一昨日になるが、国立映画アーカイブで『若者たち』(1968)を見た。それ自体なら、今改めて書くまでもないんだけど、『十八歳、海へ』を見て、さらに山上徹也被告に関する本を読んだ。それらを通して、「希望」が時代とともに移り変わっていった様子がうかがえる。『若者たち』は僕以上の年代の人ならテーマ曲(藤田敏雄作詞、佐藤勝作曲)を歌えるだろう。(その後教科書に載ったり、21世紀に再ドラマ化されたので、若い世代も知ってるのかもしれない。)
(『若者たち』)
もともとはフジテレビで放送されたドラマだった。1966年に放送され、大きな評判となったという。しかし、9月23日放送予定の回が「在日朝鮮人」差別を扱っていたため、放映が中止されてしまいドラマも終了した。そこで俳優座が中心となって、映画化したわけである。テレビ版で親のない5人家族を演じた、上から田中邦衛、橋本功、山本圭、佐藤オリエ、松山省二がそのまま映画にも出演した。テレビでも担当していた森川時久が監督を務め、5人一家の絶妙なアンサンブルが映画でも生かされている。森川監督、田中邦衛、山本圭がこの2年内に相次いで亡くなり、今回はその追悼上映になる。
(森川時久監督)
この映画は評判を呼んで、『若者はゆく』(1969年)、『若者の旗』(1970)と製作されて三部作となった。キネ旬ベストテンを調べてみると、第1作は(67年の)15位、第2作は12位、第3作は21位になっている。昔はよく自主上映されていたが、最近はあまり映画館でもやられていないと思う。(配信があるかどうかは知らない。)僕は学生の頃に三鷹オスカー(確か)という映画館まで三部作一挙上映を見に行った記憶がある。70年代後半に見ても、すでにちょっと時代離れしたモノクロ映画になっていた。3本続けて見ると同じパターンの繰り返しに驚く。労働者の田中邦衛が大声で怒鳴って、大学生の山本圭が冷静に正論でやり込める。
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両親ともになく、長兄、次兄は働いて弟の進学を助けている。三男は学生だが、四男は浪人中。長女の佐藤オリエ(この家は佐藤家なので、役名と本名が同じ)は家事を担当していたが、いろいろ不満を溜め込んでいて、ある日家出して働き始める。5人の子どもたちはともに深く信頼し合っているが、現実社会の貧困や差別に直面して大げんかが起きるのである。そうすると、上記画像のようにちゃぶ台で食べているので、「ちゃぶ台返し」になる。僕はちゃぶ台で食べていた幼少時代を経験しているが、70年代後半にはもうテーブルで食べている家が多かった。五人も兄妹がいる家庭も周りにはなかった。
冒頭からテーマ曲が何回も流れる。歌ったのはサ・ブロードサイド・フォーというグループで、これは黒澤明監督の長男黒澤久雄がやっていた。ただし、僕は同時代的にドラマや歌を知ってたわけではない。歌詞を書くと1番は「君の行く道は 果てしなく遠い だのに なぜ 歯を食いしばり 君は行くのか そんなにしてまで」である。2番を抜かして3番は「君の行く道は 希望へとつづく 空にまた 陽が昇るとき 若者はまた 歩き始める」となる。
(第2部『若者はゆく』)
作詞の藤田敏雄(1928~2000)を調べてみると、日本のミュージカル草創期に労音で多くのミュージカルを創作した人で、「題名のない音楽会」の企画構成、「世界歌謡祭」の総監督なども務めた人物だった。興味深いことに、岸洋子が歌った「希望」も作詞している。「希望という名の あなたをたずねて 遠い国へと また旅に出る」と始まるドラマティックな短調の曲である。なんで「希望」がこんなに暗いメロディーなんだろう。「若者たち」でも「君の行く道は希望へとつづく」と歌われた。
この時代の「希望」とはどんなものだったのだろう。今「格差社会」と言うが、明らかに60年代の日本の方がはるかに貧困を抱えていた。それを言えば、戦前の日本はもっともっと大きな格差があったのである。だが、それが当たり前であると人々が思っていた時には、自分たちがひどい格差社会に生きているとは思わない。一方、60年代は「高度成長」のさなかで、少しずつでも人々が暮らしが良くなると信じられた時代だった。また「社会主義の理想」が生きていて、人々が連帯することで世の中をよくしていけるのだと信じた人が多かった。『若者たち』三部作も基本的にはそういう流れの中にある。
