だからこそ存分に暴れ回っているという感じか。のどをやすやすと通過して、他の症状を出さないのに肺炎に至るという「トロイの馬」方式である。まあウイルスには知恵も感情もないけれど、もっと強力で致死率も高かったSARS、MERSが討ち死にしたので、今度は計略を使ってコロナウイルスを世界中に「繁栄」させることに成功したとでも言うべきか。

 もう一つ、他の病気で死んだ後で検査して感染が明らかになるというケースも報告されている。検査が足りないと言うよりも、ここでは「日和見(ひよりみ)感染」のようなことも想定可能かもしれない。日和見感染というのは、体の免疫力が衰えると体内にあったウイルスが活発化するヘルペスみたいなケースである。中国ではコロナウイルス肺炎と並行して肺炎球菌の肺炎も進行する事例があったという。もともと「基礎疾患があると悪化する」と言われていた。我々はそれを「基礎疾患」があって免疫力が弱いと新型ウイルスに対する抵抗力が弱くなると理解したと思う。しかし、コロナで弱った体に元々の疾患が悪さをして、そっちで死に至るということもあるのかもしれない。

 今のところ、研究は「今までにある薬の有効性」に集中していると思う。だが同時に新型コロナウイルスそのものの基礎研究も今後どんどん進んでいくだろう。とにかく前代未聞のウイルス禍であって、今までの常識があてにならない。発症前に感染させると言われても自分では防ぎにくい。ほとんど発症しないケースもあるようだし、潜伏期間も長いから自分が絶対に感染者じゃないという証明も出来ない。思った以上に「長い闘い」になるという観測も増えている。日本では味覚嗅覚の異常が広く見られている。その理由も判らない。人それぞれ、国それぞれで免疫にも違いがあるということかもしれない。
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「今そこにある」医療崩壊ー世界比較で医師が少ない日本

2020年04月16日 23時17分25秒 |  〃 (新型コロナウイルス問題)
 政府は「緊急事態宣言」を全国に広げると発表した。当時のブログでは愛知県や京都府を除外するのはおかしいと書いたが案の定だ。また政府は「世帯ごとに30万円給付」という緊急経済対策を打ち出し、国会で「全体で事業規模108兆円、GDP(国内総生産)の2割に当たる対策は世界的にも最大級だ」などと豪語していた。それが一転、「国民一人当たり10万円支給」に変わるという。「世界最大級」はどうしたんだ? こんなに「朝令暮改」が相次ぐとホントどうなってるのと思う。こういう批判が出て、こうせざるを得なくなるという想像力が働かないのだろうか。

 日本でも新型コロナウイルス感染者数が増え続け、「医療崩壊」が近い、いや始まっているという報道が多くなってきた。昔謀略小説をよく書いたトム・クランシーに「今そこにある危機」(1989)という小説があった。ハリソン・フォード主演で映画化もされたが、なんだかその題名を思い出してしまった。原題を調べると「Clear and Present Danger」という。この「Present Danger」が日本の病院にも迫っているという。自分では医療現場を実感で知ることが出来ないが多くの報道が危機的状況を示している。
(横倉医師会長の発言)
 報道によれば日本全国の感染者は9千名を超えたという。大都市ばかりではなく、地方でも感染者数が急拡大しているのは事実である。クルーズ船関係者を含めると死者も200名を越えた。しかし、死者が3万を超えたアメリカ2万を超えたイタリアに比べて、まだ相当少ない段階にある。それでも「医療崩壊」してしまうんだろうか。そこには新型コロナウイルス独自の問題だけに止まらず、特殊日本的な課題がそこに現れていると思う。

 まず「院内感染」が非常に多い。福祉施設も含めて報道されたものは全国で幾つになるんだろうか。特に最初に大きく問題化した東京都台東区の永寿総合病院のケースでは、なんと163人が感染し、入院患者20人が死亡している。この死者はウイルス感染肺炎で入院したわけではない。他の病気で入院していて、今は感染防止のため面会も出来ないまま、突然院内感染したと言われ、数日後に突然亡くなって最期も看取れないまま遺骨だけが届くのである。また永寿総合病院から、コロナウイルス感染者じゃない患者が慶応大学病院に転院したことから、そちらにも院内感染が及んでしまった。

