10月からずっと谷崎潤一郎を読んでいて、計14冊になる。文庫に入っている主要作品は大体読んだことになる。いや、けっこう大変だった。今谷崎を読まなければならない内的必然性なんか全然なく、単に溜まっているから片付けようというだけ。近代日本文学史に残されたピースを埋めたいだけなのだ。谷崎は若い頃に何冊か読んで、その後ずっと読んでなかったが、数年前に『細雪』を読んだことはここで3回書いた。今回読んでみて、案外詰まらないもの、古びたものが多いのに驚いた。
谷崎潤一郎(1886~1965)はもちろん同時代に新作を読んだ作家ではない。でも、僕の若い頃は作家死後10~20年程度しか経ってないので、そんな昔の作家とも思ってなかった。それから早半世紀、今では100年前に書かれた作品を読むんだから、世の中の風俗、生活洋式も大きく変わってしまった。『刺青』で新進作家と認められたのは1910年で、その後幻想、怪奇的な作風で知られた。新奇な風俗に関心が強く、映画『アマチュア倶楽部』のシナリオも書いている。
東京都中央区日本橋人形町の生まれだが、1923年の関東大震災を機に関西に居を移した。その後、「日本趣味」に回帰し数多くの傑作を生み出した。それらの中で今も傑作として読めるのは、『痴人の愛』(1924)、『卍』(1928)、『蓼喰ふ虫』(1929)だろう。特に『痴人の愛』は『春琴抄』『細雪』に並ぶ有数の傑作だった。何度も映像化されていて、僕も映画を2本見ているので、大体の筋は知っていた。でも読むのは初めてなのである。この長編小説は神戸時代に書かれたが、舞台は東京である。
電気会社の技師河合譲治が浅草のカフェで、まだ少女のナオミを見初める。そして家庭事情もあるらしいナオミを引き取って、教育を施して自分にふさわしい女性に育てたいと思った。そして東京南部の大森に居を定める。ナオミという名前は「ハイカラ」な「変わった名前」だと言われている。ナオミはまだ15歳というんだから、今では「犯罪」になるだろう。これは現代の「源氏物語」なんだと思う。光源氏が若紫を引き取って理想の女性に育てようとしたのと同じく、譲治はナオミを自分好みの女に仕立てたい。ところが身分制度の崩れた近代社会ではそんなことは不可能で、ナオミは「小悪魔」となり譲治の支配者となっていく。
谷崎文学は「異常性愛」「マゾヒズム」で知られるが、この頃の作品はその絶頂といっても良い。特に『痴人の愛』は今の感覚で見ても「異常」な展開になっていくが、文章はキビキビして生きが良く紛れもない傑作。何度か映画化されているが、ナオミは最初の木村恵吾監督版(1949年)の京マチ子が最高だと思う。しかし、譲治は宇野重吉なのでマジメすぎて、1967年の増村保造監督版の小沢昭一の方が似合っていた。(ナオミは安田(大楠)道代。)ナオミはダンスを覚えて享楽的な女になり、大学生と浮名を流すようになる。譲治は徹底的に引きずり回されるが、「美にひれ伏したい」谷崎マゾヒズムの白眉だ。鎌倉での避暑なども含め、大正時代の東京の「中流」生活の様子も興味深い。読んで気持ち良くなる作品じゃないけど、うまく出来ている。
『卍』(まんじ)は同性愛を描いた作品として著名。だが今読むと、そのこと以上に「大阪弁の語り小説」として読解が難しい作品になっている。『痴人の愛』も譲治による回想として書かれているが、いわゆる「標準語」だからスラスラ読める。『卍』は大阪の言葉に直すために助手を付けて徹底的に直した。その結果、僕には読みにくくて困った。この小説は柿内園子という女性が、夫がありながら徳光光子という女性に惹かれる。ところが、光子には綿貫という男が付きまとっている。そして様々な駆け引きが行われ、人心操作小説になっていく。そこが思ったよりも詰まらないところ。結末も判るようで判らない(僕には)。
『蓼喰ふ虫』は新潮文庫に『蓼喰う虫』として入っているが、小出楢重の挿画が「完全収録」された中公文庫版『蓼喰ふ虫』を読んだ。この小説は谷崎の「日本回帰」として重要視され、内容的にも傑作と言われることが多い。でも相当に読みにくくて、僕は何だかよく判らなかった。愛情の冷めた夫婦がいて、子どもの手前取り繕っているが離婚も考慮している。妻は決まった愛人があり、夫公認で日々会いに行っている。夫は秘密の「売春クラブ」みたいなところに長年通っている。(遊郭があった時代だがそういう場所ではなく、「神戸」という国際港ならではの外国人経営の不思議な場所である。)
そんな不可思議な関係の話かと思うと、まあそうなんだけど、それ以上に人形浄瑠璃(文楽)のついての講釈なのである。そもそも冒頭が妻の父から招待されて、浄瑠璃に行くかどうかという場面。その後、淡路島に義父、その妾とともに淡路の人形浄瑠璃を見に行ったりする。これは今重要無形文化財に指定され、「淡路人形座」で上演されている。昔はもっと野趣に富んだ上演形態で、ジャワ島の影絵芝居を見に行くみたいな雰囲気だ。この場面が非常に好きだという人がいるらしいし、確かにとても印象的。でも、全体的に浄瑠璃講釈が多すぎで、そういう好事趣味が谷崎文学の特色でもあるけど、付いていけない人も多いと思う。
ところで、異常な性愛ばかりを書き綴った谷崎だが、実は大体モデルがあるんだという。谷崎は1915年に石川千代と結婚し、翌年に長女が生まれる。しかし、翌年には妻の妹石川せい子(同居して谷崎が音楽学校に通わせていた)が好きになり、この女性が『痴人の愛』のモデルだという。せい子は谷崎脚本の映画『アマチュア倶楽部』で、女優葉山三千子としてデビュー。『浅草紅団』などに出演した。せい子は谷崎の求婚を断り、映画界で活動したが、1932年にサラリーマンと結婚して引退した。
妻の千代は夫に顧みられず、それに同情した作家佐藤春夫と親しくなった。このため『蓼喰ふ虫』のモデルは長らく佐藤ではないかと思われていたが、実は違うという。当時谷崎宅で書生をしていた和田六郎が本当のモデルだという。和田は戦後になってミステリー作家大坪砂男となった人物である。一方、谷崎は一時妻を佐藤に譲ると言いながら谷崎が前言を翻し、二人は1921年に絶交した(小田原事件)。1926年に和解し、千代と和田が結ばれることに佐藤が反対し、結局1930年になって谷崎と千代は離婚、千代は佐藤春夫と結婚する。三人連名の挨拶状を送り、「細君譲渡事件」と騒がれた。まあ驚きの文壇エピソードである。
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