俳優座劇場プロデュース『音楽劇わが町』を見た。『わが町』はアメリカの劇作家ソーントン・ワイルダー(1897~1975)が1938年に発表した戯曲で、ピュリッツァー賞を受けた名作。日本でも何度も上演されてきたし、原作もハヤカワ演劇文庫で読んだことがある。それを2011年に「音楽劇」にして、各地を198回上演してきたという。2015年以来10何年ぶりの再演だが、ちょうど阪神淡路大震災30年の1月17日に見たこともあって、とても心に沁みる舞台だった。
この劇はアメリカの小説や映画に多い「スモールタウン」ものの演劇における代表作で、1901年のニューハンプシャー州の小さな町(グローヴァーズ・コーナーズ)の人々を「進行役」が巧みに紹介していく。3幕に分れていて、1幕で町の日常生活をテキパキと紹介、2幕で3年経つと隣同士で育った二人が結婚する日を迎える。そして3幕は9年経って、どうなるか。20世紀初頭のまだ自動車が登場し始めた時代を生きる人々。その時代のその町も、人々は明日がどうなるか判らないまま一生懸命生きて、大きくなると人を好きになり、そして死んでいった。それはいつの時代も同じなんだけど、いつもは意識しない。
そんな愛おしい日々を進行役が語るという手法が非常に感動的である。しかし今から見てみると人種対立も、銃犯罪も、薬物中毒もない時代なのである。WASP(白人、アングロサクソン、プロテスタント)の異性愛者ばかりが登場する劇で、工場が出来て町の違う地区にはポーランド人(カトリック)が増えたと言われている。犯罪など特に起きないが、1913年になると家に鍵を掛ける人が増える。1914年に第一次大戦が始まり、1917年にアメリカも参戦、町には戦死者も出る。そういう変化も書かれているけど、それでも「生活の規範」があった時代だなあと思うのである。それは懐かしいとも言えるが、古い。
アメリカの演劇というと、テネシー・ウィリアムズやアーサー・ミラーなど葛藤渦巻く舞台が思い浮かぶが、戦前に書かれた『わが町』はそういうのと違う「しみじみ系」の傑作。しかし、僕も原作を読んだときに、ちょっともう古くなった気がした。それを製作陣も感じて、音楽の上田亨と演出の西川信廣は日本人になじみやすくするために「音楽劇」にするというアイディアを実現したという。一種のミュージカルだが、井上ひさしの作品のように舞台上にピアニストがいて伴奏とともに俳優が歌ったりする。エミリーを演じる土井裕子の魅力と若々しいジョージの奥田一平が良い。進行役の清水明彦(文学座)も忘れられない。
『わが町』は「さようなら俳優座劇場」という企画である。六本木交差点そばの俳優座劇場は、2025年4月末で閉場する。ここは俳優座以外の公演も多く行われてきた場所で、「青春の思い出」というほど行ってはいないけど、それでもまあ惜別の思いはある。しかし行く度に狭い階段が大変になってきて、やはりバリアフリーとか考えてない時代の建物だなあと思う。そろそろ終わるのもやむを得ないような気がする。今の建物は1954年に作られた旧館を1980年に建て直したもの。300席と小さいが、舞台との距離が近く見やすい。4月までにまだいくつかの公演が控えているので、もう少し見たいと思う。
なお、『音楽劇わが町』の初演は2011年3月12日だった。大震災翌日だが俳優座劇場は大丈夫だったので、公演を挙行したものの観客は50人だったという。僕は当時六本木高校に勤務していたので、3月12日朝(10時頃)まで六本木にいたわけである。(震災当日は地下鉄が停まったので、生徒・職員は学校で夜明かしした。)そんな日のことも思い出した。
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