3月30日。新幹線に乗った時、東京の桜は、めでたく「ほぼ満開」状態でしたが、
名古屋に着いたら、その風の冷たいこと、冷たいこと。薄手の上着でやってきてしまったことを、
後悔し始めました。
近鉄に乗って、四日市駅へ向かう車中から時折見える桜も、いまだぎゅっと固くつぼみを
握りしめているようで…。季節が1週間前に戻っていました。
朝からきれいに晴れたり、あったかい日はなかったのですが、それでも4月1日は、義妹の運転する車で、
滋賀県立近代美術館まで出かけました。志村ふくみさんの紬織の作品を見るためです。
(三重県四日市市からは、途中高速道路を使って、2時間で行かれました。)
最初に、くっちゃ寝さんのブログで、志村さんのことを読むまでは、私どんな方なのかちっとも知らなくって。
それに、滋賀県なんて、うちからではとんでもなく遠いので、無理無理と思っていたら、思わぬ偶然から、
会期中に、四日市へ帰省することができて…。機会に恵まれたことに、感謝の気持ちでいっぱいです。
このブログで何度も書いてきた、ヒナタノオトの早苗さんのおかげで、工芸というものに疎かった私も、
手仕事を自分の生業とする方たちの作品や、その姿勢に強く惹かれるようになってきている自分を
日々感じることが多くなり…。そして、手仕事をなさる方たちが、黙々と日々の仕事に打ち込む中で、
自然に体と心にたまってくる思いを、言葉におきかえたときの、その言葉の深さにも、感じ入るようになりました。
志村ふくみさんの作品は、仕上げられた作品を見ただけでは、丹精に織られた素敵な織物、きれいな色合い、
という感想で終わってしまったかもしれませんが、学芸員の方のお話や、館内のビデオによって、その人となり、
制作の過程を少しでも知ることにより、それがただの「きれいな織物」、だけではないものとなって、私の中に
残ることになりました。帰りがけに買った本(↓)を、読んでいる途中なので、まだほんの「入口」に立ったところなのですが。
梅も、桜も、蕾がついているときの枝を切って、炊き出したときが一番きれいな色に染まるし、すごくよい匂いが
染め場にたちこめるのだそうです。
咲き出そうとする命を、絹糸に「映して」いく、という言葉を使っていたように思います。
『色を奏でる』
志村ふくみ 文 井上隆雄 写真
さっき、東京に戻ってきたら、その寒さに驚きました。雨も降っていたのですね。
でも、王子駅で見た桜は、まだまだ見頃のようでした。