 何でそんなことが起きたのか。ウイルスの特徴は別に考えることにしたいが、このような院内感染が各地で起きたことにより、患者を受け入れ可能な病院がどんどん減っていく。救急搬送されても受け入れられず、「たらい回し」される事態がすでに起こっているという。コロナウイルス患者が受け入れられないだけでなく、他の病気の患者のケアに回せる人的余裕も失われつつあるんだと思う。千葉の障がい者施設で起こった集団発生では、朝も全員検温していればもっと早く察知できたのではないかと思うが、人員的にそこまで手が回らなかったとニュースで聞いた。医療や福祉の現場では、もともと待遇も不十分なのに重労働が続き慢性的に人手不足だったのではないだろうか

 発熱をしても検査が受けられないという声も多い。「PCR検査」Polymerase Chain Reaction(ポリメラーゼ連鎖反応)は病原体のDNAを増幅させることによって検査する方法で、時間も人材も必要だ。(ポリメラーゼはDNA鎖を合成する酵素だそうだが、複雑なので僕には説明不能。ポリメラーゼ連鎖反応で検索すれば説明が出てくる。チェーン・リアクションで「連鎖反応」である。)

 意図的に検査させないという憶測もあるが、少なくとも首相自らが1万人、2万人と数値目標を挙げても目立った改善がないんだから、いつものように「現場無視の数値目標」なんだと思っている。保健所も手一杯、病院も受け入れ不能、若い患者はどうせ自宅療養しかないから検査は後回し。これなら熱が下げれば、クビにならないように仕事(アルバイト)に行く若い世代がいても責められない。

 医療者の世界比較を探してみると、やはり案の定、医師も看護師も日本は低かった。看護師はまだしも、医師の数は明らかに少ない。教育にかける予算が世界先進国の中で日本が非常に少ないことは教育界では知られている。だから多分そうだろうと思うんだけど、やっぱり医師の数が少なかった。その中で最前線で重労働を担っているんだから、医療従事者は本当に大変だ。「感謝」ではなく、「差別」を医療従事者に投げかける人が多くいる日本という国に驚き、悲しみ、怒りを感じている。
(人口当たり医師、看護師数の世界比較)
 我々にすぐ出来ることが何かあるか。特に緊急に出来ることは、まあSNS上などで感謝のメッセージを広げることもいいと思うけど、それ以上に今僕たちは他の病気やケガにならないことだと思う。好きで病気になるわけじゃないから、心筋梗塞や脳梗塞に突然なったら仕方ない。しかし防げることも多い。季節的にも、手洗い等をみんなしているから食中毒は少ないと思う。でも家で食べることが多いから、油断していると期限切れのものを食べて中毒することもあり得る。それ以上にケガである。家はけっこう危険な場所で転倒などがよく起こっている。宅配を頼むことが多いと、急いで出ようとして転倒することもある。注意すれば防げることで救急車を呼ばないように、みんなで気をつけたい。
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多和田葉子の「ベルリン通信」よりー新型コロナウイルス問題

2020年04月15日 21時03分16秒 |  〃 (新型コロナウイルス問題)
 最近世界的に評価が高くなっているベルリン在住の作家、多和田葉子に関して昨年二つの記事を書いた。「多和田葉子、高瀬アキの「晩秋のカバレット2019」」と「多和田葉子の小説を読む」である。その多和田葉子は時々朝日新聞に「ベルリン通信」という文章を書いている。4月14日付で掲載された記事はとても教えられることが多かったので、抜粋して紹介してみたい。
(多和田葉子)
 それは「理性へ 彼女は静かに訴える」と題されている。彼女とはアンゲラ・メルケル首相のことである。表題は本人が付けたものかどうか判らないけれど、新型コロナウイルス問題に揺れるドイツの状況を冷静にリポートして考えさせるところが多い。まず「飲食店も文化施設もすべて閉まっている今の生活は異常事態だ。家にこもっているせいか時間の流れが滞り、もう何か月もこの状態がつづいているような錯覚が時々起こる。」とある。

 そして、日本が夏に五輪を実施する気でいた頃、すでにドイツは「感染の広まる速度を遅らせることに重点を当てた対策が取られ始めた。」「(イタリアなどと)同じ失敗を繰り返さないためには社会生活を規制するしかない」「ドイツ人の甘えのない現実主義に感心してしまった。」というのである。

