1995年の「ヒット商品番付」(日経流通新聞)東の横綱は「ウィンドウズ95日本語版」が選ばれた。新語・流行語大賞トップテンには「インターネット」が入っている。ヒット商品番付を見ると、1996年に「激安携帯電話・PHS」、1999年に「低価格パソコン」が選ばれている。2000年の新語・流行語大賞年間大賞は「IT革命」だった。つまり、1995年に始まる数年が情報通信革命の真っ只中にあったことがよく判るだろう。このため世界がすっかりかわってしまったのである。(ちなみにヒット商品番付2010年に「スマートフォン」があり、新語・流行語大賞トップテン2011年に「スマホ」が入っている。)
1995年を起点にこの30年間を考えると、一番大きく変わったのは「いま自分がこのブログを書いていること」だ。こういう「インターネットで誰もが発信出来る世の中」が来るとは想定できなかった。この人類史的大変化を一応「情報化社会の成立」と呼んでおきたい。検索してみると、「情報化社会」とは「インターネットをはじめとした通信インフラの整備やデジタル技術の進化によって情報の生産や処理、消費などが中心となった社会」だそうである。ま、そういう世の中になって、良かったこともあるし良くなかったこともある。「光と影」である。「夢のアイテム」が実現したら、「悪貨が良貨を駆逐した」のだろうか。
データの確認をしておきたい。総務省による上記グラフを見ると、95年3月段階ではまだ携帯電話の普及率は10%だった。それが96年3月には約25%、97年3月には46%に急上昇している。10人に一人とは「知ってはいるが、まだほとんど持ってない」状態だが、95年だけで2.5倍に増え、翌年にはほぼ半数の人が持つようになった。これはその時代の記憶に大体合っている。ただこの段階の「携帯電話」はまさに「携帯電話そのもの」でしかなかった。つまり通話機能しかなかった。携帯電話と言う製品なんだから当たり前である。それだけで皆がすごいもんが実用化されたとビックリしていたのである。
携帯電話普及以前の「最新通信機器」はポケベル(ポケットベル)だった。90年代半ばに高校生を担任したときには、まだ携帯電話ではなく「ポケベル」で生徒に連絡したことを覚えている。ポケベルはそれまでは新聞記者や医者などを緊急に呼び出す以外の利用はなかったけれど、その頃に「女子高生の必須アイテム」になった。この頃も携帯電話そのものはあった。ただあまりにも重くて、また高価なため、一般人が持つものじゃなかった。旅行会社が遠足用に貸してくれたりした。生徒も携帯電話を持っているわけじゃないので、近くの公衆電話から連絡するしかなかったのである。
下記のグラフは主要な情報通信機器の保有率だが、1999年段階で携帯電話は6割を超える人が持っていたが、パソコンは3割ほどしか持っていなかった。自分の場合、携帯電話は1997年に初めて持ったが、まだパソコン(インターネット)は使ってなかった。初期の段階では、どっちも「仕事で必要」という理由で買うものだった。携帯電話は営業職などであり、パソコンもネット上のコンテンツがまだ少なかったので、会社や学校など「組織」がホームページを作り始めたというレベルだった。
コンピュータというものは、もちろんその前からあった。学校にもあって、得意な先生が成績処理などに使っていた。それが安価な「パソコン」の発売で、少しずつ使う人が増えていき、閉じられたネットワークで会員どうしがつながる「パソコン通信」というサービスも出来た。1996年に公開された森田芳光監督『(ハル)』はその当時を伝える貴重な映画だ。(深津絵里、内野聖陽の初主演映画。)ゲーム機「ファミコン」もコンピュータだし、文書処理機能だけに特化した「ワードプロセッサー(ワープロ)」もあった。およそ半数ぐらいの教員が使っていたと思う。僕は「親指シフト」の富士通OASYSで定期テストを作っていた。
インターネットは上記グラフのように、1999年から2002年頃に2割ぐらいの利用率から5割を超えるほどに急激に利用者が増えた。こうなると「量が質に転化する」段階を迎え、仕事でも使わざるを得なくなっていった。(入学者選抜に利用するとか。)ネット利用者が激増すると、会社だけでなくほとんどの旅館・ホテルなどがホームページを作るようになった。僕は2000年にインターネットを利用し始めたが、旅行に行く前に旅館などの情報を確認するようになった。しかし、この段階ではネット予約はまだ出来なくて、調べた情報を基に電話や旅行会社で宿を取っていたのである。
そういうネット勃興期には、僕もある種の「知の共和国」「民衆の広場」になる可能性があるかもと幻想を抱いていた。今はもうそういう思いは消え去ったと思う。誰かが変なこと、間違ったことを書き込んでいても、僕はもう(ほぼ)放置している。自分の時間を削って誰かに間違いを指摘しても、「難癖付けてきた」みたいにとらえる人の方が多いらしい。まあ、自分は出来るだけ確認可能なことを書きたいと思うが、そうも行かないこともある。「間違いや思い込みを書き込む」という以前に、どうでも良いことに関心を持つ人が多いのである。「悪貨は良貨を駆逐する」ことを証明した30年なのかもしれない。
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