去年の8月に琴子さんのレビューを読んでからずっと気になっていた本を
やっと読むことができました。
『国境まで10マイル』
デイヴィッド・ライス 作 ゆうきよしこ 訳 山口マオ 絵
テキサス州最南部、リオ・グランデ・バレーと呼ばれる地域に暮らす、
メキシコ系の人たちが生き生きと描かれています。
島国に生まれ育っていると、地続きで国境があり、別の国へ行き来することができるとか
今自分が住んでいる土地は、150年くらい前は別の国に属していたということ
(テキサスやカリフォルニアは1845年以前メキシコの領土だったそうです)は
頭で覚える知識としてしか入ってきませんが、そういう事実を下敷きにしている
9つの短編はどれもおもしろいものでした。
ティーンエイジャーが主人公ですが、若者を取り巻く愛すべき家族や、
身近な人たちの存在が、重要な役目を果たしている話が多く、それが
ユーモアや、希望や、切なさといったキーポイントになっていると思いました。
好きな話は(私も)、さあ、飛びなさい! と 最後のミサ。
読み終わった直後よりも、一晩たってからの方が、どちらもそのよさが
じわじわっと押し寄せてくるようです。
特に、さあ、飛びなさい! は、おばあちゃんと孫娘の話。
遠くの大学へ行きたいと思い始めたミラグロス(孫娘)を、彼女の両親は
思いとどまらせようとするけれど、マナおばあちゃんと、おばあちゃんのいとこの
オフェリアおばさんは、こう言います。
「神さま(ディオシート)はだれにでも、贈り物を与えてくれる。
それを使わないのは、罪なんだ」
「それだけではないよ、ディオシートが授けてくれた贈り物を、
使わせないようにするのも罪というわけさ」
そうして、長い長い間一緒に暮らしてきたオウムを、かごから出してやるようにと、
ミラグロスに言い、「飛びなさい、飛びなさい、飛びなさい」と、オウムと
孫娘に呼びかけます。
私も、かわいい子には、どんどん遠くへ旅させようと思っています。
(そして、ある日ある時、どこかの国のどこかの街角にあるカフェで
待ち合わせをしたりなんかするのです・憧)
やっと読むことができました。
『国境まで10マイル』
デイヴィッド・ライス 作 ゆうきよしこ 訳 山口マオ 絵
テキサス州最南部、リオ・グランデ・バレーと呼ばれる地域に暮らす、
メキシコ系の人たちが生き生きと描かれています。
島国に生まれ育っていると、地続きで国境があり、別の国へ行き来することができるとか
今自分が住んでいる土地は、150年くらい前は別の国に属していたということ
(テキサスやカリフォルニアは1845年以前メキシコの領土だったそうです)は
頭で覚える知識としてしか入ってきませんが、そういう事実を下敷きにしている
9つの短編はどれもおもしろいものでした。
ティーンエイジャーが主人公ですが、若者を取り巻く愛すべき家族や、
身近な人たちの存在が、重要な役目を果たしている話が多く、それが
ユーモアや、希望や、切なさといったキーポイントになっていると思いました。
好きな話は(私も)、さあ、飛びなさい! と 最後のミサ。
読み終わった直後よりも、一晩たってからの方が、どちらもそのよさが
じわじわっと押し寄せてくるようです。
特に、さあ、飛びなさい! は、おばあちゃんと孫娘の話。
遠くの大学へ行きたいと思い始めたミラグロス(孫娘)を、彼女の両親は
思いとどまらせようとするけれど、マナおばあちゃんと、おばあちゃんのいとこの
オフェリアおばさんは、こう言います。
「神さま(ディオシート)はだれにでも、贈り物を与えてくれる。
それを使わないのは、罪なんだ」
「それだけではないよ、ディオシートが授けてくれた贈り物を、
使わせないようにするのも罪というわけさ」
そうして、長い長い間一緒に暮らしてきたオウムを、かごから出してやるようにと、
ミラグロスに言い、「飛びなさい、飛びなさい、飛びなさい」と、オウムと
孫娘に呼びかけます。
私も、かわいい子には、どんどん遠くへ旅させようと思っています。
(そして、ある日ある時、どこかの国のどこかの街角にあるカフェで
待ち合わせをしたりなんかするのです・憧)