2022年8月の訃報3回目。精神科医でエッセイストの中井久夫が8月8日に死去、88歳。僕はこの人の訃報が日本人の中ではもっとも重要だと思っている。ただし、余りよく知らないし、読んだこともない。語学に堪能で多くの翻訳があるが、ギリシャの詩人カヴァフィス全詩集翻訳で読売文学賞を受賞しているけれど、読んでる人は普通いないだろう。中井久夫の名前を知ったのは、95年の阪神淡路大震災以後だった。長く神戸大学、甲南大学で勤め自宅が被災した。震災後の被災者ケアに力を注ぎ、PTSD(心的外傷後ストレス障害)という言葉が一般的に知られるようになった。2004年に開設された「兵庫県こころのケアセンター」の初代センター長も務めた。文化功労者。
(中井久夫)
もともとは統合失調症治療の専門家で、患者に川や山などの絵を描いてもらう「風景構成法」を考案したことで知られる。僕は詳しく語ることが出来ないが、数年前に「山竹伸二「こころの病に挑んだ知の巨人」」というちくま新書を紹介した。森田正馬(まさたけ)、土居健郎(たけお)、河合隼雄、木村敏(びん)、中井久夫の5人の精神科医が取り組んだことを論評した本である。中井久夫は現代日本に珍しい破格のスケールの「知の巨人」だった。フランスの詩人ヴァレリーの翻訳もあり、(ヴァレリーと同じく)「中井久夫を国葬に」というツイートが評判になったという。(なお著名人の追悼記事に定評ある朝日新聞は追悼記事を掲載しないのかと思っていたら、ようやく9月7日に斉藤環氏の思いのこもった追悼文が掲載された。)
(風景構成法)
精神科医つながりで、福島章が1日死去、86歳。現役で活躍していたときは非常に有名な人で、著作もものすごく沢山あった。犯罪心理学の研究で知られ、多くの著名事件の精神鑑定を担当した。大久保清事件、新宿西口バス放火事件、深川通り魔事件などである。犯罪心理学の著作も多いが、他にも宮沢賢治やベートーヴェンなど芸術家の心理分析、「天才」の研究など幅広く一般書を書いている。僕は『青年期の心―精神医学からみた若者』(講談社現在新書、1992)という本が仕事上大変役に立った覚えがある。
(福島章)
落語家の三遊亭金翁が8月27日に死去、93歳。僕はこの人をテレビ「お笑い三人組」で小学生の時から知っている。当時は小金馬である。その後、67年に4代目金馬を継いだ。僕が寄席に時々行くようになった頃には、もうあまり出ていなかったから、寄席で聴いたことが一度もなかった。金馬を息子に譲って金翁を襲名したとき(2020年9月)も行きそびれてしまった。たまたま今年1月の紀伊國屋寄席に出ていたので、この機会を逃しては二度と聴く機会はないと思って出掛けていった。その事は「紀伊國屋寄席で金翁、さん喬を聴く」に書いた。「文七元結」「芝浜」らを得意としたという。1941年に3代目金馬に入門したが、戦時中に入門した最後の落語家だという。それにしても「お笑い三人組」なんて、今でも覚えている人はどれだけいるんだろう。
(三遊亭金翁)
京セラとKDDIの創業者である実業家、稲盛和夫が24日死去、90歳。鹿児島出身で、鹿児島県立大(現鹿児島大)卒業後、京都の松風工業を経て、1959年に京都セラミックを創業した。(1982年に京セラに改称。)半導体を保護するパッケージの開発に成功し、会社を急成長させた。会社の各部門ごとに独立採算で運営する「アメーバ経営」で知られた。電気通信事業の自由化に伴い「第二電電」(DDI)を設立し、これが現在のKDDIになった。小沢一郎と知己で、同じ京都の前原誠司の支援者としても知られた。そのつながりから、民主党政権時代の2010年に経営破綻した日本航空の会長となった。もっとも今も係争中のリストラを断行しての「再建」は評価して良いのだろうか。若手経営者を育てる「盛和塾」、稲森財団による「京都賞」(科学・芸術分野の顕彰)を設立するなど、確かに並みの経営者ではなかったが。65歳になった1997年に経営の一線を退き、臨済宗の得度を受けた。
(稲盛和夫)
報道写真家の笹本恒子が15日死去、107歳。女性の報道写真家の草分けで、戦前からヒトラー・ユーゲントの来日などを撮影した。戦後は占領中の東京をフリーカメラマンとして撮影した。70代で写真家に復帰し、宇野千代や沢村貞子などを撮影。2011年吉川英治文化賞。2014年には「笹本恒子 100歳展」を各地で開催した。
(笹本恒子)
医師の近藤誠が13日死去、73歳。慶応大学病院でガンの放射線治療医を長く勤め、80年代から乳ガンの乳房温存療法を提唱した。96年に『患者よ、がんと闘うな』を出版して大ベストセラーになった。その後もガンは放置しても良い、ガン治療が患者を殺すなどの本を大量に書いている。最初の本はなかなか面白かったが、その結果放置して治るガンまで治療しない患者が出ていると医学界の批判も強い。僕にはなんとも言えないけれど、一冊ぐらい読んでもいいかと思う。