 「もう一つ感心したのは「高齢者や病人などの弱者を守る」という目標が常に強調されていたことだった。症状が重くなるのは主に高齢者だったので、若くて健康な人ならば軽い症状だけで済むと信じられていたせいか、三月下旬になってもまだベルリンの若者の多くはパーティに明け暮れていた。(中略)「弱者のために」という呼びかけにベルリンの若い人たちも徐々に応じ始めた。ドイツ人は個人の行動の自由を規制されることには敏感だが、メディアを通して短期間に集中的に議論が交わされ、情報が行き渡ったおかげか、みんなが納得するスピードがほぼ一致していた。(中略)コロナ危機が去った後に民主主義感覚が麻痺しているのでは困る。独裁政治は時にウイルス以上に多くの死者を出す。」

 「ライブハウスもジャズ喫茶もこのままでは潰れてしまう。個人経営のヨガ教室も理髪店も同じ心配を始めた。その不安に答えるように、国の予算が赤字になるのは承知の上で補助金を出す、とメルケル首相が発表した。零細企業は雇用者に払う給料の一部と家賃を肩代わりしてもらえる。フリーの俳優、演奏家、朗読会の謝礼を主な収入源にしている作家などは、蓄えがなくなって生活が苦しくなった場合は申請すればすぐに九千ユーロの補助金をもらえる、と書かれた手紙が組合から来た。わたし自身は補助金をもらう気はないが、文化が大切にされていることを実感するだけで気持ちが明るくなった。」

 「興味深いのは、ポピュリストたちが大幅に支持者を失ったことだ。彼らは以前、移民こそが国を蝕むウイルスであるかのような演説を行ってきたが、本物のウイルスが発生した今、ウイルスの危険性を否定するだけで現実的な対応のできない極右政党は支持者数を減らしている。(中略)今度の危機では住宅環境に恵まれない難民などを守ろうという雰囲気がベルリン全体に広がっている。」

 「テレビを通して視聴者に語りかけるメルケル首相には、国民を駆り立てるカリスマ性のようなものはほとんど感じられない。世界の政治家にナルシストが増え続ける中、貴重な存在だと思う。新たに生じた重い課題を背負い、深い疲れを感じさせる顔で、残力をふりしぼり、理性の最大公約数に語りかけていた。」 多和田葉子の書くメルケル首相のふるまいには、何か非常に深い大切なことがあると思う。世界に増える「ナルシスト政治家」とは誰と誰と誰…を指すだろう。

 全文は検索すれば朝日新聞の有料記事サイトで読める。(無料登録可能。)この「ベルリン通信」を読むと、文化を守るために即効的な対策がすぐに取られるドイツの状況が信じられないぐらい新鮮に見える。日本にいるだけでは、日本の異常さが判らない。それとウイルス対策としての外出自粛などは、「弱者のために」という社会連帯が強調されていることも印象的だ。これが日本には乏しい。「危険だから身を守れ」ということだけを強調するから、何と医療従事者に差別が生じ、心ない言葉をかける人までいるという見下げ果てた社会になっている。

 理性的に語りかけるのではなく、危機をあおりたてるような政治家ばかり見てきたから、今さら「連帯」などと言われても誰も信用しないかもしれない。安易に戦後の日独を比較するのは意味がないと思っているが、それにしても日本とドイツの戦後の歩みを感慨深く思い返すしかない。単に新型コロナウイルスの問題ではなく、戦争責任に目を閉ざし、「自己責任」と言い続けてきたことの帰結がここにある。(引用中のゴチック部分は引用者による。)
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今こそ「生存権」を確認し、「防衛」の意味を考える

2020年04月13日 22時38分00秒 |  〃 (新型コロナウイルス問題)
 新型コロナウイルスの感染拡大を受けて、安倍首相が4月7日(火)に「緊急事態宣言」を発した。ところが、その後様々な事業に対する休業要請が遅れた。政府と東京都の調整が遅れたとかで、ようやく10日になって発表された。これには多くの人が疑問を持っただろうが、特に早期に休業を決めた百貨店について、経産省が大手4社のトップを呼んで非難したというのには呆れてしまった。政府は「デパ地下」を開けて欲しかったらしいが、それは霞が関の官僚の都合なんだろうか。デパ地下が開いてれば便利かもしれないが、都心に多くの従業員や業者が行き来しなければならない。

 当然のこととして「休業要請」と「補償」はセットで発表されると思っていたら、それも違った。国家的な制度は作らないらしい。要請するのは都道府県知事だから、国は放っておくのだろうか。東京都はそれでも補償措置を作ったが、麻生財務相など「東京は金があるから」などと高みの見物である。日本という国家はどうなっているんだろうか。補償なくては生きるために店を開けなければならないという人も出てくるだろう。当然考えてあるだろうことが、全然詰められていないのだ。