(第3部『若者の旗』)
現実社会には多くの困難や矛盾があるけれど、それは「自然現象」ではなく人間が作り出したものである以上、やはり人間の手によって変えてゆくことができるはずだ。それがこの映画で山本圭たちが強く主張していることである。現実社会の中で厳しい「学歴差別」に直面する田中邦衛は、そのような理想論をすぐには受け入れられない。頭では理解出来ても、どこかうさんくさく感じてしまうのだろう。だが、より良い暮らしのために頑張るんだという向日性は映画のベースにある。それがこのテーマ曲に現れている。
その後の日本では、70年代後半から80年代にかけて「一億総中流」と呼ばれる時代がやってきた。それはもともと「幻想」だったと思うけれど、幻想ではあれ自らを中流と思える暮らしを手に入れた。テレビや冷蔵庫だけでなく、自動車やクーラーも不可能ではないというアメリカのテレビドラマに出て来るような暮らしに日本人も手が届いた。それなのに、それが実現したときに「自分」が何者だか判らなくなる。それが70年代後半の若者の気分だろう。だから中上健次原作の『十八歳、海へ』の登場人物のように「心中ごっこ」をする青春になる。
その時代に生まれた「ロスジェネ世代」(山上徹也被告もそのひとり)からすれば、自分たちの生きてきた中で日本が上向きだった時代などなかった。格差は昔の方が大きかったし、生活水準も昔より上なのに、自分たちには「希望がない」と思う。それは「一度は持っていたものを失った」という無念や苦しさのためだろうか。もう人々が連帯して闘うことなど、誰も信じなくなってしまった。20世紀最後の年(2000年)に刊行された村上龍『希望の国のエクソダス』では、主人公に「日本には何でもあるが、希望だけがない」と語らせている。まさにそういう中で、われわれは21世紀を生きているのだ。
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もともとはフジテレビで放送されたドラマだった。1966年に放送され、大きな評判となったという。しかし、9月23日放送予定の回が「在日朝鮮人」差別を扱っていたため、放映が中止されてしまいドラマも終了した。そこで俳優座が中心となって、映画化したわけである。テレビ版で親のない5人家族を演じた、上から田中邦衛、橋本功、山本圭、佐藤オリエ、松山省二がそのまま映画にも出演した。テレビでも担当していた森川時久が監督を務め、5人一家の絶妙なアンサンブルが映画でも生かされている。森川監督、田中邦衛、山本圭がこの2年内に相次いで亡くなり、今回はその追悼上映になる。
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この映画は評判を呼んで、『若者はゆく』(1969年)、『若者の旗』(1970)と製作されて三部作となった。キネ旬ベストテンを調べてみると、第1作は(67年の)15位、第2作は12位、第3作は21位になっている。昔はよく自主上映されていたが、最近はあまり映画館でもやられていないと思う。(配信があるかどうかは知らない。)僕は学生の頃に三鷹オスカー(確か)という映画館まで三部作一挙上映を見に行った記憶がある。70年代後半に見ても、すでにちょっと時代離れしたモノクロ映画になっていた。3本続けて見ると同じパターンの繰り返しに驚く。労働者の田中邦衛が大声で怒鳴って、大学生の山本圭が冷静に正論でやり込める。
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両親ともになく、長兄、次兄は働いて弟の進学を助けている。三男は学生だが、四男は浪人中。長女の佐藤オリエ(この家は佐藤家なので、役名と本名が同じ)は家事を担当していたが、いろいろ不満を溜め込んでいて、ある日家出して働き始める。5人の子どもたちはともに深く信頼し合っているが、現実社会の貧困や差別に直面して大げんかが起きるのである。そうすると、上記画像のようにちゃぶ台で食べているので、「ちゃぶ台返し」になる。僕はちゃぶ台で食べていた幼少時代を経験しているが、70年代後半にはもうテーブルで食べている家が多かった。五人も兄妹がいる家庭も周りにはなかった。
