内外の訃報をまとめて書くつもりだったが、やはり2回に分けたい。芸能界以外で知名度がある訃報は少なかったけど、書くことに意味があると思う。最初に日朝関係史研究で知られた中塚明が29日死去、94歳。奈良女子大名誉教授。日本より韓国で訃報が大きく報道されて話題となった。岩波文庫の陸奥宗光『蹇蹇録』(けんけんろく=日清戦争時代の外務大臣陸奥宗光の日記)の改訂を担当した人で、昔から名前は知っていた。だが大学を離れた後に、多くの一般向け著作を刊行したことこそ特筆される。
(中塚明)
『歴史の偽造をただす 戦史から消された日本軍の「朝鮮王宮占領」』(1997)を皮切りに、『これだけは知っておきたい日本と韓国・朝鮮の歴史』(2002)、『司馬遼太郎の歴史観 その「朝鮮観」と「明治栄光論」を問う』(2010)、『日本人の明治観をただす』(2019)などである。最初の本は日清戦争公刊戦史の草稿を発見し、日本軍の蛮行を隠すため戦史が偽造されたことを証明した本である。これらはいずれも「高文研」から出版された。もと「高校生文化研究会」で雑誌「考える高校生」を出していた出版社である。高文研のHPに「歴史家・中塚 明先生の足跡をしのんで」という梅田正己(高文研前代表)氏の追悼文が掲載されている。「文化の日」(旧明治節=明治天皇誕生日)に「明治」を加えようとする復古の動きがある今、必読の業績だろう。
元法務官僚で入管行政を担当し、退官後「外国人政策研究所」(現・移民政策研究所)や「脱北帰国者支援機構」を立ち上げた坂中英徳が20日死去、78歳。最後は東京入国管理局長を務め、日本の入管行政に責任もあるが、1975年に「坂中論文」を書いた人である。募集に応じて書いた「今後の出入国管理行政のあり方について」で在日韓国・朝鮮人の法的地位の安定を唱え優秀賞を受けた。その後「坂中論文」は法制化され具現化されていった。晩年は「移民1000万人政策」を唱えて、移民なき「小さな日本」ではなく移民を受け入れた「大きな日本」を目指すべきと主張した。入手しやすい一般書を書いていないので、関心がある人以外に知名度が低いだろうが、毀誉褒貶あっても重要な人だと思う。
(坂中英徳)
元中日ドラゴンズ外野手で、中日監督も務めた中利夫(なか・としお)が10日死去、87歳。1955年に前橋商業から中日に入団。60年に盗塁王、67年には3割4分3厘で首位打者。通算81三塁打はセリーグ記録になっている。高木守道との1,2番コンビで活躍した。72年に引退後は中日でコーチを務め、78年~80年に監督となった。しかし、成績は5位、3位、6位と低迷した。活躍したのが主に60年代なので、僕も名前を忘れていた。
(中利夫)
元出雲市長、民主党副代表などを務めた岩國哲人(いわくに・てつんど)が6日死去、87歳。日興證券パリ支店長、メリルリンチ社日本法人社長、同社アメリカ本社副社長などを経て、1989年に故郷の島根県出雲市長に当選した。「行政は最大のサービス産業」をモットーに、出雲ドーム建設、出雲駅伝誘致などで全国的に注目された。2期目の途中で、95年4月の都知事選に立候補して落選。96年に新進党から衆院選に当選、新進党解党後は太陽党を経て民主党に所属し、計4回当選した。09年選挙に立候補せず引退。豊かな国際、経済知識をもとに日本政界で活躍することを期待されたが、思ったほど活躍は出来なかった感がある。晩年は親族のいるシカゴに移住し、同地で死去した。そのこともあって忘れられた感がある。
(岩國哲人)