 そんな中で多くの自営業者の悲鳴があがっている。多くの店がつぶれかねない。音楽、演劇、落語などの関係者、ライブハウスやミニシアターなども長引く「自粛」に困り果てている。そうしたら、夜の外出自粛要請で「接待を伴う」仕事も大変だそうで、「風俗業界」で働く女性が困っているという。子どもがいるシングルマザーはもともと貧困を強いられ大変なことが多い。他に働ける場も少なく、学校も休校になる中で困るだろうが、「休業補償」というとその業態を保護するのかと批判もある。

 このような事態を考えるとき、今こそ「日本国憲法第25条」の条文を思い出すべきではないか。
第二十五条 すべて国民は、健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する
 この条項でうたわれた権利を「生存権」と呼んでいる。どのような人であれ、すべて「生存権」を有しているという規定である。ここで言われているのは、仕事内容や「損害額」に関わらず「健康で文化的な最低限度の生活」が保証されるということだ。そのため「生活保護」という制度があるわけだが、今回は病気や障害で働けないわけではない。働く場も働く気もあったのに、突然のウイルス蔓延で職場を臨時的に閉じている。この臨時的突発事態に対しては、頭を柔らかくして臨時的な措置を講じるべきだ。

 憲法25条には「第2項」もある。今まであまり強調されなかったと思う。
2 国は、すべての生活部面について、社会福祉、社会保障及び公衆衛生の向上及び増進に努めなければならない。
 「社会福祉」と「社会保障」は、覚えてないかもしれないが中学社会科(公民的分野)や高校の現代社会などで触れられている。今までそこは一応授業でも触れていたかと思うんだけど、「公衆衛生」は意識しなかった。戦争直後のまだ衛生状態が悪いときには意味があったかもしれないが、現代日本ではほとんど意味がないように思っていた。それは間違いだった。今もまだ、今後もずっと「公衆衛生の向上及び増進」は社会福祉、社会保障と同様に重視していかないといけないのだった。

 「全国保健所長会」のホームページを見ると、保健所数の推移は下のグラフのようになっている。そのグラフで判る限りのデータで言えば、1992年度には852か所の保健所があった。2019年度には472か所に激減しているのである。大規模な自治体合併などもあったが、要するに「行政改革」「公務員削減」の名の下に減らされていったのだ。その間、「防衛費」は増え続けて生きた。「イージスアショア」(陸上配備型ミサイル迎撃システム)などそもそも「日本を守る」ためのものではない。真に「日本を守る」ことに税金を使うため、大胆に「不要不急」の防衛費の削減が必要だ。アメリカ製兵器に巨額を支払うのはまさに「不急」ではないのか。
(保健所数の推移)
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正気を保って生き延びる-緊急事態宣言の下で

2020年04月07日 23時37分22秒 |  〃 (新型コロナウイルス問題)
 いよいよ緊急事態宣言である。これが「遅すぎた」あるいは「危険なものだ」とする意見も多いが、まさに適切な時期に出されたものかどうか、もうすぐ判る。それまで「観察」を続けたいと思う。安易に結論を出せるほど、自分には感染症に関する知識も、日本の現状に関する基本データも持っていない。ここではいくつかの点を確認し、基本的に押さえておくべきことをいくつか書いておきたい。

 まず、この「緊急事態宣言」とは何なのか、よく判らない人がいると思う。いくら説明されても、「明日出ると判ってる緊急宣言」というものが判らない。2月末にあった「全国一斉休校要請」を思い出せば、あれこそ専門家の意見も聞かず、まさに「緊急」に言い出したのだった。それによって多くの人が困惑し、日常生活が激変したわけだが、「ここ1,2週間が山場」だというから、やむを得ず協力せざるを得なかった。あの時でさえ、全国一斉だったのに、今回は「7都府県」ということだが、感染者が100人を超えている愛知県京都府がなぜ除かれているのか。(北海道は最近の感染者が減少した。)

 今回は「都市封鎖ではない」ということを強調している。その結果「仕事をせざるを得ない人々」は外に出ないといけない。飲食店も開いているということだ。(まあ夜は閉めるだろうが。)じゃあ、「自粛要請」だったときと何が違うのか。よく判らないことが多すぎる。僕が思うに、政府が国民に強いメッセージを送るときには、今までに首相自らが「透明性の高い情報公開」を行っていたかどうかが問われる。「森友」「加計」「」「検察官定年延長」などで「論理破綻」の「説明」を繰り返してきた。だから今さら何を言われても、心に響かないのである。