冒頭からテーマ曲が何回も流れる。歌ったのはサ・ブロードサイド・フォーというグループで、これは黒澤明監督の長男黒澤久雄がやっていた。ただし、僕は同時代的にドラマや歌を知ってたわけではない。歌詞を書くと1番は「君の行く道は 果てしなく遠い だのに なぜ 歯を食いしばり 君は行くのか そんなにしてまで」である。2番を抜かして3番は「君の行く道は 希望へとつづく 空にまた 陽が昇るとき 若者はまた 歩き始める」となる。
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作詞の藤田敏雄(1928~2000)を調べてみると、日本のミュージカル草創期に労音で多くのミュージカルを創作した人で、「題名のない音楽会」の企画構成、「世界歌謡祭」の総監督なども務めた人物だった。興味深いことに、岸洋子が歌った「希望」も作詞している。「希望という名の あなたをたずねて 遠い国へと また旅に出る」と始まるドラマティックな短調の曲である。なんで「希望」がこんなに暗いメロディーなんだろう。「若者たち」でも「君の行く道は希望へとつづく」と歌われた。
この時代の「希望」とはどんなものだったのだろう。今「格差社会」と言うが、明らかに60年代の日本の方がはるかに貧困を抱えていた。それを言えば、戦前の日本はもっともっと大きな格差があったのである。だが、それが当たり前であると人々が思っていた時には、自分たちがひどい格差社会に生きているとは思わない。一方、60年代は「高度成長」のさなかで、少しずつでも人々が暮らしが良くなると信じられた時代だった。また「社会主義の理想」が生きていて、人々が連帯することで世の中をよくしていけるのだと信じた人が多かった。『若者たち』三部作も基本的にはそういう流れの中にある。
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現実社会には多くの困難や矛盾があるけれど、それは「自然現象」ではなく人間が作り出したものである以上、やはり人間の手によって変えてゆくことができるはずだ。それがこの映画で山本圭たちが強く主張していることである。現実社会の中で厳しい「学歴差別」に直面する田中邦衛は、そのような理想論をすぐには受け入れられない。頭では理解出来ても、どこかうさんくさく感じてしまうのだろう。だが、より良い暮らしのために頑張るんだという向日性は映画のベースにある。それがこのテーマ曲に現れている。
その後の日本では、70年代後半から80年代にかけて「一億総中流」と呼ばれる時代がやってきた。それはもともと「幻想」だったと思うけれど、幻想ではあれ自らを中流と思える暮らしを手に入れた。テレビや冷蔵庫だけでなく、自動車やクーラーも不可能ではないというアメリカのテレビドラマに出て来るような暮らしに日本人も手が届いた。それなのに、それが実現したときに「自分」が何者だか判らなくなる。それが70年代後半の若者の気分だろう。だから中上健次原作の『十八歳、海へ』の登場人物のように「心中ごっこ」をする青春になる。
その時代に生まれた「ロスジェネ世代」(山上徹也被告もそのひとり)からすれば、自分たちの生きてきた中で日本が上向きだった時代などなかった。格差は昔の方が大きかったし、生活水準も昔より上なのに、自分たちには「希望がない」と思う。それは「一度は持っていたものを失った」という無念や苦しさのためだろうか。もう人々が連帯して闘うことなど、誰も信じなくなってしまった。20世紀最後の年(2000年)に刊行された村上龍『希望の国のエクソダス』では、主人公に「日本には何でもあるが、希望だけがない」と語らせている。まさにそういう中で、われわれは21世紀を生きているのだ。