厚生相を2度務めた元衆議院議員津島雄二が25日没、93歳。一高から東大へ入学、在学中に司法試験に合格した。しかし、卒業後は大蔵省に入省し、米留学を経て63~67年にフランス大使館書記官を務めた。その間にフランスにいた津島美知子と結婚、津島姓を名乗った。妻は作家太宰治の長女である。76年に太宰の故郷青森県から衆議院議員に当選し、11期連続当選した。94年に村山内閣に反対して離党したが、新進党に加わらず自民党に復党。2005年から09年まで平成研究会(旧竹下派)会長を務め、その間は「津島派」と呼ばれた。引退後は長男の津島淳が後継となった。
(津島雄二)
・他に政治家の訃報として、淵上貞雄(13日没、86歳。元社民党幹事長、副代表。参議院議員4回当選)、東順治(ひがし・じゅんじ、17日没、77歳。元公明党副代表。衆議院議員7回当選)、一井淳治(いちい・じゅんじ、31日没、87歳。社会党から岡山選挙区で参議院議員に2回当選)、山本公一(31日没、76歳、愛媛県から衆議院議員に9回当選。2014年に環境相)など。
・北沢方邦(きたざわ・まさくに)、9月29日没、93歳。構造人類学者、信州大学名誉教授。レヴィ=ストロースの影響で構造主義を学び、講談社現代新書『構造主義』(1968)を著した。これは自分も読んだ記憶がある。その後文明批判を強め、日本やアメリカ先住民の神話を研究した。妻は「エコフェミ」で知られた青木やよひで、両者にホピ族に関する本が何冊かある。
・興膳宏(こうぜん・ひろし)、16日死去、80歳。中国文学者、京都大学名誉教授。六朝文学が専門で、学士院会員、2019年に文化功労者。
・大樋陶冶斎(おおひ・とうやさい)、17日没、95歳。金沢で続く大樋焼の10代目大樋長左衛門として活躍し、2004年に文化功労者、2011年に文化勲章。芸術院会員。
・池央耿(いけ・ひろあき)、27日没、83歳。アイザック・アシモフ『黒後家蜘蛛の会』、ホーガン『星を継ぐもの』などの他、ピーター・メイルの『南仏プロヴァンスの12か月』以後のプロヴァンスものを訳し、日本でもブームとなった。
・泉昭二、29日没、91歳。漫画家。朝日小学生新聞に連載した4コマ漫画『ジャンケンポン』は、1969年9月30日から2023年3月31日まで続き、16,383回続いた。1万5千回到達時に最長の4コマ漫画としてギネス記録に認定された。
(中塚明)
『歴史の偽造をただす 戦史から消された日本軍の「朝鮮王宮占領」』(1997)を皮切りに、『これだけは知っておきたい日本と韓国・朝鮮の歴史』(2002)、『司馬遼太郎の歴史観 その「朝鮮観」と「明治栄光論」を問う』(2010)、『日本人の明治観をただす』(2019)などである。最初の本は日清戦争公刊戦史の草稿を発見し、日本軍の蛮行を隠すため戦史が偽造されたことを証明した本である。これらはいずれも「高文研」から出版された。もと「高校生文化研究会」で雑誌「考える高校生」を出していた出版社である。高文研のHPに「歴史家・中塚 明先生の足跡をしのんで」という梅田正己(高文研前代表)氏の追悼文が掲載されている。「文化の日」(旧明治節=明治天皇誕生日)に「明治」を加えようとする復古の動きがある今、必読の業績だろう。
元法務官僚で入管行政を担当し、退官後「外国人政策研究所」(現・移民政策研究所)や「脱北帰国者支援機構」を立ち上げた坂中英徳が20日死去、78歳。最後は東京入国管理局長を務め、日本の入管行政に責任もあるが、1975年に「坂中論文」を書いた人である。募集に応じて書いた「今後の出入国管理行政のあり方について」で在日韓国・朝鮮人の法的地位の安定を唱え優秀賞を受けた。その後「坂中論文」は法制化され具現化されていった。晩年は「移民1000万人政策」を唱えて、移民なき「小さな日本」ではなく移民を受け入れた「大きな日本」を目指すべきと主張した。入手しやすい一般書を書いていないので、関心がある人以外に知名度が低いだろうが、毀誉褒貶あっても重要な人だと思う。