 それにしても、未だかつてない事態である。これほど世界全体に恐怖と混乱が広がったことは、確かに第二次世界大戦以後で初めてだと思う。しかし、2011年の原発事故の時の方がもっと恐ろしかったと思う。怒りや悲しみも深かった。大地震そのものがかつてない揺れで恐ろしかった。1995年の阪神淡路大震災は東京ではテレビで見るだけだったが、3月の地下鉄サリン事件も恐ろしかった。そして繰り返される地震と台風災害。ここ何年か、恐ろしいことを毎年のように見聞きした。今回の危機も大変だけど、何とか「生き延びる」ことを目指すしかない。

 まずは自身と家族が「生命体」として「survival」しないといけない。しかし、武漢やニューヨークの死者数を見ても、中世ヨーロッパのペストのように人口の3分の1が死ぬというような事態は起こらない。日本でも感染率や致死率はほぼ同じと考えられる。だから、絶対に自分が感染しない、死なないとは断言は出来ないわけだけど、確率的には多くの人が生き残って「コロナ後の世界」を再建することになる。その時までに、また別のいくつかの「正気」「健全さ」が大事になると思っている。

 ウイルスに感染しないとしても、家にずっといたら他の病気になるかもしれない。心の健全さが失われるかもしれない。すでに中国や欧米では、家庭内暴力(DV)が激増していると言われる。家でゲームにのめり込んで「ゲーム依存症」になる子ども(大人)もいるだろう。どうしても運動が少なくなって、体重が増えたりする人もいるはずだ。スマホばかり見ていて、鬱屈した気分から極端な意見にばかり惹かれる人も出てくる。「陰謀論」で全てを考える人も増えるかもしれない。よりによって、こんな時に「補助金が出ることになったから、口座番号を教えてくれ」などといった電話を掛ける詐欺が現に出ている。ずっと一人で家にいると、引っかかる人もいないわけじゃないだろう。いろんな意味で「心の健全さ」が今ほど重要なときはない。踏ん張りどころだ。

 そして、人はただ個人で生きているわけではない。社会の網の目のような分業の中で生きている。その仕組みが壊れてしまうと、なかなか再建が難しい。今の政権は「文化が大切だ」というメッセージをほとんど発してくれない。広い意味の文化があって、僕らは生きている。例えば「映画」は残っても、大きな資本の映画館しか生き残れなかったら文化の多様性が失われる。公立の劇場が残っても、劇団やオーケストラが生き残れなかったら、そこに何の意義もない。レストランや居酒屋も街の文化だ。(だからミシュランガイドが評判になる。)僕は「3・11」の後で、大津波に襲われて壊滅した陸前高田を見た。今回は建物そのものは存在しているかもしれないが、終わった後に「何もない街」が残ってしまうかもしれない。「見えない津波」が襲ってきている。

 それ以上に、「コロナ後の世界」を構想していかないいといけない。どんなに「自由」が大切か、どんなに「文化」が大切か。プロ野球やコンサートや映画館が当たり前のように「そこ」にあったことが、どれほど大事なことだったか。それを守っていかないといけないと多くの人が考えるだろうか。それとも、もっと「強権政治」が必要だったと考えるか。中国を初め「外国」からウイルスがやってきたのだから「排外主義」に心をひかれるか。大きな歴史上の岐路がもうすぐやってくる。

 厚生労働省は2019年9月に、公立・公設の病院424病院の再編計画を打ち出している。全国の公立病院の25%にも当たるという。まだつぶされる前で良かった。この計画はまだ撤回されていない。全国の公立病院の4分の1をなくすなんて、そんなことが考えられるだろうか。そんなことが実現していれば、医療崩壊はもっと早く起こってしまったに違いない。(自分の地域の対象病院は検索を。)

 学校も「密」を避けよなどと言っているが、長年にわたって多くの人が「一クラスの生徒数を減らして欲しい」と要望してきた。教室に15人ぐらいならば、「密」にはならないし、自分で考える教育も、英語の「話す力」育成もずっとうまく行く。そして子どもが減っているんだから、教室は余っていた。しかし、教員数を増やすのではなく、学校を減らすことを行政は選んできた。東京の例で言うと、2019年に小学校が1331校、中学校が804校、高校が429校ある。(他に中等教育学校=中高一貫校、義務教育学校=小中一貫校があるが数字は略。)20年さかのぼって、1999年を調べてみると、小学校が1446校、中学校が848校、高校が458校あったのである。こういう行政を続けるのかを人々が問われるのだと思う。
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「世帯」か、「個人」かー新型コロナウイルスの緊急経済対策

