めっきり朝晩冷えるようになったが、今日の昼間は暖かいぐらいの一日。入院中に足が弱くなって、少し歩いただけで筋肉痛という困った状態である。そんな中もう少し歩いてみたいと江戸城を散歩してきた。(特別史跡)の「江戸城」は徳川将軍の居所だったところだが、薩長に乗っ取られて天皇家の居所になった。故に今は「皇居」と呼ばれているが、その東半分は「皇居東御苑」として公開されている。案外そのことを知らない人もいて、東京人に行ってない人が結構多い。僕は学校などの行事で三度ほど行ったが、個人で行ったことがない。そこで、今日の日に合わせて(?)夫婦で散歩してきた。
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最寄り駅は地下鉄大手町駅で、ここは5つの路線が集中している。その中で千代田線が一番近い。別に調べていったのではないが、たまたま家から一番近い路線を使ったら便利だった。「大手門」方面を目指しエスカレーターに乗ると、向こうの方にもう見える。お濠に掛かる橋を渡ると荷物検査があり、外国人観光客がいっぱい並んでいる。その向こうの大手門は空襲で焼けて再建されたもので、写真は省略。入ると三の丸尚蔵館がある。天皇家所蔵だった宝物を展示するところで、昔は無料だった。改築後の今月仮開館して、千円取るようになった。ネット予約が必要だし、内容に特に関心ないのでパス。
(同心番所)
(百人番所)
(大番所)
大手門近くに三つの番所が残されている。もちろん再建だが、要するに警備員詰め所である。最初が同心番所、続いて百人番所、石垣を入ると大番所がある。当然ながら、本来はもっと多くの番所があったという。写真が撮りにくい(逆光のため)が、百人番所の向こうに大手町のビル群が臨めるのが面白い。この辺りから石垣が続いて来る。昔は石垣しか残ってない江戸城に何か物足りなさを感じたものだが、最近お城ファンが増えて本やテレビ番組が多くなった。そうすると、天守閣より石垣に目を向けてこそファンみたいな感じがしてきた。そういう目で見ると、さすが将軍の城である江戸城は日本ベスト級なのである。
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ちょっと大きさが判らないかもしれないが、とにかく一つの石が大きい。畳より大きい石がキレイに切り取られ整然と積み重ねられている。一体どうやったのだろうか? これらの石は「伊豆石」と呼ばれるもので、伊豆半島から切り出されて海上を運ばれてきた。火山性の岩石で、種類としては安山岩だろう。江戸時代初期に有名な大名たちが動員され建造されたもので、Wikipediaを見ると加藤清正、池田輝政、福島正則、細川忠興、黒田長政、藤堂高虎ら自らも名城を築いた大名たちが名を連ねている。
(ツワブキの花)
少し坂を登っていくと、広場に出る。本来は広場ではなく幕府中枢部の建物が集中していたところである。「松の大廊下跡」とか「大奥跡」の表示があるが、要するに説明板があるだけなので省略する。こんなところにあったのかと思うけど、今は何もなく芝生が広がっている。そして奥に天守台が見えている。一応そこが目的地ということになる。ここが良いのは、あちこちにベンチが置いてあって晴れていれば休憩しやすいことだ。今日は遠足で来ている小学生がいっぱいいた。
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天守台とは要するにかつて天守閣があった場所である。ここも石垣が素晴らしいが、それよりも坂を登ると江戸城の最高地点に立てるのである。天守閣は江戸初期に三度築かれ、1657年の明暦の大火で焼失した。そして、そのまま江戸市街復興を優先して再建されなかった。なくても治政上問題なしと判断したのである。最近江戸城天守再建論があるが、僕はなくて良いのではないかと思う。空襲で焼けた、あるいは少なくとも維新期に無くなった城は再建したいという議論が起きても不思議はない。でも江戸城の場合、360年以上無かったのだからそれで良いのではないか。なお、英文の説明を読んでいて、天守閣は英語で「Keep」だと知った。
(大きなクスノキ)
その後、どこに抜けるか(出入りできる門は3つある)と思ったが、西南角にある富士見櫓をいつも見逃すのでそっちへ向かってブラブラ歩いた。林間を歩くと竹林があり、中にシホウチクもある。四角い竹である。また石室も出てきた。これは冷やすのではなく、火事の際に大奥の備品を避難させるところだったという。非常に大きなクスノキも2本あった。
西南角にある富士見櫓は空襲で焼けなかったが、関東大震災時に損壊したため解体して復元したという。ここはお濠越しに外から見る方が美しいのではないかと思う。中には入れない。ビルが建ち並んで、今は富士山が見えないという。しかし、江戸時代には富士山方向に江戸市街を眺望出来たのだろう。
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グルッと回って広場に戻って、「展望台」があるので一応寄ってみる。展望台と言っても、今ではビル街の展望である。下には白鳥濠という孤立したお濠があって、上から見られる。展望台下にトイレと休憩所がある。土産も売ってるが、皇室関係ばかりで江戸城の歴史本がほとんどない。まあ、そういう場所だと思うしかないのかと思うが何とかならないか。
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1万歩近く歩いて、少し疲れてきた。北の丸公園まで歩こうかと思っていたが、大手門に戻って「将門の首塚」を見て帰ることにした。再開発中ですっかり明るくなっていてビックリ。案外家から近く、12時少し前に出て、3時半頃には帰って来た。駅までの往復を入れて、1万600歩ほど。②はいずれ周辺を歩いて書きたい。
