尾形修一の紫陽花(あじさい)通信

教員免許更新制に反対して2011年3月、都立高教員を退職。教育や政治、映画や本を中心に思うことを発信していきます。

日本被団協にノーベル平和賞ー「1人ひとりの力は微力だが、無力ではない」

2024年10月12日 22時31分14秒 | 社会(世の中の出来事)
 2024年のノーベル平和賞が「日本被団協」に贈られると発表された。これは世界的に「意外な授賞」と受け取られている。僕も被団協への授賞は「もうないもの」と思っていたので、テレビニュースの速報を見て驚いた。今年は中東情勢に関連して選ばれるのではないかと予測されていた。個人的には「国際刑事裁判所」(ICC)が受賞するのではないかと予想していた。ICCは現在プーチンにもネタニヤフにも逮捕状を発している。世界はいまICCを強力にサポートする必要があるからだ。
(記者会見する箕牧智之被団協代表委委員)
 「日本被団協」(日本原水爆被害者団体協議会)に関しては、2017年にICAN(核兵器廃絶国際キャンペーン)が受賞したときに、こう書いている。「僕はできれば「日本被団協」との共同授賞が良かったと思う。今年は事前にはイラン核合意関係の授賞が有力とされていた。いずれにせよ、北朝鮮の核開発やトランプ政権発足があり、核兵器をめぐる授賞になるだろうと僕も予想していた。日本の「ヒバクシャ運動」に授賞することは、「戦争認識」問題を呼び起こす可能性があり単独授賞は難しいかもしれないが、もう残された時間が少ないのでぜひ授賞して欲しかった。」(『ノーベル平和賞、サーロー節子さんの演説』)

 この間毎年のように被爆者運動を支えてきた人々が亡くなっている。例えば2000年から被団協代表委員を務めていた坪井直氏は、2021年に96歳で亡くなった。今回の決定を受けて記者会見を行った箕牧智之(みまき・としゆき)氏は、坪井氏の後を受けて広島県被団協理事長、日本被団協代表委員となったのである。「日本被団協」はもちろんノーベル平和賞を取る目的で活動している団体ではない。しかし、ノーベル平和賞受賞は自分たちのやって来たことに意義があったと認定されたことになる。もっと早く受賞したならば、さらに多くの「ヒバクシャ」の苦難が報われただろうと残念なのである。
(ノーベル平和賞を発表する委員長)
 日本の「ヒバクシャ運動」はどのような意味があるのだろうか。日本の原水禁運動は1954年の「第五福竜丸事件」(アメリカがビキニ環礁・エニウェトク環礁で行った水爆実験によって、静岡県焼津市のマグロ漁船第五福竜丸が被爆した事件)を受けて、国民的な平和運動として発足した。しかし、60年代初頭に「ソ連の核兵器をどう評価するか」をめぐってに分裂する。その後は原水協(共産党系)、原水禁(社会党系)、核禁会議(自民党、民社党系)の3つに分かれて活動していた。被団協は1965年に「いかなる原水禁団体にも加盟しない」と決め原水協を脱退した。(広島県では被団協も分裂して2つあるとのことである。)

 それ以後は政党の立場を離れて、日本政府や国連などに核兵器廃絶や原爆被害への国家補償などを求めてきた。被団協はあらゆる国の核兵器に反対し、「被爆者」の声を世界に届けることで、国際世論に大きな影響を与えてきた。アメリカや中国などでは、「原爆が戦争を終わらせた」「日本の侵略戦争の結果」という歴史観が根強い。そのことが先の引用で「戦争認識問題を呼び起こす可能性」と書いた理由である。だが、現時点ではそういう問題は後景に退いたのではないか。

 それはウクライナ戦争ガザ戦争が世界に衝撃を与えたからである。第二次世界大戦で最も大きな被害を受けた「ソ連」と「ユダヤ人」は、かつての悲劇を逆の立場で繰り返している。ドイツ軍が破壊し尽くしたウクライナに、今度は東からロシアが侵略している。ナチスによってジェノサイドの悲劇を受けたユダヤ人が戦後に建国したイスラエルは、今ではパレスチナ人に無慈悲な攻撃を繰り返している。どこに「歴史の教訓」があるんだろうか。そのような時に、「自分たちを最後のヒバクシャに」と訴えてきた戦後日本の被爆者運動の倫理性を振り返ることは大きな意義がある。

 「原爆を落としたアメリカに報復しよう」とか、「二度と核兵器の被害を受けないため日本も核武装しよう」などとは、被爆者は考えなかったのである。恐らくロシア人やユダヤ人にも、自国の現状を深く恥じている人が多くいるだろう。同じように日本でも、「核兵器の抑止力」を声高に語りながら「唯一の被爆国」と称して広島で首脳会議を行うような自国のあり方に深く恥じている人がいる。もっとも世界どこの国でも、そういう人が大きな勢力にはなっていない。
(記者会見に同席した高校生平和大使)
 そんな時に思い出すのは、記者会見でも同席していた「高校生平和大使」の活動だ。東京ではほとんど取り組まれていないが、1998年に長崎県に始まったという。署名活動を行い国連に提出するなどの活動を若い世代が行ってきた。この取り組みをノーベル平和賞に推薦する動きもあるらしい。「ヒバクシャ」はやがて一人もいなくなる。世界から核兵器をなくすために、どうやって引き継いで行くべきか。日本人の大きな課題だ。そのヒントになるのが、この高校生平和大使じゃないだろうか。その運動のスローガンが「1人ひとりの力は微力だが、無力ではない」だという。衆議院選挙が直近に控える今、すべての人が噛みしめるべき言葉だ。
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