尾形修一の紫陽花(あじさい)通信

教員免許更新制に反対して2011年3月、都立高教員を退職。教育や政治、映画や本を中心に思うことを発信していきます。

カメル・ダーウド「もうひとつの『異邦人』」ーカミュ「異邦人」をめぐって②

2021年03月13日 20時33分28秒 | 〃 (外国文学)
 カミュ異邦人」をめぐる考察2回目。1回目に、原作には主人公(語り手)ムルソーの名前が書かれていないと書いた。映画で初めて「アルチュール」という名前が与えられた。ムルソーは殺人罪で裁かれるが、それでは彼によって殺されたアラブ人の名前は何だったか、答えられるだろうか。原作を読んでる人は多いだろうが、大部分の人は「いやあ、昔読んだから覚えてないなあ」と答えるかもしれない。何人かの人は「確か原作には名前が書かれていない」と言うだろう。そして、ほとんどいないだろうが、それは「ムーサー」だと言う人がごく少数いるかもしれない。

 実は原作には被害者の名前が書かれていない。ムルソーは死刑まで宣告されるというのに、何故か被害者の名前がどこにもない。それに対して、この殺されたアラブ人の立場に立って「被害者の家族」の立場から書かれた小説がある。アルジェリアの作家カメル・ダーウド(1970~)の「もうひとつの『異邦人』 ムルソー再捜査」である。2013年にアルジェリアで、2014年にフランスで刊行され、ゴンクール賞の「優秀新人賞」を受けた。日本でも2019年に鵜戸聡訳で、水月社から翻訳が出ている。この本によって、初めて被害者のアラブ人に名前が与えられた。それはムーサー・ウルド・エル=アッサースというのである。
(「もう一つの『異邦人』」)
 「もう一つの『異邦人』」は、被害者ムーサーの弟、ハールーンの語りとして書かれている。アルジェリアに今や数少なったと書かれているバーに毎日通いながら、老境のハールーンがインタビューする新聞記者に語っている。彼によれば、ムーサーとハールーンは二人だけの兄弟だった。アレレ、「被害者のアラブ人」には妹がいたはずじゃないのか。ムルソーの友人「レエモン」が彼の「女」(例によって原作には名前がないが、映画では「ヤスミン」とされている)をひどい目に遭わせたため、兄がレエモンにつきまとっていると書かれている。そしてムルソーがマリー、レエモンと海辺の友人を訪ねた日も、兄とその友人(?)が海辺にいた。

 これは一体どう理解するべきだろう。本の中でハールーンは、兄の死を書いた本を何度も読んでいると書かれる。だけど、他に姉妹はいなかったと断言するのである。「異邦人」で姉妹と書かれたのは、同じ街区に住むムスリム女性は皆姉妹であるということをフランス人が知らなかったのだとされる。そう言われると、なるほどそうかもと思わないでもない。もっともハールーンは自分でも嘘つきと自認していて、この本も知的な企みに満ちた本なので油断はできない。兄の死体はなくなってしまって、ついに発見されなかったと書かれている。そんなことがあるだろうか。浜辺の事件だから、満潮になったら死体が流されるということが絶対にないとはいえない。

 でもそういうことではなくて、植民地のアルジェリアにおいてアラブ人の死体が発見されないまま、支配者側のフランス人が起訴されるという事態が想定できるだろうか。最近公開されたフランス映画「私は確信する」という映画では、死体がないのに起訴された事件が描かれている。実在の裁判がモデルだというから、フランスに「死体なき殺人裁判」があるわけだ。日本でも死体未発見の事件もないわけではないが、「支配ー被支配」という関係の植民地で、被支配者が行方不明になったというだけでは、銃撃が確認されたとしてもフランス人を起訴するのは難しいだろう。
(カメル・ダーウド)
 この小説はまさに「異邦人」とポジとネガの関係にある。まず冒頭は「今日、マーはまだ生きている」と始まる。「きょう、ママンが死んだ」と始まる「異邦人」と正反対である。ムルソー、あるいはカミュ本人と同じく、ハールーンにも父がいない。兄ムーサーが殺されて、ハールーンは母と二人残される。幼かったハールーンは、無学な母と生きていくのに必死で、ついに結婚できなかった。母は残った息子を必要として、ハールーンを家につなぎ止めた。彼は独立戦争に参加できず祖国の英雄になりそこね、独立以後は日陰の人生を送らざるを得なかった。その点でもハールーンはまた「もう一人の異邦人」なのである。

 彼の人生にも「秘密」があった。ムルソーが殺人を犯したように、ハールーンも人を殺したことがあった。それはアルジェリア独立直後のことで、フランスへ帰った植民者の家に住んでいた彼らのもとへ、村に残ったフランス人が紛れ込んできた。そのフランス人ジョゼフを深夜に銃で殺害したのである。死体は母とともに庭に埋めた。村のフランス人がいなくなって、捜査はなされた。銃撃音が聞かれていてハールーンも捜査されたが、起訴されなかった。ムルソーと逆である。ハールーン親子は「フランス人に家族を殺された」ということが、「戦没者遺族」のような重みを持ち「水戸黄門の印籠」になるのだ。が、死は心の中にその後も住み着いてしまった。

 このようにムルソーと正反対でありながら、運命は似たような歩みを続けて行く。その結果ハールーンの人生も破壊されて、ムスリムには本来許されない飲酒癖をもたらした。そしてムルソーと同じく、彼は「無神論」に近づいていく。作者のカメル・ダーウドはもともとオラン(「ペスト」の舞台となったアルジェリア第二の都市)でジャーナリストとして活躍していた。常に反権力、反イスラム過激主義の立場に立ち、そのため反イスラム的とみなされて起訴されたり、イスラム政党から「死刑」のファトワ(宗教上の宣告)を受けたりしている。「異邦人」の正反対であるはずの「もうひとつの『異邦人』」もまた同じく祖国に受け入れられない「異邦人」の物語なのだ。

 当初は「この物語には二人の死者がいる」のに、世界的に有名になったのはあのフランス人で、自分の兄は名前さえ伝わらないとハールーンは怒っている。そのため彼は「ムルソー再捜査」を行い続けたが、残っている情報は手に入らない。同じくムーサーの足跡を追っていた女性教師メリエムが独立後に訪ねてきた。ハールーンは一時彼女と交際するものの、母は歓迎しない。この短いエピソードを除き、「弟」の人生はすっかり「兄の死」で壊されてしまった。しかし、次第に独立後のアルジェリアの歩みも彼が思ったようなものではなかったことが判ってくる。重ね合わされた幻滅の日々を生きてきたのである。

 この小説はカミュ「異邦人」を反転させ、もう一つの読み方を突きつける。その意味で非常に重要な意味を持つと思う。かなり読みにくい小説ではあるものの、そういう試みは大切だろう。死者に名前さえ与えられなかった「異邦人」を被害者の側から読み直すこと。それは大事だと思うが、同時にテクストとしての「もうひとつの『異邦人』」をも疑って掛かる必要がある。

 ムーサーは1942年に殺された(死体は未発見)とされるが、「異邦人」は1942年6月にパリのガリマール社から発売された。よって、ムルソーが事件を起こした夏は1941年以前でなければならない。この食い違いは、有名な本が出た頃に行方不明になった兄を小説内の人物だと「妄想」したという読み方の可能性を作者が埋め込んでいるのではないだろうか。
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