2020年04月04日 22時47分01秒 |  〃 (新型コロナウイルス問題)
 新型コロナウイルスに関する緊急経済対策の骨子が4月3日にまとまった。「政府は3日、新型コロナウイルスの感染拡大により収入が減った世帯などへの現金給付の枠組みを決めた。給付額は1世帯あたり30万円とする。減収後の月収が一定の基準を下回る世帯に対象を絞り、高額所得者への給付は見送る。希望する人が市町村に自己申告して受け取る。」(日経新聞)

 これは大きく報道されたので、知ってる人が多いだろう。決まった経緯に関しては、以下の通り。「安倍晋三首相は同日、首相官邸で自民党の岸田文雄政調会長と会談し、1世帯あたり30万円とする意向を伝えた。岸田氏は会談後、記者団に「1世帯30万円で首相と認識が一致し、了解をいただいた」と述べた。(日経新聞)事前には20万といった観測を流しておいて、首相が上積みを決定し、党の政調会長を立てた形で公表するというシナリオだと思われる。

 なお、夫婦二人世帯には減額し、子どもが多いと増額する仕組みになるらしい。在住外国人にも支給される。ただし「減収世帯」に限られるので、誰でも貰えると誤解していると失望することになる。それはともかく、ここで問題にしたいのは「各世帯」ごとに給付するというやり方についてである。「公明党は3月末の提言で、「家計に深刻な影響を生じている方々」に「1人10万円」の給付を求めていた。同党の石田祝稔政調会長は3日の記者会見で、30万円の給付額について「1世帯あたりの人数は大体2・27人。3人世帯なら30万円と計算がピタリと合う」と容認する考えを示した。」(朝日新聞)
(4月2日の政府与野党連絡協議会 中央は西村明宏官房副長官)
 ところで、政府・自民党で決定する前日に「政府・与野党連絡協議会」が開かれた。「家計支援や倒産・失業防止に向け、立憲民主党などの野党共同会派は、全国民に1人当たり10万円以上、総額十数兆円規模を現金で支給するよう提言。「給付金は課税対象とすることなどにより、実質的に高額所得者への給付金減額を行う」とした。」(時事通信)なお、この協議会には、政府側からは西村官房副長官、自民党は田村憲久政調副会長が出ていた。トップの責任者は野党と会わないのである。

 さて、以上は事実関係の確認である。報道を見る限り、公明党と「野党共同会派」(立憲民主党、国民民主党、社会民主党および無所属議員)は「一人当たり」の支給を求めている。それに対し、自民党が「世帯支給」で押し切ったことが判明する。公明党は「計算が合う」と容認するという。しかし、僕が書きたいのは「お金の問題」ではなく、「思想の問題」である。世界にそんな支給方法を取る国はないだろう。「世帯」なんていうカテゴリーで国民を把握している国自体がないと思う。もちろん、どこの国だって「家族」で住んでいるわけだが個人で「住民登録」するだけだと思う。

 さすが自民党は「改憲案」に「家族条項」なるものを入れただけのことがある。その条項というのは、憲法24条に「家族は、社会の自然かつ基礎的な単位として、尊重される。家族は、互いに助け合わなければならない。」と書き込むというものだ。憲法に「互いに助け合わなければならない」なんて、道徳の教科書みたいなことを書くのか。だから「立憲主義を理解していない」と判るのである。それにしても、なんで今どき「個人」じゃなくて、「世帯」なんだろうか。支給方法だけ取っても、個人に支給する方がずっと簡単だ。頭の中に今も「家族制度」が存在しているのだろう。

 これじゃあ、いろんなことが現実社会とずれてくるはずである。「選択的夫婦別姓」や「同性婚」などの問題意識を持つことが出来ないのも当然だろう。いろんな人がこの政策について語っているが、「世帯支給」に固執した自民党の「思想的背景」に触れているものが少ない。人は個人で「納税」している。「世帯ごとの納税」ではない。税金のペイバックも個人に対して行うというのが当然ではないか。お金の多寡以上に、自民党に彷徨っている「家制度」の亡霊が気になる。
(現金給付のポイント)
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