(近藤誠)
ミュージカル女優の久野綾希子(くの・あきこ)が22日に死去、71歳。72年に劇団四季に入団、『エビータ』の日本初演でエビータ役を演じた。他にも『ウエストサイド物語』のマリア、『ジーザス・クライスト・スーパー・スター』のマリアなど多くのミュージカルで主演し、劇団四季の看板女優だった。86年に退団後は『奇跡の人』『ハムレット』など多くの舞台に出演した。
(久野綾希子)
俳優の古谷一行(ふるや・いっこう)が23日死去、78歳。77年からテレビで横溝正史原作の金田一耕助を演じて人気を得た。土曜ワイド劇場や火曜サスペンス劇場などで長く活躍した。映画では岡本喜八監督の『ジャズ大名』など。
(古谷一行)
映画監督の小林政広が20日死去、68歳。ピンク映画の脚本家として活躍後、自分で会社を設立して製作した映画『殺し』『歩く、人』などをカンヌ映画祭に出品した。2005年の『バッシング』はイラクでの日本人人質事件をモデルにしてカンヌ映画祭のコンペに選ばれた。2007年の『愛の予感』でロカルノ映画祭金豹賞。2010年の『春との旅』、2013年『日本の悲劇』、2016年『海辺のリア』と仲代達矢主演の映画を監督した。全部は見ていないけど、通常の映画作りを超越して、自分の思いを日本の状況にぶつけるような映画を作っていた。はっきり言って成功した方が少ないと思うけど、『春との旅』は面白かった。海外の方が評価が高い人。
(小林政広)
・市田ひろみ、1日死去、90歳。服飾評論家。着物文化の普及に努めた。
・青木新門、6日死去、85歳。作家。93年の『納棺夫日記』が『おくりびと』として映画化された。
・二木英徳、10日死去、85歳。元ジャスコ社長。元日本チェーンスト協会会長、日本体操協会会長を10期務めた。
・鈴木礼治、15日死去、93歳。83年から4期愛知県知事を務めた。愛知万博や中部空港などの実現に尽力した。
・金子宏、23日死去、93歳。法学者。東大名誉教授。専門は租税法で、2018年に文化勲章を受章。
・光原百合(みつはら・ゆり)、24日死去、58歳。ミステリー作家。「十八の夏」で日本推理作家協会賞短編賞受賞。
・森川時久、28日死去、93歳。1966年にフジテレビの「若者たち」が評判になった。5人兄弟がたくましく生き抜く様を描くが、社会的テーマも扱ったため中止された。森川はフリーになって映画版の『若者たち』三部作を監督した。主題歌も有名で今も歌い継がれている。その後も数多いテレビドラマ、映画を監督しているが、結局『若者たち』で記憶されている。
(中井久夫)
もともとは統合失調症治療の専門家で、患者に川や山などの絵を描いてもらう「風景構成法」を考案したことで知られる。僕は詳しく語ることが出来ないが、数年前に「山竹伸二「こころの病に挑んだ知の巨人」」というちくま新書を紹介した。森田正馬(まさたけ)、土居健郎(たけお)、河合隼雄、木村敏(びん)、中井久夫の5人の精神科医が取り組んだことを論評した本である。中井久夫は現代日本に珍しい破格のスケールの「知の巨人」だった。フランスの詩人ヴァレリーの翻訳もあり、(ヴァレリーと同じく)「中井久夫を国葬に」というツイートが評判になったという。(なお著名人の追悼記事に定評ある朝日新聞は追悼記事を掲載しないのかと思っていたら、ようやく9月7日に斉藤環氏の思いのこもった追悼文が掲載された。)
(風景構成法)
精神科医つながりで、福島章が1日死去、86歳。現役で活躍していたときは非常に有名な人で、著作もものすごく沢山あった。犯罪心理学の研究で知られ、多くの著名事件の精神鑑定を担当した。大久保清事件、新宿西口バス放火事件、深川通り魔事件などである。犯罪心理学の著作も多いが、他にも宮沢賢治やベートーヴェンなど芸術家の心理分析、「天才」の研究など幅広く一般書を書いている。僕は『青年期の心―精神医学からみた若者』(講談社現在新書、1992)という本が仕事上大変役に立った覚えがある。
(福島章)
落語家の三遊亭金翁が8月27日に死去、93歳。僕はこの人をテレビ「お笑い三人組」で小学生の時から知っている。当時は小金馬である。その後、67年に4代目金馬を継いだ。僕が寄席に時々行くようになった頃には、もうあまり出ていなかったから、寄席で聴いたことが一度もなかった。金馬を息子に譲って金翁を襲名したとき(2020年9月)も行きそびれてしまった。たまたま今年1月の紀伊國屋寄席に出ていたので、この機会を逃しては二度と聴く機会はないと思って出掛けていった。その事は「紀伊國屋寄席で金翁、さん喬を聴く」に書いた。「文七元結」「芝浜」らを得意としたという。1941年に3代目金馬に入門したが、戦時中に入門した最後の落語家だという。それにしても「お笑い三人組」なんて、今でも覚えている人はどれだけいるんだろう。
