尾形修一の紫陽花(あじさい)通信

教員免許更新制に反対して2011年3月、都立高教員を退職。教育や政治、映画や本を中心に思うことを発信していきます。

『田名網敬一 記憶の冒険』展、イメージと色彩の氾濫に圧倒

2024年10月20日 22時18分45秒 | アート
 行きたい展覧会がたまってしまった。今日はまず六本木の国立新美術館(地下鉄千代田線乃木坂駅より直結)で開かれている『田名網敬一 記憶の冒険』展に行ってきた。8月7日に始まり、11月11日までなので、そろそろ見ないと終わりが近くなってきた。(ここは火曜日が休館日。)開会直後の8月9日に田名網敬一が88歳で急逝し、驚かされた。料金2000円とかなり高いし結構遠いから迷ってたんだけど、渋谷で映画を見た後に時間があったので寄ってみることにした。

 六本木方面の入り口前には巨大なオブジェが置かれていた。「金魚の冒険」と題された作品で、家族連れで写真を撮っていた。展覧会の中もすべて写真可(フラッシュ不可)で、皆スマホ越しに見ている。そういう質の作品が並んでいるわけだが、とにかく圧倒的な色彩の氾濫に驚く。食あたり、湯あたりという言葉があるが、色にあたるぐらいの部屋の中。遊園地というか、田名網敬一ワンダーランドである。すごいイメージの氾濫で、単に美術という枠を越えて「戦後民衆文化史」の大収穫だろう。
  (国立新美術館)
 「グラフィック・デザイナー」とか「イラストレーター」というカタカナの職業は戦前にはなかった。日本経済が高度成長をとげた60年代に一般に使われるようになった。最近その時代を切り開いてきた人々の業績が振り返られているが、今回の田名網敬一展も大きな収穫だろう。映像作品の出品も多く、じっくり見る気なら一日中楽しめると思う。僕はそこまで見なかったが、そう言えば昔見た実験映画もあったなあと思った。単に絵だけじゃなく、映像、立体工作などいろいろある。
   
 僕がどうのこうのと書くべきことはあまりなく、というか、個々の「作品」にはほとんど関心もなかった。出品されている作品があまりにも多いのである。そして、いろんなモノが置かれていて、 会場はおもちゃ箱をひっくり返したような祝祭感にあふれている。それは60年代、70年代の「ポップ」な感覚の弾けるような散乱である。それはまたアメリカの大衆文化への憧れでもある。アメリカのコミック、テレビ番組、音楽などは戦後日本の少年たちにとって最も身近な外国だった。
   
 だけど田名網敬一にとって、アメリカは単なる憧れだけではなかった。1936年に東京・京橋で生まれた田名網にとって、東京大空襲の記憶はほとんど「原風景」というものだった。Wikipediaから引用すると、「轟音を響かせるアメリカの爆撃機、それを探すサーチライト、爆撃機が投下する焼夷弾、火の海と化した街、逃げ惑う群衆、そして祖父の飼っていた畸形の金魚が爆撃の光に乱反射した水槽を泳ぐ姿」ということになる。幼い頃に見た風景こそは、まさにイメージと色彩の氾濫だったのである。下1枚目の絵には、「DO NOT BOMB」と大きく書かれていることが象徴的だ。
                 
 会場はいくつかの部屋に分れていて、間に映像作品を流すゾーンがある。それぞれ作成された時代、内容などで違いがあるようだが、見ていると何だか違いがよく判らない。ただイメージに圧倒されるだけ。単に絵が順番に並んでいる展覧会ではなく、様々な作品を作ってきた田名網ワールドを複合的に展示している。僕には正確に理解する自信がないが、戦後日本のポップアートの実力を見せてくれた展覧会だった。
   
 以上に掲載した画像は、僕が特に気に入ったものというわけではない。むしろ人が殺到してなくて写真が撮りやすかったものが多い。だから、実際に見に行けば、もっとスゴイのがいっぱいあるのに驚くだろう。見逃さなくて良かったなと思う。
コメント
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