(坂中英徳)
元中日ドラゴンズ外野手で、中日監督も務めた中利夫(なか・としお)が10日死去、87歳。1955年に前橋商業から中日に入団。60年に盗塁王、67年には3割4分3厘で首位打者。通算81三塁打はセリーグ記録になっている。高木守道との1,2番コンビで活躍した。72年に引退後は中日でコーチを務め、78年~80年に監督となった。しかし、成績は5位、3位、6位と低迷した。活躍したのが主に60年代なので、僕も名前を忘れていた。
(中利夫)
元出雲市長、民主党副代表などを務めた岩國哲人(いわくに・てつんど)が6日死去、87歳。日興證券パリ支店長、メリルリンチ社日本法人社長、同社アメリカ本社副社長などを経て、1989年に故郷の島根県出雲市長に当選した。「行政は最大のサービス産業」をモットーに、出雲ドーム建設、出雲駅伝誘致などで全国的に注目された。2期目の途中で、95年4月の都知事選に立候補して落選。96年に新進党から衆院選に当選、新進党解党後は太陽党を経て民主党に所属し、計4回当選した。09年選挙に立候補せず引退。豊かな国際、経済知識をもとに日本政界で活躍することを期待されたが、思ったほど活躍は出来なかった感がある。晩年は親族のいるシカゴに移住し、同地で死去した。そのこともあって忘れられた感がある。
(岩國哲人)
厚生相を2度務めた元衆議院議員津島雄二が25日没、93歳。一高から東大へ入学、在学中に司法試験に合格した。しかし、卒業後は大蔵省に入省し、米留学を経て63~67年にフランス大使館書記官を務めた。その間にフランスにいた津島美知子と結婚、津島姓を名乗った。妻は作家太宰治の長女である。76年に太宰の故郷青森県から衆議院議員に当選し、11期連続当選した。94年に村山内閣に反対して離党したが、新進党に加わらず自民党に復党。2005年から09年まで平成研究会(旧竹下派)会長を務め、その間は「津島派」と呼ばれた。引退後は長男の津島淳が後継となった。
(津島雄二)
・他に政治家の訃報として、淵上貞雄(13日没、86歳。元社民党幹事長、副代表。参議院議員4回当選)、東順治(ひがし・じゅんじ、17日没、77歳。元公明党副代表。衆議院議員7回当選)、一井淳治(いちい・じゅんじ、31日没、87歳。社会党から岡山選挙区で参議院議員に2回当選)、山本公一(31日没、76歳、愛媛県から衆議院議員に9回当選。2014年に環境相)など。
・北沢方邦(きたざわ・まさくに)、9月29日没、93歳。構造人類学者、信州大学名誉教授。レヴィ=ストロースの影響で構造主義を学び、講談社現代新書『構造主義』(1968)を著した。これは自分も読んだ記憶がある。その後文明批判を強め、日本やアメリカ先住民の神話を研究した。妻は「エコフェミ」で知られた青木やよひで、両者にホピ族に関する本が何冊かある。
・興膳宏(こうぜん・ひろし)、16日死去、80歳。中国文学者、京都大学名誉教授。六朝文学が専門で、学士院会員、2019年に文化功労者。
・大樋陶冶斎(おおひ・とうやさい)、17日没、95歳。金沢で続く大樋焼の10代目大樋長左衛門として活躍し、2004年に文化功労者、2011年に文化勲章。芸術院会員。
・池央耿(いけ・ひろあき)、27日没、83歳。アイザック・アシモフ『黒後家蜘蛛の会』、ホーガン『星を継ぐもの』などの他、ピーター・メイルの『南仏プロヴァンスの12か月』以後のプロヴァンスものを訳し、日本でもブームとなった。
・泉昭二、29日没、91歳。漫画家。朝日小学生新聞に連載した4コマ漫画『ジャンケンポン』は、1969年9月30日から2023年3月31日まで続き、16,383回続いた。1万5千回到達時に最長の4コマ漫画としてギネス記録に認定された。