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最寄り駅は地下鉄大手町駅で、ここは5つの路線が集中している。その中で千代田線が一番近い。別に調べていったのではないが、たまたま家から一番近い路線を使ったら便利だった。「大手門」方面を目指しエスカレーターに乗ると、向こうの方にもう見える。お濠に掛かる橋を渡ると荷物検査があり、外国人観光客がいっぱい並んでいる。その向こうの大手門は空襲で焼けて再建されたもので、写真は省略。入ると三の丸尚蔵館がある。天皇家所蔵だった宝物を展示するところで、昔は無料だった。改築後の今月仮開館して、千円取るようになった。ネット予約が必要だし、内容に特に関心ないのでパス。
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大手門近くに三つの番所が残されている。もちろん再建だが、要するに警備員詰め所である。最初が同心番所、続いて百人番所、石垣を入ると大番所がある。当然ながら、本来はもっと多くの番所があったという。写真が撮りにくい(逆光のため)が、百人番所の向こうに大手町のビル群が臨めるのが面白い。この辺りから石垣が続いて来る。昔は石垣しか残ってない江戸城に何か物足りなさを感じたものだが、最近お城ファンが増えて本やテレビ番組が多くなった。そうすると、天守閣より石垣に目を向けてこそファンみたいな感じがしてきた。そういう目で見ると、さすが将軍の城である江戸城は日本ベスト級なのである。
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ちょっと大きさが判らないかもしれないが、とにかく一つの石が大きい。畳より大きい石がキレイに切り取られ整然と積み重ねられている。一体どうやったのだろうか? これらの石は「伊豆石」と呼ばれるもので、伊豆半島から切り出されて海上を運ばれてきた。火山性の岩石で、種類としては安山岩だろう。江戸時代初期に有名な大名たちが動員され建造されたもので、Wikipediaを見ると加藤清正、池田輝政、福島正則、細川忠興、黒田長政、藤堂高虎ら自らも名城を築いた大名たちが名を連ねている。
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少し坂を登っていくと、広場に出る。本来は広場ではなく幕府中枢部の建物が集中していたところである。「松の大廊下跡」とか「大奥跡」の表示があるが、要するに説明板があるだけなので省略する。こんなところにあったのかと思うけど、今は何もなく芝生が広がっている。そして奥に天守台が見えている。一応そこが目的地ということになる。ここが良いのは、あちこちにベンチが置いてあって晴れていれば休憩しやすいことだ。今日は遠足で来ている小学生がいっぱいいた。
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天守台とは要するにかつて天守閣があった場所である。ここも石垣が素晴らしいが、それよりも坂を登ると江戸城の最高地点に立てるのである。天守閣は江戸初期に三度築かれ、1657年の明暦の大火で焼失した。そして、そのまま江戸市街復興を優先して再建されなかった。なくても治政上問題なしと判断したのである。最近江戸城天守再建論があるが、僕はなくて良いのではないかと思う。空襲で焼けた、あるいは少なくとも維新期に無くなった城は再建したいという議論が起きても不思議はない。でも江戸城の場合、360年以上無かったのだからそれで良いのではないか。なお、英文の説明を読んでいて、天守閣は英語で「Keep」だと知った。
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その後、どこに抜けるか(出入りできる門は3つある)と思ったが、西南角にある富士見櫓をいつも見逃すのでそっちへ向かってブラブラ歩いた。林間を歩くと竹林があり、中にシホウチクもある。四角い竹である。また石室も出てきた。これは冷やすのではなく、火事の際に大奥の備品を避難させるところだったという。非常に大きなクスノキも2本あった。
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西南角にある富士見櫓は空襲で焼けなかったが、関東大震災時に損壊したため解体して復元したという。ここはお濠越しに外から見る方が美しいのではないかと思う。中には入れない。ビルが建ち並んで、今は富士山が見えないという。しかし、江戸時代には富士山方向に江戸市街を眺望出来たのだろう。
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グルッと回って広場に戻って、「展望台」があるので一応寄ってみる。展望台と言っても、今ではビル街の展望である。下には白鳥濠という孤立したお濠があって、上から見られる。展望台下にトイレと休憩所がある。土産も売ってるが、皇室関係ばかりで江戸城の歴史本がほとんどない。まあ、そういう場所だと思うしかないのかと思うが何とかならないか。
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1万歩近く歩いて、少し疲れてきた。北の丸公園まで歩こうかと思っていたが、大手門に戻って「将門の首塚」を見て帰ることにした。再開発中ですっかり明るくなっていてビックリ。案外家から近く、12時少し前に出て、3時半頃には帰って来た。駅までの往復を入れて、1万600歩ほど。②はいずれ周辺を歩いて書きたい。