(三遊亭金翁)
京セラとKDDIの創業者である実業家、稲盛和夫が24日死去、90歳。鹿児島出身で、鹿児島県立大(現鹿児島大)卒業後、京都の松風工業を経て、1959年に京都セラミックを創業した。(1982年に京セラに改称。)半導体を保護するパッケージの開発に成功し、会社を急成長させた。会社の各部門ごとに独立採算で運営する「アメーバ経営」で知られた。電気通信事業の自由化に伴い「第二電電」(DDI)を設立し、これが現在のKDDIになった。小沢一郎と知己で、同じ京都の前原誠司の支援者としても知られた。そのつながりから、民主党政権時代の2010年に経営破綻した日本航空の会長となった。もっとも今も係争中のリストラを断行しての「再建」は評価して良いのだろうか。若手経営者を育てる「盛和塾」、稲森財団による「京都賞」(科学・芸術分野の顕彰)を設立するなど、確かに並みの経営者ではなかったが。65歳になった1997年に経営の一線を退き、臨済宗の得度を受けた。
(稲盛和夫)
報道写真家の笹本恒子が15日死去、107歳。女性の報道写真家の草分けで、戦前からヒトラー・ユーゲントの来日などを撮影した。戦後は占領中の東京をフリーカメラマンとして撮影した。70代で写真家に復帰し、宇野千代や沢村貞子などを撮影。2011年吉川英治文化賞。2014年には「笹本恒子 100歳展」を各地で開催した。
(笹本恒子)
医師の近藤誠が13日死去、73歳。慶応大学病院でガンの放射線治療医を長く勤め、80年代から乳ガンの乳房温存療法を提唱した。96年に『患者よ、がんと闘うな』を出版して大ベストセラーになった。その後もガンは放置しても良い、ガン治療が患者を殺すなどの本を大量に書いている。最初の本はなかなか面白かったが、その結果放置して治るガンまで治療しない患者が出ていると医学界の批判も強い。僕にはなんとも言えないけれど、一冊ぐらい読んでもいいかと思う。
(近藤誠)
ミュージカル女優の久野綾希子(くの・あきこ)が22日に死去、71歳。72年に劇団四季に入団、『エビータ』の日本初演でエビータ役を演じた。他にも『ウエストサイド物語』のマリア、『ジーザス・クライスト・スーパー・スター』のマリアなど多くのミュージカルで主演し、劇団四季の看板女優だった。86年に退団後は『奇跡の人』『ハムレット』など多くの舞台に出演した。
(久野綾希子)
俳優の古谷一行(ふるや・いっこう)が23日死去、78歳。77年からテレビで横溝正史原作の金田一耕助を演じて人気を得た。土曜ワイド劇場や火曜サスペンス劇場などで長く活躍した。映画では岡本喜八監督の『ジャズ大名』など。
(古谷一行)
映画監督の小林政広が20日死去、68歳。ピンク映画の脚本家として活躍後、自分で会社を設立して製作した映画『殺し』『歩く、人』などをカンヌ映画祭に出品した。2005年の『バッシング』はイラクでの日本人人質事件をモデルにしてカンヌ映画祭のコンペに選ばれた。2007年の『愛の予感』でロカルノ映画祭金豹賞。2010年の『春との旅』、2013年『日本の悲劇』、2016年『海辺のリア』と仲代達矢主演の映画を監督した。全部は見ていないけど、通常の映画作りを超越して、自分の思いを日本の状況にぶつけるような映画を作っていた。はっきり言って成功した方が少ないと思うけど、『春との旅』は面白かった。海外の方が評価が高い人。
(小林政広)
・市田ひろみ、1日死去、90歳。服飾評論家。着物文化の普及に努めた。
・青木新門、6日死去、85歳。作家。93年の『納棺夫日記』が『おくりびと』として映画化された。
・二木英徳、10日死去、85歳。元ジャスコ社長。元日本チェーンスト協会会長、日本体操協会会長を10期務めた。
・鈴木礼治、15日死去、93歳。83年から4期愛知県知事を務めた。愛知万博や中部空港などの実現に尽力した。
・金子宏、23日死去、93歳。法学者。東大名誉教授。専門は租税法で、2018年に文化勲章を受章。
・光原百合(みつはら・ゆり)、24日死去、58歳。ミステリー作家。「十八の夏」で日本推理作家協会賞短編賞受賞。
・森川時久、28日死去、93歳。1966年にフジテレビの「若者たち」が評判になった。5人兄弟がたくましく生き抜く様を描くが、社会的テーマも扱ったため中止された。森川はフリーになって映画版の『若者たち』三部作を監督した。主題歌も有名で今も歌い継がれている。その後も数多いテレビドラマ、映画を監督しているが、結局『若者たち』で記憶されている。