尾形修一の紫陽花(あじさい)通信

教員免許更新制に反対して2011年3月、都立高教員を退職。教育や政治、映画や本を中心に思うことを発信していきます。

映画『八犬伝』(2024)と『里見八犬伝』(1983)、比べて見ると

2024年11月15日 22時33分47秒 | 映画 (新作日本映画)

 真田広之が『将軍』でエミー賞を取ったのを記念して、新文芸坐で「世界の真田広之へ、その軌跡」という特集上映をやっている。日本時代の代表作『たそがれ清兵衛』がないのは残念だし、時節柄来年の大河ドラマに関連する『写楽』もやって欲しかった。それはともかく、深作欣二監督『里見八犬伝』(1983)を見てなかったので、この機会に見てみた。角川映画の大作で、1983年末の正月映画だったらしい。まったく記憶にないのだが、就職、結婚した年なので、人生上一番多忙だった時期なのである。

 2024年のいま、曽利文彦監督『八犬伝』という映画もやっている。じゃあ、合わせて見比べて見ようと思った。「八犬伝」なんだから、八犬士が珠を持っているのは同じで、その表現もほぼ同じように光っていた。しかし、感触的には全然違っていて、『八犬伝』は作者である曲亭(滝沢)馬琴が登場して、物語を創作する現実世界と物語内の虚構世界を交互に描き分けている。一方、『里見八犬伝』は虚の世界だけを描いている。しかも内容的には「勧善懲悪」よりも、薬師丸ひろ子と真田広之のラブストーリーになっていくのでビックリした。19歳の薬師丸ひろ子を見たい観客もいるだろうが、新作の『八犬伝』の方が傑作だろう。

 両者が違うのも当然で、原作が違うのである。『里見八犬伝』は鎌田敏夫新・里見八犬伝』、『八犬伝』は山田風太郎八犬伝』が原作である。長大かつ近代以前の物語である曲亭馬琴南総里見八犬伝』は、もう著作権も関係ないので自由に翻案しているわけだ。新作『八犬伝』は、馬琴が役所広司、妻お百が寺島しのぶ、息子宗伯が磯村勇斗、その妻お路が黒木華と馬琴一家が超豪華キャスト。そこに葛飾北斎が内野聖陽、鶴屋南北が立川談春、中で演じられる歌舞伎を中村獅童尾上右近がやってる。北斎と馬琴は実際に知人だったということだが、こんなにひんぱんに訪ねていたわけじゃないだろう。

(馬琴と北斎)

 南北の『東海道四谷怪談』が評判になって、二人が見に行くシーンがある。その歌舞伎シーンは香川県琴平町にある現存最古の芝居小屋金丸座で撮影され、実際の「奈落」が出て来る。そこに作者の南北が現れ、馬琴と虚実論争を交わすシーンが、実はクライマックスでもある。何が虚で、何が実か。この映画も「虚」に賭けて後半生を「八犬伝」完成に費やした馬琴、失明後は嫁のお路との関わりが一番丹念に描かれている。お路が代筆して完成したことは有名な史実で、僕も見る前から知ってたが、いくらでも熱演できる黒木華の抑えた演技が心に残る。馬琴とその家族を描いたシーンこそ、この映画の見どころだろう。

(八犬士)

 一方、その分「虚」の伝奇物語の方は、あまり有名俳優も出ていない。伏姫が土屋太鳳、玉梓が栗山千明、淡路が河合優美と女優はそれなりなんだけど、肝心の八犬士は僕は知らない人ばかり。だが筋書き自体は原作にほぼ沿っているらしい。僕は原作は現代語訳でも読んでないけど、ネットで調べると妖刀村雨を古河公方に献上しようとして、疑われるシーンなど原作通り。そこの特撮アクションはとても面白く出来ている。だけど、面白くなってきたところで、現実の馬琴の悩みになっちゃうんで、アクション、ファンタジー映画という意味では、中途半端な感じもする。馬琴の「実」生活の方が面白いのである。

(『里見八犬伝』)

 一方、深作欣二監督『里見八犬伝』は一大冒険ファンタジー映画としては面白い。八犬士も千葉真一、寺田農、志穂美悦子、それに最後に加わる真田広之など、豪華な面々。ただし、村雨を献上するとか原作由来のシーンはほとんどない。里見家には静姫薬師丸ひろ子)がいて、ひたすら逃げまくる。つまり黒澤明監督の『隠し砦の三悪人』みたいな話なのである。まあ玉梓夏木マリ)は悪の統領として出て来て、薬師丸ひろ子と戦う。その城は戦国時代だというのに、中世ヨーロッパの古城かなんかみたい。主題歌が英語のロック調ということもあって、昔のハリウッド製冒険映画っぽい感触である。

 どうも不思議なところの多い映画だったが、実は当時の深作欣二監督の大作映画には似たようなものが多い。ハリウッドを越えると意気込んで、結果的に怪作になったような作品である。深作監督の大作だから見なかったのかも知れない。そして最後は薬師丸ひろ子、真田広之が手に手を取って馬で去って行く。(薬師丸ひろ子は実際に乗馬していると思う。)大ラブロマンス映画になっちゃって、二人はキスシーンまであるのである。

 『南総里見八犬伝』は1814年から1842年にかけて刊行された。これはフランスでアレクサンドル・デュマが『三銃士』(1844)や『モンテクリスト伯』(1842~1846)を書いたのとほぼ同年代である。「近代文学」以前の「勧善懲悪」文学である。ところで、里見家は房総半島に土着の一族ではない。新田氏につらなる源氏の一門だが、安房で戦国大名になった事情はまだよく判ってないらしい。古河公方、堀越公方に続く第三の関東公方(自称)の「小弓公方」を支持して関東の独自勢力となった。関東は本来「公方」と「管領」という体制で、そっちの方が正統のはず。現実の里見氏が勝つと「勧善」なのも不思議だが、300年前の話だから江戸の人々もどうでも良いんだろう。


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